第5回 四十雀賞授賞式・受賞記念講演会の報告
2017年11月21日一橋大学東キャンパス国際研究館4階大講義室にて「ヒロシマと音楽」委員会は、一橋大学大学院言語社会研究科小岩信治教授(音楽学)の研究室より第5回四十雀賞をいただくことになりました。授賞式には「ヒロシマと音楽」委員会委員長の能登原由美が出席し、記念講演も行わせていただきました。
「ヒロシマと音楽」委員会委員長の能登原由美のコメントです。
さる11月21日、一橋大学にて「四十雀賞」の授賞式と記念講演会があり、委員長として私、能登原由美が出席して参りました。学生や卒業生の皆様のほか、小岩信治先生をはじめゼミに関係する先生方が私たち委員会の活動に大きな関心をもってくださり、講演会での質疑応答に続いて、懇親会、二次会の場でも熱心な質問や意見交換の場をいただくことができました。そもそも、広島以外の地でこのように関心をもってくださる方がいるとは思いもよらなかったのですが、さらに若い方々が非常に熱心に話を聞いてくださったことにも驚きました。このように評価をいただけることは大変栄誉あることですが、何よりもゼミの皆様との出会いは新たな活動のきっかけとなる、大変貴重なものとなりそうです。この機会を無駄にせぬよう、新たな展開を模索して参りたいと思いますので、ぜひ今後の活動にご期待ください。
最後に、小岩先生、また小岩ゼミの皆様、この度は本当にありがとうございました。
四十雀賞について
創設:2013年6月
賞の概要:本邦の音楽文化に大きな貢献を果たした活動に送られる賞。選考委員は一橋大学大学院言語社会研究科小岩研究室ゼミ有志から構成される。
名称の由来:賞の名称の由来は、一橋大学のある国立市の「市の鳥」である四十雀の鳴き声が大変美しく、音楽文化に与える賞としてふさわしいとされたため。 また「七つ下がりの雨と四十雀の恋は止まない」という言葉もあり、音楽を愛し飽くなき探求心を持つ人々を応援したいという意図も込められている。
受賞団体紹介 「ヒロシマと音楽」委員会
「ヒロシマ」をテーマに数多くの作曲者が残してきた音楽作品を未来に継承するために、株式会社中国放送と音楽関係者、広島市関係機関が協同して1995年に立ち上げた市民団体。2004年3月までに全1867曲をデータベース化、その収集・調査の成果は「ヒロシマと音楽」(汐文社、2006)にまとめられている。
講演者 能登原由美 氏
「ヒロシマと音楽」委員会現委員長。同委員会設立以来、データベース作成作業に携わる。2003年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。専門は音楽学で、研究対象は「ヒロシマ」の音楽のほか、イギリス音楽史、日本近代の洋楽受容史。
授賞理由
同委員会は「ヒロシマ」をテーマとした音楽作品を未来に継承するために、ジャンル、時代ともに多岐にわたる作品をデータベース化してきました。このアーカイブは作品の発信や研究活動にもつながっています。日本の戦後音楽史に一つの新たな視点を与え、音楽を通して歴史を現在、未来に生かす本活動に対し、当研究室は2017年度四十雀賞を授与します。
(「第5回 四十雀賞授賞式・受賞記念講演会」のチラシ より)
「ヒロシマと音楽」委員会は、一橋大学大学院言語社会研究科小岩信治教授(音楽学)の研究室より
第5回四十雀賞をいただくことになりました。
その授賞式・受賞記念講演会が下記の日程で開催されることになりました。
記
日時:11月21日火曜日15時30分
場所:一橋大学東キャンパス国際研究館4階大講義室
授賞式には委員長の能登原由美が出席するとともに、その後の記念講演も行わせていただきます。
なお、入場無料のようですが、人数把握のため、来場希望者は予め小岩教授の研究室にお伝えする必要があるようです。
来場を希望される方は、下記の小岩研究室ホームページにご連絡ください。
https://www.facebook.com/musicology.koiwa/
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また、同賞の受賞理由について下記に転載いたしますのでご覧ください。
【2017年度 四十雀賞受賞者決定】
当研究室では、本邦の音楽文化に貢献した個人・団体を毎年1組(1名)表彰し「四十雀賞」を授与しています。選考はゼミ生(大学院・学部共通)が行います。過日、本年度(第5回)の受賞者を下記のとおり決定しました。授賞式・記念講演会については追ってお知らせいたします。
受賞者 「ヒロシマと音楽」委員会
授賞理由
「ヒロシマと音楽」委員会は、「ヒロシマ」「反核」などをテーマに数多くの作曲家が残してきた音楽作品を未来に継承するために、広島の放送局である株式会社中国放送と音楽関係者、さらに広島市関係機関が協同して1995年に立ち上げた市民団体である。終戦直後から現在に至るまで、1945年8月6日に原子爆弾が投下された広島をめぐり、国内外の作曲家や市民の手によってその惨状や復興、平和への希望を謳う多くの音楽作品が生み出されてきた。同委員会は「ヒロシマ」「原爆」「核兵器廃絶」などをキーワードとして、ジャンル(ポピュラー、歌謡曲、クラシック、邦楽、民謡など)・時代ともに多岐にわたる膨大な作品の収集、整理活動を行い、2004年3月までに全1867曲をデータベース化した。その収集・調査の成果は『ヒロシマと音楽』(汐文社、2006)にまとめられている。
同委員会が作り上げたアーカイブは、まずヒロシマをめぐる音楽についての調査研究を可能にしている。現委員長の能登原由美氏は著書『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015)を出版し、戦中、戦後を生きる人々の手により生み出されてきた「ヒロシマ」音楽の歴史を再構築し、政治性の強い反戦・反核運動にとどまらない「ヒロシマ」音楽、歴史の理解と未来への希望としての「ヒロシマ」音楽のあり方を提示した。また同委員会は2010年以降、毎年「ヒロシマ・音の記憶」コンサートを開催し、目まぐるしく移り変わる歴史の流れの中に埋もれていった数々の作品に音楽としての息吹を与えながら、それらを後世に伝えている。
「ヒロシマ」というキーワードの下、ジャンルやプロ/アマチュア、日本人/外国人というような垣根を取り除いた形で行われた同委員会のアーカイブ作業は、日本の戦後音楽史に一つの新たな視点を与えたと評価できる。また、戦後70年以上が経過し原爆投下をはじめとした戦争体験が遠い過去へと去っていく中で、音楽作品を遺産にせず、音楽を通して歴史を現在、未来に生かしていく「ヒロシマと音楽」委員会の活動は日本の音楽文化への大きな貢献と言えよう。これらの功績に対して当研究室の所属ゼミ生は本年度の「四十雀賞」を授与したい。2017年7月18日
一橋大学大学院言語社会研究科
小岩信治ゼミナール・研究室一同
「ヒロシマと音楽」委員会のこれまでの活動が評価され、
第5回「四十雀賞」(2017年度)を受賞することになりました!
