「原爆音楽」と継承
戦後60年の間に創作された、原爆投下や反核を題材にした音楽作品、いわゆる「原爆音楽」の数は1800曲余りにのぼる。さらに現在でもなお、世界中の様々な人々の手によって新しい原爆音楽が生み出されている(注1)。興味深いことに、この60年の間に生み出された原爆音楽をみると、作曲された時代の社会的背景や音楽の流行が如実に作品に反映されていることがわかる。とりわけ、その創作に込められた意味は、戦後間もない頃に創作された作品と半世紀を経た現在とでは大きく異なっているようにみえる。このように、原爆音楽も時が経つにつれ少しずつ変化してきているが、教育現場で扱われる原爆音楽の場合はどうだろうか。広島市で副教材として用いられてきた歌曲集を例にみてみよう。
広島市小学校音楽教育研究会は、昭和31年頃から今日に至るまで、音楽科の副教材として歌曲集《ひろしま みんなのうた》(以下、《みんなのうた》)を独自に編纂し、発行してきた(注2)。この歌曲集は、数年ごとに研究会のメンバーによって掲載曲目などが見直され、改訂されてきたが(注3)、いずれの版にも郷土の歌として広島にまつわる曲が4曲から7曲収められている。その中に、原爆を題材とした曲も2曲から6曲含まれている。すなわち、2003年に出された最新版では、〈ひろしま平和の歌〉、〈青い空は〉、〈アオギリのうた〉、〈明日への伝言〉、〈折り鶴〉、〈折鶴のとぶ日(原爆の子の像によせて)〉の6曲を掲載している。この一つ前の版では、2003年版に掲載された作品のうち、〈アオギリのうた〉と〈明日への伝言〉を除いた4曲を掲載している。それ以前の版ではいずれも、〈ひろしま平和の歌〉と〈原爆を許すまじ〉の2曲だけを掲載している。
このように、《みんなのうた》における原爆音楽も変化していることがわかる。こうした変化の理由は恐らく、それまで掲載されてきた原爆音楽の背景が、それを教材として用いようとする時代の背景にそぐわないと判断されたためであろう。当初は掲載されていた〈原爆を許すまじ〉が消え、〈アオギリのうた〉が新しく加わったことがその事実を端的に示している。〈原爆を許すまじ〉は被爆から10年も経ていない1954年の作品で、当時はまだ、被爆による後遺症で亡くなったり苦しんだりする人々が隣近所に大勢いる時代であった。同時に、原水爆禁止運動の高まりやアメリカによる水爆実験への抗議活動の活発な時代であり、作品には原爆反対の意思が全面に表されている。しかし被爆60年を経た現代において、ましてや小学生が原爆に対する怒りや憎しみに共感するのは容易なことではない。逆に、数年前に小学生自らが作った〈アオギリのうた〉では原爆の恐ろしさよりも平和な未来への誓いが歌われており、現代の子どもの共感を得やすい。曲目が入れ替えられた理由も、そうした時代の変化に合わせる必要性を編纂者が感じたからではないだろうか。
ところで、この《みんなのうた》では、版が新しくなるにつれて原爆を題材とする作品数が増加している。しかしその一方で、《みんなのうた》を採択する学校の数が年々減少している事実も述べておく必要がある(注4)。筆者の調べた限りでは、文科省の検定を通過した小学校音楽科の教科書や、副教材歌曲集の中で原爆音楽を掲載したものはない。つまり、原爆音楽を唯一取り上げていたとみられる《みんなのうた》が学校で使われなくなっっていくことにより、全国どころか広島市の小学生でさえ、原爆音楽に触れる機会が失われつつあると考えられるのである。《みんなのうた》において原爆音楽の掲載数が増加した背景には、このような被爆体験の風化や継承問題に対する編纂者の危惧が反映されたとも考えられるだろう。
いずれにせよ、教育現場においても、扱われる原爆音楽の内容やその扱い自体に変化が生じていることがわかる。被爆後半世紀以上を経て、「ヒロシマ」を語り継ぐことが難しくなり始めた今、学校教育の場で原爆音楽の果たす役割とは何なのかを改めて考えてみる必要があるだろう。しかしながら、そもそも教育現場における原爆音楽の役割について、これまで議論されたことはほとんどなかったのではないだろうか。よってここではまず、原爆音楽の意義を学校教育の中で捉えることから始めたい。そして次に、教育現場において原爆音楽を用いる場合、教材としての原爆音楽に求められるのは何かを考えたい。以上の点をもとに、最後に、教材として適していると思われる作品を幾つか紹介しよう。