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この賞は、一橋大学大学院言語社会研究科小岩信治教授(音楽学)の研究室が
日本の音楽文化に貢献した個人/団体を選んで授与しているもので、
今年度の受賞が当委員会に決まったとのことです。
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被爆50周年の1995年に、前身となる「ヒロシマと音楽」実行委員会が発足してから、
改組やメンバーの交替を経ながら22年にわたって活動を続けて参りましたが、
私たちの活動が日本の音楽文化に貢献したと評価され、メンバー一同大変喜んでおります。
同時に、受賞を機にこれまでの活動を今一度振り返って反省するとともに、
これからの活動のバネにしていきたいと考えております。
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このような名誉ある賞を授与してくださった小岩研究室の皆様に心より感謝するとともに、
これまで厳しく暖かい言葉で当委員会を支援してくださった方々にはこの場でご報告し、
御礼の気持ちをお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。
今後とも叱咤激励のほど、よろしくお願いいたします。
「ヒロシマと音楽」委員会 委員長 能登原由美
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本賞の詳細や、受賞理由については、小岩研究室のホームページでご覧いただけます。
下記のURLをクリックしてください。
フェイスブックで連載しているシリーズ「わたしと平和と音楽と。〜好きな楽曲、紹介します〜」の中で、2017年4月から7月までに掲載された紹介文を一挙に紹介させていただきます。
このシリーズでは、広く「平和」をうたった音楽作品で、好きな曲、印象に残っている曲、広く知って欲しい曲に関する紹介文を募り、随時紹介させていただいております。
すでに20曲以上の紹介文を掲載させていただきましたが、保存版としてホームページにも掲載させていただくことにしました。
以下は、フェイスブックでの掲載順に並べられており、各紹介文の冒頭には敬称略の形で、
紹介者名
曲名(作詞、作曲、編曲、アーティスト名)
また、文の末尾に
フェイスブックでの掲載日
動画を視聴できる場合はそのURLコード(青字で書かれている部分をクリックしてください)
を入れております。音楽と合わせてご覧ください。
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1)原寛暁(高校芸術科音楽教諭)
曲名:祈り(詩:山田数子 曲:早川正昭)
打楽器群とコントラバス、女性の詞の朗読による楽曲です。 原爆によって子を奪われた母親の心の叫びが切々と詠われます。曲 のクライマックスで「女夜叉になって お前達を殺したものを 憎んで憎んで 憎み殺してやりたいが 今日母さんは空になって お前達のために 鳩をとばそう 豆粒になって消えていくまで とばし続けよう」という一節があります。ここの部分に最も心を打 たれ、これこそがヒロシマの心だと思いました。被害者感情を超越 したところにある「反戦反核の心」「平和を願う心」こそ、世界に 発信するべきヒロシマのメッセージと思います。
2017年4月1日
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2)上村和博(ひろしま音楽芸能文化懇話会代表)
曲名:一本の鉛筆(詩:松山善三 曲:佐藤勝 歌:美空ひばり)
広島をテーマにし、全国ヒットした歌謡曲は、長崎や神戸などに比べ少ない。その中に美空ひばりの〈一本の鉛筆〉はある。広島テレビ主催の「広島平和音楽祭」で誕生。第一回(昭和49年)と第十五回に、ひばりが歌った反戦歌だ。私はこの歌をひばりの没後、広島出身の被爆二世の歌手・真木洋介にCD化して歌ってもらっている。
「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く!」
のメッセージが、この歌を通じてもっともっと広まってほしいと願っている。
2017年4月2日
https://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA
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3)小川仁(日欧交流史研究者)
曲名:NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」テーマ曲(曲:林光)
『山河燃ゆ』は、山崎豊子原作の『二つの祖国』を基に制作された1984年のNHK大河ドラマです。第二次世界大戦下での日系アメリカ人の葛藤を描いた作品ですが、ストーリーには、かつて多くの移民を送り出した広島、そして原爆投下後のヒロシマが深く関わっていきます。移動劇団桜隊の一員とし広島で被爆した仲みどりが、人類史上初めて原爆症に認定される過程を知ったのも、この作品を通してでした。このテーマ曲を聞きながら、国家間、民族間を超えた平和への願いが聞き届けられる世の中であってほしいと、日々願い、向き合いたいと思っています。
2017年4月3日
https://www.youtube.com/watch?v=fQqcdvdo_ck
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4)藤井政美(サックス奏者)
曲名:Oh Lord Don’t Let Them Drop That Atomic Bomb on Me (曲:Charles Mingus)
邦題をつければ「神よ原爆を落としたもうな」となる1961年発表のアルバムに収録された曲です。楽曲のスタイルとしてはトラディショナルなブルース形式で、ゴスペル的と感じる方も多いでしょう。
ミンガスという演奏家は現代音楽的なアプローチと、社会悪へのプロテストとしての音楽表現を用いるというアプローチを混合させた興味深い音楽家です。
このアルバム収録の楽曲は全体に混濁したフリージャズに近い手法を混ぜ込み、楽曲タイトルもシンボリックに動物や人間を使用しています。ミンガス自身はベース奏者にもかかわらず、ベース奏者を別に配し、ピアノとアジテーションとしての声をつかうことに専念していることも混濁した要素を増させている部分と思われます。
楽曲に話を戻すと、ジャズの曲の典型として、作曲と演奏そのものがほぼ対等の意味合いを持っていて、黒人の民俗的バックボーンであるブルースという形式からにじみ出る感情の発露を大きな目的にした演奏になっています。
祈りというよりも、白人の生み出した原子爆弾という暴力を、有色人種の側から反抗的に、かつ絶望を織り込んでのタイトルと考えております。
2017年4月8日
https://www.youtube.com/watch?v=eaeVLd4G1Zg
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5)草谷緑(NHKチーフディレクター)
曲名:僕が守る (詩:銀色夏生 曲:上田真樹)
NHKの合唱コンクール(通称Nコン)は、毎年10月にNHKホールから全国大会の生放送をしています。各校の演奏のあと結果発表をするのですが、その審査待ちの30分間は、いつも「スペシャルステージ」と銘打って様々なアトラクションを行っています。
2011年には高等学校の部を担当しました。この年のスペシャルステージは課題曲〈僕が守る〉にちなんで「守りたいもの」をお題に、出場校が写真を撮ってきて発表しました。その中に、山と青空の写真がありました。
この写真を撮ったのは福島県立橘高等学校でした。画家の高村智恵子の出身校です。その夫、高村光太郎は詩集『智恵子抄』(1941)で、智恵子が「東京には空が無い」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空がほんとの空だ」と言ったと書いています。
写真に写っていたのは、その安達太良山(あだたらやま)でした。橘高校の部長さんが、「今、福島には放射能の問題がありますが、昔から変わらない空の風景と同じで、福島の人たちの前向きに生きていく姿勢が変わっていないこと、これからもそういう風に続いていくといいなと思ってこの写真を撮りました」とステージで語りました。その声は福島のアクセントを含み、とてもきれいで深く、会場が水を打ったようにシーンと静まり返ったことを覚えています。そして自然に拍手がわきあがりました。
原発の事故から6か月後のことでした。
2017年4月15日
https://www.youtube.com/watch?v=xih7CrNR-wE
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6)伊藤多喜子(邦楽プロデューサー)
曲名:片足鳥居の映像 (曲:佐藤敏直)
邦楽曲でヒロシマ・ナガサキ・平和・反戦といえば、 多くの邦楽関係者が真っ先に思い浮かべるであろうポピュラーな曲です。主として戦後、 洋楽の作曲家が邦楽器のために作った作品を「現代邦楽」と呼び、 これはその中のひとつで4楽章からなる尺八独奏曲です。
長崎の山王神社には爆風で半分だけ吹き飛んだ「片足鳥居」 が今も絶妙なバランスで立っているそうです。私も以前、 長崎を訪れた際にこの片足鳥居を見て、 これがあの曲のモデルなのかと感慨深く眺めた記憶があります。
ちなみにインターネットで調べていたら、福山雅治さんの『 クスノキ』という曲は、 この山王神社の被爆クスノキをテーマにした曲だそうですね。
YouTube映像の尺八奏者のお名前を存じ上げないのですが、 とても良い演奏なので、 もしどなたかご存知でしたら教えていただけますでしょうか。
2017年4月16日
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7)高橋紘子(主婦)
曲名:奇妙な世界 (詩・曲・歌:忌野清志郎)
昨年、第二次世界大戦下の広島、呉に住む、とある家族の〈日常〉を題材にしたアニメ映画『この世界の片隅に』が異例の大ヒットとなり、日本アカデミー賞 最優秀アニメーション作品賞を受賞するなど、大変話題になりました。
私も劇場に足を運び、その帰り道にふと、忌野清志郎さんのこの曲を思い出しました。以下は歌詞の一部です。
♬普通の暮らしをしている人 家族のために働く人 大事な人を愛する人 子供の帰りを待つ人 自分の国しか知らない人 自分の事しかわからない人 奇妙な世界よ消えてくれ ♬
当たり前だった毎日が、戦争という強いパワーによって当たり前ではなくなっていく怖さが、奇妙さが、ジワジワと感じられ、平和を強く願わずにはいられません。
2017年4月22日
https://www.youtube.com/watch?v=rP-qGDu7Hmw
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8)縄裕次郎(合唱指揮者)
曲名:原爆小景 (詩:原民喜 曲:林光)
作曲者の林光が、東京混声合唱団の委嘱で「水ヲ下サイ」を書いたのは、戦後13年の1958年、林が27歳の時でした。1958年は長嶋茂雄が、プロ野球でデビューし、地方のテレビ局がテレビ放送を開始し、チキンラーメンが発売し、東京タワーができた年でした。日本が高度経済成長に入り、1964年の東京オリンピックを6年後に控え、交通網が整備され、新しい建物が次々と立ち、大きく日本が変わっていく時期でした。そのなかで、忘れ去られていく戦争の記憶。その4年前、1954年には日本のマグロ漁船が核実験に巻き込まれ、被爆する事件も起きました。