教育現場における原爆音楽の意義
原爆音楽が学校教育での教材として扱われるとすれば、その性質からして「平和教育」か「音楽科教育」においてということになる。しかしここでは、「平和教育」における有用性に絞って考えてみたい。というのも、原爆音楽は音楽科教育の目的や理念ではその価値が十分に生かされないからである。この点についての議論は別の機会に譲ることにし、本節では平和教育における意義、有用性について考えよう。
平和教育における原爆音楽の意義を考えるには、そもそも平和教育の目的とは何か、その目的を考える必要があるだろう。平和教育の目的については、藤井敏彦氏の掲げた3点が簡潔で明瞭である(注5)。それによると、平和教育の目的とはすなわち、
(1)戦争のもつ非人間性・残虐性を知らせ、戦争への怒りと憎しみの感情を育てるとともに、平和の尊さと生命の尊厳を理解させる。
(2)戦争の原因を追求し、戦争をひきおこす力とその本質を科学的に認識させる。
(3)戦争を阻止し、平和を守り築く力とその展望を明らかにする。
学ぶ立場である子どもの視点からより具体的に考えてみよう。1点目については、戦争によってどのようなことが起こったのかという事実を知ることによって、戦争のもつ非人間性・残虐性を把握し、戦争への怒りと憎しみの感情を培うとともに平和の尊さと生命の尊厳を理解することだといえる。2点目については、なぜ戦争が起こるのか、戦争をひきおこす力とその本質を科学的に理解することである。3点目については、戦争を阻止して平和を守る力にはどのようなものがあり、またその力によって実際にどの程度まで平和が守られるのかを明らかにするということになろう。
これらの3点に原爆音楽が適うとすれば、1点目と3点目である。2点目については、戦争をひきおこす力とその本質が音楽を通じて明らかになるわけではないことは明白であるから、原爆音楽ではその目的を達成しえない。しかし、1点目については多くの原爆音楽作品が教材として有効となる。例えば、戦争によって引き起こされた残虐な事実については、原爆投下後に見られた惨状を歌詞に託して描写した数多くの作品によって知ることができる。そして、原爆音楽作品はその根底に原爆投下という事実と核に対する怒り・憎しみを抱えているものが多いが、なかでもそのような怒りや憎しみがテーマとなっている作品を通じて、戦争を憎み平和を尊ぶ心情を培うことができるだろう。
他方、3点目についてはあらかじめ視点を設定しておく必要がある。なぜなら、「平和を守り築く力」には様々な側面が含まれるからである。例えば、この力を政治、経済、科学などにおける具体的な方策や手段という視点で捉えれば、音楽においてこれを達成するのは当然ながら不可能である。しかし、この力を他者との協調性や相互理解力など平和な世界を導くために必要な基本的資質と捉えれば、音楽でもこれは可能となる。例えば合唱や合奏は、複数のパートが総体となって一つの音楽を作り上げる活動である。各パートにはそれぞれ固有の役割があり、演奏者は自らの役割を認識すると同時に他のパートの役割をも認識し、互いに協力し合いながら作品をつくっていく。歌い出し一つをとっても、他者との協調なしでは音楽とはならない。決して一人では成り立たない活動なのである。こうした活動を通して、子どもたちは他者に対する意識や協調性を育んでいくのであるが、このような資質が他者との間に平和な関係を築くための前提であることは明らかである。したがって、「平和を守り築く力」に繋がるものといえるのである。
教材としての原爆音楽に求められるもの
それでは、実際に教材としての原爆音楽には何が求められるだろうか。
前に挙げた平和教育の3点の目的のうち、原爆音楽が有効となるのは、「戦争のもつ非人間性・残虐性を知らせ、戦争への怒りと憎しみの感情を育てるとともに、平和の尊さと生命の尊厳を理解させる」ことと、「戦争を阻止し、平和を守り築く力とその展望を明らかにする」ことであった。こうした目的にふさわしい原爆音楽には何が求められるのか、それぞれ考えてみたい。
まず、「戦争のもつ非人間性・残虐性を知らせ、戦争への怒りと憎しみの感情を育てるとともに、平和の尊さと生命の尊厳を理解させる」ことについてみてみよう。この目的の中には二つの段階が含まれている。すなわち、まずは、(1)「戦争の実態を知り」、そのことによって、(2)「戦争への憎しみの感情を養い」、「平和の尊さを理解する」ということである。単に、戦争が許されないもの、平和が尊いもの、ということを観念的に把握するのではない。あくまで、戦争の実態を知ることを通してより具体的、現実的に平和の尊さを理解しなければならないのである。よって、この目的に適った教材としての音楽には、戦争の実態を明らかにしていることが求められる。そのためには、テキストを有することが必要不可欠であり、これには声楽作品や朗読付き作品などが当てはまる。さらに、テキストには具体的な描写が含まれるか、あるいは具体的な事実をくみ取ることができるような内容が必要である。しかし、単なる事実の羅列にすぎないと、第二の段階、つまり戦争への憎しみという感情を養い平和の尊さを理解することには至らない。この段階に到達するためには、テキストや音楽から戦争のむごさ、不条理さが伝わってくることが重要である。したがって、平和教育教材としての原爆音楽には、戦争の実態を明らかにしながらその不条理さを確実に伝えられるような内容が求められるだろう。
次に、「戦争を阻止し、平和を守り築く力とその展望を明らかにする」ことについて考えたい。先にも述べたように、この目的を「平和な世界を導くために必要な基本的資質の獲得」と捉えれば、平和教育教材としての音楽には、戦争や原爆を題材にした作品だけではなく、音楽作品全般が対象になるといえる(注6)。なかでも、他者との共同活動が重要な意味を持つ、合唱曲やアンサンブル作品の演奏がより適している。したがって、本書が対象としている原爆音楽作品について言えば、独奏・独唱の作品よりも、合奏・合唱作品の方が適している。また、「鑑賞」活動と比べ、他者との協力がより重要な鍵となる「演奏」活動の方がより効果的である。そのため、教材の選択には、編成や演奏技術などが学校教育の中で可能かどうかが考慮されなければならないだろう。
平和教育教材に適した原爆音楽作品
以上の点をもとに、平和教育教材に適した原爆音楽作品についていくつか紹介したい。なお、ここで取り上げる作品は、平和教育教材として適していると同時に、作品に関する詳細が明らかになっているものに限られる。また、現段階では楽譜や音源がともに入手できないものについては取り上げなかった。ここに挙げられなかった作品の中にも教材として優れているとみられる作品は数多くあり、一般の入手が容易となるような原爆音楽の普及と整備を期待するところである。
(1)演奏用作品
(ア)合唱用の作品
・〈アオギリのうた〉(作詞・作曲 森光七彩)
(解説)広島市は2000年~2001年記念事業として、市民からの公募によって「広島の歌」を制作する企画を実施した。国内外からの応募総数915点の中でグランプリに輝いた作品が、この〈アオギリのうた〉である。作者は当時九歳の、広島市在住の小学生であった。歌詞は、被爆アオギリが再生しさらにその種から新しいアオギリが誕生していく様子に生命の力強さを見いだしながら、平和な未来を誓ったものである。平易で覚えやすい旋律にのせて絶望ではなく未来への希望を歌い上げた曲調は、小学校低学年用の教材としても十分に価値をもつといえるだろう。【楽譜:巻末に掲載】
・〈ヒロシマの有る国で〉(作詞・作曲 山本さとし)
(解説)作者の山本氏は戦後生まれの福島県出身。被爆に直接関わりはないが、作品の中で「ヒロシマの有る国でしなければならないこと」と繰り返しうたわれるように、世界で唯一の被爆地を抱えた日本で生まれ育った意味を我々に問いかける。原爆の恐ろしさや悲惨さを伝えるだけではなく、被爆国日本で暮らす我々が果たすべき役割、我々にしか果たせない役割があることを喚起させてくれる。曲調がポップで歌いやすいため、集会など大勢で歌う場面にも適している。【楽譜:『平和のうた』音楽センター、2002年。巻末にも掲載/音源:CD『平和のうた』音楽センター、2002年】
・〈世界の命=広島の心〉(作詞 原田東岷 作曲 藤掛廣幸)
(解説)作詞者の原田氏は、被爆10年後に原爆乙女とともに渡米するなど、被爆後遺症の治療や被爆の悲惨さを訴え続けた広島市の医師。「原爆を生き抜いた人々によって新しくヒロシマの命が生み出され、それが世界の命となる」との想いを抱いてきた原田氏に、作曲者の藤掛氏が自作品の作詞を強く依頼したことから作品は生まれた。原田氏が作詞の条件として藤掛氏に示した「誰でもすぐに歌えるような曲を」という要望通り、叙情的な旋律は平易でかつ心に残りやすいため、子供の心を掴むのも容易であろう。【楽譜:巻末に掲載】