第2部の「日ノ暮レチカク」、第3部の「夜」は1971年に書かれました。ここ3部からなる『原爆小景』は完成となりました。しかし、林は1975年の演奏会のプログラムにこう書いています。《完成ということばを使ったが、さいしょのプランであった———というより第3部を書き終えようとするギリギリまでその考えを捨てなかった、「永遠のみどり」という詩編でエピローグを書くということを実現できなかった。(中略)核の恐怖がなにひとつ解決していない今、《ヒロシマのデルタに若葉うづまけ》などという詩句に作曲することが可能だろうか。この15年というもの1年おきくらいに思い立って第1行目を書きはじめては、そこから先を続けることができなかったのは、このような問いが立ちはだかるからだった。》
「水ヲ下サイ」の作曲から実に43年経った2001年に、林は「永遠のみどり」を書きあげます。林はプログラムにこう書いています。《この作品は作曲家としての、現在までのほぼ全生涯にわたって書きつがれたものである。(中略)作曲者は以前、「日ノ暮レチカク」を中央パネル、「水ヲ下サイ」と「夜」を左右両翼として西洋中世の祭壇画になぞらえたことがあったが、両翼を閉じたところに「永遠のみどり」を置くことにより、文字通り祭壇画は完結したといえよう。》
2015年、被爆70年のヒロシマで私は「水ヲ下サイ」を演奏しました。いつか、本当に「永遠のみどり」を歌える日が来るのでしょうか。広島に生きる者として、私にとっても、この作品は生涯を賭すものとなるのかもしれません。
2017年4月23日
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9)小林知世(ピアニスト)
曲名:《男声合唱・ピアノ・パーカッションのための起点》より 〈Ⅰ.起点(1945年) 〉
(詩:木島始 曲:信長貴富)
反戦詩といったジャンルはさほど多くない木島始(1928-2004)さんの詩による楽曲です。時代に翻弄されながら戦争へと歩んでいった過去の教訓を、この詩は今日に訴え続けるものです。より直截的に、私たちに非人道的な原子力の愚かさを訴えるものだな、と思い推薦させていただきました。
2017年4月30日
https://www.youtube.com/watch?v=DezO6vF8orY&feature=youtu.be
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10)照屋ナツキ(表現活動)
曲名:カンポーヌクェヌクサー(艦砲ぬ喰ぇ残さー)(詩・曲:比嘉恒敏)
1975年6月、作詞作曲者である比嘉恒敏の娘たちによる歌唱グループ「でいご娘」が歌い、大ヒットとなった曲である。激しい地上戦が繰り広げられた沖縄。空から降って来る艦砲射撃に当たった人は即死し、当たらなかった人は生きられた。そのことを「艦砲射撃の喰い残し」つまりは「カンポーヌクェヌクサー」と言い、生き残った人達は「生き延びてしまった」という皮肉な思いで自らを「カンポーヌクェヌクサー」と呼んだのである。この歌には、戦争を生き抜き、荒廃した戦後から立ち上がり、平和になった今を後世に伝えたい、という強いメッセージが込められている。
「でいご娘」の父である恒敏自身も戦争の体験者であった。彼は対馬丸の戦渦で子ども失い、さらには出稼ぎ先の大阪で大空襲に遭い、妻と子どもを失った。戦後は故郷の読谷村に戻り、仕事をしながら芸能活動を行い、家族と共に平凡な幸せな時間を過ごしていた。しかし、1973年(アメリカ占領下から日本復帰した翌年)、舞台を終えた恒敏は帰宅途中に、米兵の飲酒運転車輛と衝突し、妻と共にこの世を去ることとなってしまった。
戦後の沖縄は、まだ戦争が続いている。恒敏のように、戦後、米軍車輛との事故は多発し、米軍と沖縄県住民とのトラブルは数知れない。今日においても、沖縄には米軍問題が未解決のままで、戦争の傷跡は想像以上に深く根付いている。
私たちの祖先が、艦砲射撃に当たらずに生き長らえ、沖縄を守り、平和を祈ってきたからこそ、「今」があり、島があり、私たちがここに存在している。沖縄から関西に移り住んでいる私も、ここ「大和」で、この『カンポーヌクェヌクサー(艦砲ぬ喰ぇ残さー)』を歌う。沖縄語の歌詞の意味を理解できない人たちは、曲に合わせて手をたたき踊り出すほどで、私はその度に歌詞の重さと、音楽の軽快さに困惑する時があった。しかし、それはそれで良いのではないかと最近は思うようになっている。恨んでも恨みきれない戦争の苦しみを、腹の中で思い切り消化して、天高く昇華する…。何度も書き直した恒敏の思いと、先人達の思いを胸に、次の世代へと受け継ぎたいと思う一曲です。
2017年5月6日
https://www.youtube.com/watch?v=yzQCYrm5ssg
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11)松尾寿人(合唱活動)
曲名:男声合唱のためのレクイエム「碑」(詩:薄田純一郎 曲:森脇憲三)
広島在住で合唱活動を続けている松尾寿人です。
私は広島市在住で合唱活動を続けており、これまでにも数多く、原爆や平和をテーマにした作品を歌ってきました。
そんな私が初めて原爆を題材にした曲と出会ったのが、出身地福岡で高校2年生の時に演奏した「碑」でした。合唱コンクール九州大会が初めて沖縄で開催されるにあたり、平和を訴える曲をと顧問の先生が選曲されました。当時は抜粋での演奏でしたが、4曲目「川の中で」の練習中、何度も泣きそうになったことを覚えています。
その後広島の大学に進学し、この曲の舞台となった川辺の石碑の前に立つと、「川の中で」のフレーズが走馬灯のように流れてきました。そして昭和59年8月6日に開催された、「第5回原爆犠牲者に捧げる音楽の夕べ」にて、ついに全曲演奏を行うことができました。現在でも毎年夏に、広島二中の流れをくむ、広島観音高校OB合唱団が、この「碑」を中心とした演奏会を開催し、歌い継いでいます。
2017年5月13日
(編集者注)この作品は1970年に広島メンネルコールにより委嘱され、初演されたものです。今回の参考音源は当団のご厚意により、団の創立60周年(そして被爆70周年)にあたる2015年にこの作品を上演した時の映像を使用させていただくことになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=CfJE8irkSY4