・混声合唱組曲《黒い雨》(作詞 中村栄 作曲 金光威和雄)
(解説)作詞者の中村氏、作曲者の金光氏、そして初演の指揮者である下田正幸氏が新しい創作組曲のために題材選びから共同で構想し、1989年に完成した作品で、9曲(注7)から構成されている。歌詞は、原爆投下前ののどかな広島の街の様子が一瞬にして地獄と化してしまった様子をより克明に描写するとともに、残された者も放射能汚染や死者への想いによって心身共に苦しめられる様子を描いている。原曲は混声四部合唱だが混声三部合唱版もある。曲によっては演奏にかなりの技術を要するものもあるが、最終曲の〈夾竹桃〉については中学生レベルでも可能であろう。【楽譜:〈夾竹桃〉については巻末に掲載】
・混声合唱とピアノのための《祈りの虹》(作詞 峠三吉、金子光晴、津田定雄 作曲 新実徳英)
(解説)大阪大学男声合唱団の委嘱により1983年に完成した作品(男声合唱版、混声合唱版ともにあり)。四つの章で構成される。第一章〈炎〉は峠三吉による詩、第二章〈業火〉は金子光晴による詩、第三章はヴォカリーズ(歌詞ではなく母音でうたうもの)、第四章〈ヒロシマにかける虹〉は津田定雄による詩を用いている。作曲者自身が、「怒りとは、殺戮のための道具でしかないあまたの核兵器・通常兵器等に対する怒り、またそれらを作らしむる人の人を信ずることのできぬ心への怒りである。そして願いとは平和への願い、人類の浄化への願いである。」(注8)と述べているように、原爆に対する強い怒りと憎しみが表現される一方で、最終章では平和への希望と祈りがうたわれている。なお、「演奏用作品」として掲載したが、いずれの曲も演奏の難易度は非常に高いため、詩(歌詞)の朗読と組み合わせるなどした鑑賞教材として用いることをお勧めしたい。【楽譜:『男声合唱とピアノのための「祈りの虹」』音楽之友社、2001年。〈ヒロシマにかける虹〉については巻末に掲載/音源:CD『幼年連祷 新実徳英作品集Ⅰ』ビクターエンターテインメント、2005年】
(イ)音楽劇・音楽付き朗読作品など
・合唱と朗読による《おこりじぞう~ヒロシマ・ナガサキからのアピール~》
(原作 山口勇子 作曲 高田龍治)
(解説)本作品は、原爆が引き起こした惨禍とそれを目撃した「じぞう」の怒りを子どもにわかりやすく伝えた原作を、ほぼそのまま一曲にまとめたもの。合唱と朗読、それに台詞を巧みに組み合わせることによって、原作の意図がより効果的に表現されたものとなっている。混声四部合唱であり曲も長いが、合唱部分をアレンジし長期的に取り組めば小学生でも演奏可能であろう。また、部分的に朗読で筋が展開されているばかりでなく、合唱部分の歌詞も聞き取りやすいことから、鑑賞教材として取り上げるのもよい。演奏時間は約30分。【楽譜:広島市立図書館/音源:広島平和記念資料館】
・朗読とピアノで聞く《『原爆詩集』にんげんをかえせ》(原作 峠三吉 作曲 黒住彰博)
(解説)本作品は、中学校、高等学校の平和教育教材としてすでに知られているが、大抵の場合、鑑賞教材として用いられてきたのではないだろうか。ここでは改めて、実際に生徒が「演奏する」(朗読する)ための作品として紹介したい。作品は、峠三吉による九つの詩(注9)を、ピアノ演奏を背景に朗読したもの。ピアノ・パートは朗読を妨げることなく詩に込められた情感やメッセージを表現し、かつそれらを一層引き出させるように作られている。よって、「一つの作品を他者とともに作る」という点では、通常の朗読では得られないような詩の内面理解や表現方法を身につけることができるだろう。作品全体を演奏するのではなく、一つの詩だけを取り出して演奏することも可能である。【楽譜:未出版/音源:広島平和記念資料館】
(2)鑑賞用作品
・〈被爆者の葬煙〉(作曲 金藤豊)
(解説)尺八とピアノのための作品。作品の背景として金藤氏は、被爆直後から幾日にもわたって立ちのぼる、被爆死者を荼毘に付す煙を見た時の思いを挙げる。その煙を目の前に映し出すかのように静かに鳴りわたる尺八の音は、単に煙の形状を表すにとどまらず、煙とともにたなびいただろう被爆死者の無念さ、被爆死の理不尽さをも強く訴えかけてくる。演奏時間は約14分。【音源:広島平和記念資料館】