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12)上野英則(神戸市立灘区民ホール・ディレクター)
曲名:この素晴らしき世界(詩・曲:George David Weiss – G. Douglass 歌:ルイ・アームストロング)
あまりにも有名な『what a wonderful world』。
この曲が、当時の泥沼化したベトナム戦争への嘆きから生まれたことはあまりにも有名です。
私は当時のことをリアルタイムでは知らず、そのために最初はこの曲の生まれた背景を全く知らないまま、表層的な美しさだけを感じていました。
しかし、この曲が生まれた時代背景を知った瞬間に突如突きつけられる『私たちの現実』。この相反する現実をどう説明できましょうか。
自己矛盾に陥る私たちは、過去を反面教師に、成長できるのでしょうか。
この曲は「美しい」の一言に集約されるかもしれませんが、誕生の契機となったのが殺戮であった事を忘れてはなりません。
この歌詞の美しい世界はきっと“誰もが居たい場所”。
私たちは、サッチモが「私よりも多くを学ぶだろう」と、この世界が本当に“素晴らしき世界”であるよう託した『新たな世代』と一緒に生きています。
私たちは『世代を通じて学んでいく』道を歩みたいですね。
2017年5月20日
https://www.youtube.com/watch?v=n5jIUZuk0JQ
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13)松本富子(作業療法士)
曲名:クスノキ(詩・曲・歌:福山雅治)
〈クスノキ〉は、被爆で黒こげになりながら芽吹いた「被爆クスノキ」をテーマにした曲です。「被爆クスノキ」は、爆心地から約800メートル離れた山王神社に2本あり、樹齢は約500~600年。原爆投下で枯れ木のようになりましたが、新芽を吹き、復興に向かう被爆者を勇気づけました。その「被爆クスノキ」をテーマにした楽曲〈クスノキ〉は、ピアノの伴奏によるゆったりした曲調の中で、生命の崇高さ、たくましさを樹木の姿をとおして切々と私たちに訴えかけています。
(編集者注)歌詞は当委員会のフェイスブックに掲載させていただきました)
作詩・作曲を手掛けた福山雅治さんは長崎市出身で、高校生のときに亡くした父親が被爆していたと、過去にラジオ番組で語っています。そして、「僕らの世代は被爆2世と呼ばれている。そういうソングライターじゃないと歌えないだろうし、なかなか書かないだろう」とも。〈クスノキ〉を聴きながら、被爆2世である私自身が、親から引き継いだ想いを、そして原爆投下によって引き起こされた事実を、これからどう伝えるか、そして、だれに伝えるのか。改めて考えるきっかけとなった1曲です。
2017年5月27日
https://www.youtube.com/watch?v=wI6JVYDc3Jc
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14)前島健吾(広告関連業)
曲名:映画『ひろしま』テーマ音楽(曲:伊福部昭)
原爆投下直後の惨状が克明に描かれた「ひろしま」(1953年公開)は、文集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』(長田新編纂、岩波書店、1951年)を八木保太郎が脚色した映画で、広島電鉄や藤田組(現・フジタ)、多くの広島市民の全面協力により制作されました。この映画の音楽を作曲したのが、「ゴジラ」(1954年公開)の音楽を手掛けた伊福部昭(1914~2006)です。
「ひろしま」と「ゴジラ」の音楽に見られる伊福部の平和観については、多くの映画評論家により指摘されており、伊福部の曲が各シークエンスにおける被爆者の絶望や焦燥に、圧倒的な説得力を与えているのは述べるまでもありません。一方で、アメリカによる原子爆弾投下という、法に拘束されない剥き出しの権力の恣意にさらされた広島市民の『剥き出しの生』を如実に描き出したのも「ひろしま」であり、最晩年に「音楽・九条の会」を立ち上げた伊福部の人間の存立に立ちはだかる権力に対する咆哮が作品中に表出しているようにも思われます。
今年もまた、8月6日、8月9日が近づいてきました。私たちは、原点に戻るつもりで、「ひろしま」と、そのなかの伊福部の曲に、目と耳を傾けてみてもいいのかもしれません。
2017年6月3日
https://www.youtube.com/watch?v=y28tMyJjlns
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15)三浦ひろみ(ラジオ・パーソナリティ、被爆体験記朗読ボランティア)
曲名:死んだ女の子(詩:ナジム・ヒクメット 曲:外山雄三 編曲・プロデュース:坂本龍一 歌:元ちとせ)
故・若松孝二監督が寺島しのぶさん主演(第60回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞受賞)で戦争の惨さを描いた映画「キャタピラー」(2010年日本)のエンドロールで流れてきた曲「死んだ女の子」を聞いた時、こんな曲があったとは・・・!と衝撃を受けました。元ちとせさんの歌声、”教授” こと坂本龍一さんのピアノ、そして、すごかったのが歌詞の内容です。(歌詞は委員会のフェイスブックをご覧ください)
ある番組の企画で、原爆ドームの前で坂本龍一さんのピアノ演奏でちとせさんが歌うという生LIVEも行われたことがあります。トルコの詩人であるナジム・ヒクメットが戦後の広島を訪れ、その惨劇に衝撃を受けて1956年に発表した詩「死んだ女の子」に曲をつけたもの。広島人として知っておかねばならないと思いました。最後には「平和な世界にどうかしてちょうだい」と歌います。冒頭に「忘れんなよ」と歌われているのですが、本当に日本がどうして戦争をしてしまったのか、決して忘れてはなりません。
2017年6月10日
https://www.youtube.com/watch?v=J9nbJdZVDro
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16)宗綺(大学院生・思想史研究)
曲名:AMANI(詩:黃家駒 曲:黃家駒 編曲・歌:BEYOND)
〈AMANI〉は、中国香港のロックバンドBEYOND (ビヨンド)の歌です。1991年にバンドのメンバーたちがアフリカを訪問し、現地の児童の生活実態を見聞きしたことを契機に、本楽曲は作られました。
メンバーがアフリカを訪れた時期は、海岸戦争が終わったばかり。メディアや現地訪問により、戦争の残酷を目の当たりにしたリーダー黄家駒(1962-1993)は、アフリカの児童への援助を訴えるとともに、平和を呼びかけるために、この〈AMANI〉を創作しました。
歌の名前〈AMANI〉はアフリカ語です。それは黄家駒が現地の人々に教えてもらった言葉であり、「平和と愛」という意味が含まれています。この歌を聴く時。私は平和を願わずにはいられません。
2017年6月17日
(編集者注)日本語訳付きの歌詞は委員会のフェイスブックでご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=PCXGPSQFZGw
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17)照屋ナツキ(表現活動)
曲名:月桃(げっとう) {詩・曲 海勢頭(うみせど)豊}
月桃ゆれて 花咲けば
夏の便りは 南風
緑は燃える うりずんの ふるさとの夏
6月23日 待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく ふるさとの夏
以上は、『月桃』の歌詞抜粋である。月桃の花が咲き出す初夏を沖縄では「うりずん」と言う。月桃は白い綺麗な花を咲かせ、香しい葉で包んだ餅は「ムーチー」と呼ばれ、健康を祈願して食べる習慣が沖縄にはある。
6月23日「慰霊の日」は、沖縄戦が終わったとされる日で、沖縄ではとても大切にされている。沖縄県下の学校では、6月は平和月間とされ、戦争や平和について体験者の話を聞いたり、映画を見たり、沖縄戦終焉の地と言われる糸満の摩文仁の丘まで平和巡礼をしたりする。それと同時に、この『月桃』を歌う。私も小中学校でずっとこの歌を歌ってきたので、この時期になると、今でも思い出し口ずさんでいる。
ここで少し、この歌の背景について説明しよう。作詞作曲の海勢頭が、慰霊の日に向けた番組のレポーターとして、糸満市米須部落の人々に取材をしていた時のことである。ある夫婦が、隣に住んでいた一家について重い口を開いて話をしてくれたという。その家族は、戦争で一家全滅してしまい、その屋敷には誰も住んでいなかったが、部落の皆で草を刈り、綺麗に掃除をしているのだと・・・。その屋敷の石垣に、月桃の花がそっと咲いていた。それを見た海勢頭はすぐに歌詞と旋律が頭に浮かび、作曲したのがこの『月桃』であった。
月桃は、戦争を生き抜き、何を見てきたのだろうか。今の沖縄をどう見ているのだろうか。変わりゆく沖縄、変わりゆく私たちの心に、月桃は、静かにずっと平和の祈りを届けてくれている。
2017年6月23日
https://www.youtube.com/watch?v=g2KJoF4Qmp4
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18)光平有希(「ヒロシマと音楽」委員会委員)
曲名:鳥の歌 (カタロニア民謡 編曲:パブロ・カザルス)
《鳥の歌 El Cant dels Ocells》は、カザルスの編曲・チェロ演奏で有名なスペイン・カタルーニャ(カタロニア)民謡です。原曲は、カザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロル。歌詞では、キリスト聖誕を祝うため鳥達が集い歌う様子が描写されています。
この曲には1936年に勃発したスペインでの内戦が大きく関わっています。内戦の結果、敗北したカザルスの郷土であるカタルーニャの言語は公の場での使用が禁止され、カタルーニャ愛国主義と結びつく活動も制限されました。その後、カタルーニャ語の自由な使用が認められたのは、1975年以降。
そのような渦中、カザルスが94歳を迎えていた1971年10月24日――。国連の日を祝う演奏会がニューヨーク国連本部にて開催されます。このコンサートでは、カザルスが作曲した《国際連合への賛歌》が自身の指揮で初演され、当時の国連事務総長から、常々、音楽を通じて平和を訴え続けたカザルスへ国連平和賞が贈られました。《国際連合への賛歌》の演奏後、カザルスは静かに語り始めます。
「私は長い間、公の場でチェロを演奏していませんでしたが、また演奏すべきときが来たと感じています。」
運ばれてきたカザルス愛用のチェロを手にすると、彼はさらに続けます。
「カタロニアの民謡から《鳥の歌》という曲を演奏しようと思います。鳥たちはこう歌います。『Peace, Peace, Peace(平和、平和、平和)』と。そのメロディは、バッハ、ベートーヴェン、そして全ての偉人たちが賞賛し、愛したもの。そしてわたしの民族、カタルーニャの魂なのです。」
演奏活動の傍らつねに世界平和を訴えつづけ、「自由な政府になるまでは絶対に祖国に帰らない」と宣言していたカザルス。平和と自由と音楽を追い求めて生きた彼は、まさに「わたしと平和と音楽と。」の人でした。その想いと音楽に耳と心を傾け、継承していきたいものです。
2017年7月1日
https://www.youtube.com/watch?v=qKoX01170l0
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19)三浦ひろみ(ラジオ・パーソナリティ、被爆体験記朗読ボランティア)
曲名:悲しくてやりきれない(詩:サトウハチロー 曲:加藤和彦 編曲・歌:コトリンゴ)