・ミニオペラ《花園にて》(台本 ふじたあさや 作曲 三木稔)
(解説)「反核・日本の音楽家たち」のオムニバス・オペラ・メッセージ ’85として作曲された作品。天国で出会った日本人被爆者、朝鮮人被爆者、被爆死したアメリカ人捕虜、アメリカ人原爆飛行士の4人による互いの非難、憎悪の応酬を通して霊の救済を問いかける内容は、作曲者と台本作者によって構想された。この作品の意義については、作曲者による初演時の言葉をもって説明するのが最適であろう。演奏時間は約20分。【楽譜・音源:広島平和記念資料館】
「…アメリカだけに加害者として全ての罪を押しつけるべきではないことと、日本が被害者特権をふりかざすべきでないことです。それは差別の問題にも行き着くことになりました。…中略…私たちは、加害者を見分け、差別を憎むと同時に、加害者や差別を行った者すらも許さなければならないという問題に突き当たるのです。」(三木稔)(注10)
・オペラ《ヒロシマのオルフェ》(台本 大江健三郎 作曲 芥川也寸志)
(解説)NHKの委嘱作品で、当初、「暗い鏡」として1960年に作曲されたが、67年に現在のタイトルに改題、また改作され発表された。ケロイドや白血病に対する恐怖で生きることに絶望した被爆青年が、謎の娘(実は死の国の娘)との出会いを通じて生への希望を取り戻す内容は、被爆による後遺症がいかに若い運命を翻弄するかを示すと同時に、生の選択であれ死の選択であれ、自らの意志で運命を決断することによって原爆を克服するという被爆後の一つのありようを示している。ザルツブルク・オペラコンクールで第一位を獲得。作品の秀逸さのみならず、上演時間が短いオペラであるために平和教育の鑑賞教材としても有効であろう。演奏時間は約50分。【音源:CD『芥川也寸志:歌劇「ヒロシマのオルフェ」』カメラータ・トウキョウ、2002年】
(注1)
例えば、2005年5月には、広島の演歌歌手、南一誠とドミニカ共和国のダンス音楽歌手、アリシア・バローニのデュエットによる「被爆アオギリ百万本」が発売され、話題を呼んだ。
(注2)
以下に述べる《みんなのうた》の変遷については、広島市小学校音楽教育研究会に所属しておられた永柴義昭先生、竹本建治先生、井崎明先生に多大なるご教示を頂いた。ここに記して感謝したい。
(注3)
これまでに確認できた版は五版あるが、各版がいつ改訂、出版されたものか、また他にどの程度の版が存在するのか正確にはわからない。
(注4)
この点については、上述の井崎先生と、《みんなのうた》の出版を委託されている全音楽譜出版社担当者のご協力を頂いた。ここに記して感謝したい。
(注5)
藤井敏彦「平和教育をどうすすめるか」『季刊 平和教育』第一号(1976)15頁。また、永井秀明「第一章 核時代の平和教育」『ヒロシマで教える~核時代の平和教育』NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所編 (1977)11~14頁。本論では、藤井論文で述べられた目的をそのまま引用した。
(注6)
実際、長崎市教育委員会が2000年にまとめた『平和教育の基本三原則』では、啓培すべき平和に関する資質の中に「芸術を愛し創造しようとする精神」が挙げられており、芸術愛好の精神そのものが「平和に関する資質」であると認められている。つまり、ここでは戦争や平和に直接関わっているかどうかは問われていないのである。また、平和教育の構造について藤井氏が掲げた直接的平和教育と間接的平和教育に関する理論を参照のこと(藤井、上掲書、14頁)。
(注7)
(一)緑の広島 (二)昭和20年8月6日 (三)水をください (四)黒い雨 (五)瓦礫の中を (六)荼毘の煙 (七)放射能 (八)鏡 (九)夾竹桃
(注8)
CD『新実徳英作品集Ⅱ』(VDR-5221)解説より
(注9)
(一)序 (二)8月6日 (三)仮包帯所にて (四)倉庫の記録 (五)墓標 (六)ちいさい子 (七)1950年8月6日 (八)よびかけ (九)その日はいつか
(注10)
三木稔「花園にて」『「反核・日本の音楽かたち」のオムニバス・オペラ・メッセージ’85』曲目解説、東京、都市センターホール、1985年8月1日、2日。