社会現象ともなったアニメーション映画「この世界の片隅に」。昨年11月の公開後は口コミやSNSで評判が広まり、15週連続で興行ランキングのトップ10入りする他、様々な賞に輝くなど快挙を成し遂げています。
第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したこうの史代さんの同名コミックを、「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督がしっかりとした細かいリサーチと揺るがぬ信念でアニメ映画化。そして、主人公すずさんの声を演じたのは、改名した〝のん″。声優初挑戦だったのんちゃんが、まさにすずさんそのもの!様々なピースがピタッと合わさって、その輝きを放ち続けてロングラン上映の記録を作っています。
戦時中の広島県呉市を舞台に、ある一家に嫁いだ少女すずが戦禍の激しくなる中で懸命に生きていく姿を描き、市井の人々への讃歌とも言える「この世界の片隅に」。今後も広島の大切な映画として輝き続けることでしょう。そして、「この世界の片隅に」に寄り添い、映画に込めた監督の想いを音楽で見事に表現しているのがコトリンゴさんの曲です。すでにアルバム収録していた「悲しくてやりきれない」(原曲はザ・フォーク・クルセダーズが1968年にリリース。サトウハチロー作詞、加藤和彦作曲)が、まさに作品の世界を表現していると、片渕監督が熱望して決まったもの。さらにコトリンゴさんは、サントラも担当しています。最近、彼女のLiveを見たのですが、素晴らしい演奏(キーボード)に、ふわっと優しく包み込むような歌声でとても心地よい時間でした。「悲しくてやりきれない」を映画に使うにあたっては、彼女の思いもあって少し手を加えたそうです。数々のやりきれない出来事を経験しながらもなお、力強く生き抜いていく人々の心情を表した曲ともいえるのではないでしょうか。
5歳からピアノを初め、7歳にして作曲も始めていたというコトリンゴは、神戸の甲陽音楽院を卒業後、ボストンのバークリー音楽院に留学。その後NYに拠点を移しますが、2006年に、坂本龍一プロデュースでシンガーソングライターとして日本デビュー。卓越したピアノの演奏と、柔らかな歌声で聴く者を魅了するコトリンゴさん、さらに広い世界にたんぽぽの綿毛のように風にのって飛んで行き、可憐な音楽の花を咲かせてくれることでしょう。
2017年7月9日
https://www.youtube.com/watch?v=C8IYZkoWodE
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20)草谷緑(NHKチーフディレクター)
曲名:花は咲く(ベンガル語版)(詩:岩井俊二 曲:菅野よう子)
『花は咲く』(作詞:岩井俊二 作曲:菅野よう子)は、東日本大震災の復興支援ソングとして、さまざまな歌い手に歌われています。その中から今回紹介したいのは、ベンガル語バージョンです。
ベンガル語は、バングラデシュとインド東部で話されている言語です。バングラデシュは、親日的で穏健なイスラム国として知られていましたが、1年前、首都ダッカで起きたレストラン襲撃事件で開発援助のために訪れていた日本人7人を含む20人以上が命を落としました。
ともに犠牲者を悼み、さらなる絆のために祈りたい、という呼びかけに答えて、バングラデシュの国民的歌手、フォリダ・パルビンさんが歌ってくださったのがこの歌でした。
バングラデシュの音楽のテイストがミックスされた、独特のアレンジです。悲しみと祈りの思いのにじむ歌声が、聞くたびに心に沁みます。
このコラボは、NHKが17言語で海外に発信しているラジオジャパンが企画しました。私はそのベンガル語のグループで働いています。ダッカの事件は衝撃でした。いつも一緒に働いているバングラデシュ人の同僚が開口一番に「申し訳ない」と言ったことが忘れられません。
原爆も、災害も、テロも、日々の営みや素朴な信頼関係を切断する恐ろしい力があります。恐れや不信にとらわれず、人と繋がり、前に進まなければと思います。
2017年7月15日
http://www.nhk.or.jp/ashita/hanaboshu/video/20170710_2.html#video
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21)小川仁(日欧交流史研究者)
曲名:あゝモンテンルパの夜は更けて(詩:代田銀太郎 曲:伊東正康)
「あゝモンテンルパの夜は更けて」は、BC級戦犯としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受け、フィリピン、モンテンルパのニュービリビット刑務所に収監されていた代田銀太郎の作詞、伊藤正康の作曲により作られた楽曲であり、同刑務所に収監されていた日本人111名の、日本への望郷の念が込められた歌です。
彼らが戦犯を背負わされたマニラ軍事裁判の法廷では、杜撰な伝聞調査、虚偽の証言、通訳の不備、裁判執行者の報復感情などが災いし、不当な扱いを受けたり、無実の罪を背負わされるケースも多々あったと言われています。昭和27年6月、この歌の歌詞と楽譜が入った封書が、歌手・渡辺はま子のもとに届けられると、彼女は即座に行動に移し、同曲をレコード化して、戦後7年経っても、未だ帰国できない日本人らの存在を日本国内に広めました。そして、同年12月にはニュービリビット刑務所を訪れ、111人の戦犯らを慰問。そして、「あゝモンテンルパの夜は更けて」を彼らの前で涙ながらに熱唱したといいます。
さらに渡辺はま子は、当時、国交が無かったフィリピン政府当局に戦犯らの減刑と釈放を直訴し、全員の日本への帰国を実現させています。彼女の「歌により人を癒し、勇気づける」という姿勢は、歌手デビュー当時より徹底しており、昭和10年にハンセン病患者に取材した放送劇「小島の春」のラジオ主題歌「ひとり静」を歌って以降、終生を通じハンセン病患者の病院の慰問を続けたり、戦争が終わっても、巣鴨拘置所や傷痍軍人、戦犯家族への慰問を欠かさなかったことからも、その強い信念を窺い知ることができます。
「あゝモンテンルパの夜は更けて」のエピソードは、終結してもなお様々な災禍を招く戦争を通して、渡辺はま子が信じ続けた人々を救う音楽の力、可能性を明確に示していると言えるかもしれません。
2017年7月22日
https://www.youtube.com/watch?v=4Qx8Sj4AYeA
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22)松尾寿人(合唱活動)
曲名:合唱組曲「原爆ドーム」(詩:森川明水 曲:坪北紗綾香)
1 水の都・緑の都広島
2 八月六日八時十五分
3 原爆ドームは見た
4 人間は見た
合唱組曲「原爆ドーム」は,被爆70年にあたる2015年,元音楽教師で,あきシニアアンサンブル創団者の森川明水さんが作詞され,同団の指導にも当たっている坪北紗綾香さんによって,まずは児童合唱版が作曲され,8月10日のNHK広島児童合唱団の定期演奏会にて初演されました。次いでオーケストラ編曲版が同年11月23日,あきシニアアンサンブルの定期演奏会にて演奏されました。それらの演奏を聴いて,「子どもの明るい響きに大人の深い響きが加わると,より音楽が壮大になる。」と感じ,混声合唱版への編曲をお願いしました。
森川先生は,初演のパンフレットの中で以下のように述べられています。
「原爆ドーム」は百年の間,平和で豊かだった広島の街を,原子爆弾の炸裂で無残に崩壊した街を,屍が覆いつくした広島の街を,七十年もの間草木も生えないと言われた広島の街を,瓦礫の中で生きようとする人間を,復興に努力を続ける人間を,現在の復興を成し遂げた広島の街を見続けているのである。私は,「原爆ドーム」が見続けてきた広島の街を「原爆ドーム」の視点で見つめれば,新たな思いの詞が作られるのではないかと考えた。そして,「原爆ドーム」と人間が共に手を結び,原爆は非人間的なもので決して二度と使うべきではない,核兵器は地球上からなくすべきである,と世界に続く空に向かって訴え続けるべきであると強く思うのである。
今年2017年3月20日のあきシニアアンサンブルの演奏会で,オーケストラ+児童・混声合唱版は初演されました。その後,子どもと大人の声が効果的に聞こえるように改訂を加え,8月27日,呉混声合唱団第44回定期演奏会にてピアノ版での初演を行います。
これからも,このうたが広く歌い継がれていくことを願って。
2017年7月29日
https://www.youtube.com/watch?v=QAuHFWmK3Ys
フェイスブックで、新企画「わたしと平和と音楽と。〜好きな楽曲、紹介します〜」を始めました。
このコーナーでは、「ヒロシマ・ナガサキ」や「平和・反戦・反核」などに関連する好きな曲・おススメの曲を皆様に挙げていただき、随時ご紹介させていただきます。
つきましては、皆様の好きな曲・おススメの曲についての紹介文をお寄せください。ジャンルは問いません。また、曲自体がこうしたテーマを扱っていなくても、曲の中に「反戦平和がこめられている」と感じた曲でも構いません。200字程度で、簡単な自己紹介・曲名・好きな(おススメする)理由を書いて、「お問い合せ」にあるフォームでお送りください。
お送りいただいた内容は、1投稿ずつフェイスブックに掲載させていただきます。また、20投稿ごとにまとめてホームページ上でも紹介させていただきます。
なお、当委員会のフェイスブック(facebook)はHOME画面の下側に出ています。どなたでも閲覧できますので、ぜひご覧ください。
「ヒロシマと音楽」委員会では、「ヒロシマ・ナガサキ」に関連する音楽作品の上演情報(全国)を発信していく予定です。
今後これらの音楽作品を上演する機会がありましたら、コンサートのチラシと情報をお寄せください。
いただいた上演情報は、「ヒロシマと音楽」委員会のフェイスブック(facebook)に掲載させていただきます。
当委員会のフェイスブックは、「HOME」画面の下側にあります(どなたでも閲覧可能です)。
まずはコンサートの概要(200字程度)を、「お問い合わせ」にあるフォームから送信してください。
レクチャー・コンサート「悼〜日本の祈り・ヒロシマへの祈り」 開催しました
レクチャー・コンサート「悼〜日本の祈り・ヒロシマへの祈り」を、7月9日(土)に広島市南区民文化センター・スタジオにて開催しました。
前日までの大雨は朝になって止み、少し蒸し暑くなりましたが、当日は100名近い来場者をいただき盛況に終えることができました。ご来場していただいた皆様、また出演者の皆様には心より御礼申し上げます。
ピアノ・ソロ(ピアノ:桂杏子)
吉松隆《水によせる間奏曲》、《鳥のいる間奏曲》、《傾いた哀歌》
竹西正志《哀傷Ⅰ》、《哀傷Ⅱ》
フルートとピアノ(フルート:藤川真由美、ピアノ:藤本佳奈美)
川崎優《祈りの曲第5「暁の祈り」》、《祈りの曲第6「夕べの祈り」》
フルート・ソロ(フルート:藤川真由美)
福島和夫《レクイエム》
朗読とピアノ(朗読:三浦ひろみ)
朗読とピアノ(朗読:三浦ひろみ、ピアノ:桂杏子)
橋爪文 詩集『地に還るもの天に昇るもの』より、『昆虫になった少年』より
×吉松隆、三善晃、野村茎一のピアノ小品
司会と解説(能登原由美)
プログラム 下記をクリックしてご覧ください。
以上
本公演で出演を予定していたフルートの山本綾香が、体調不良により出演できなくなりました。山本の代わりとして、藤川真由美がフルート奏者を務めることに なりました。
出演者の変更につきまして、心よりお詫び申し上げます。
また、ご来場予定の皆様にはご了承いただければ幸甚です。何卒よろしくお願い申し上げます。
中国新聞で紹介されました
被爆した作曲家の作品から、被爆者の心情に思いをはせるレクチャー・コンサートが7月9日、広島市の南区民文化センターである。「ヒロシマに関する音楽作品の発掘やデータベース化に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会が企画した。
8月6日の平和記念式典で毎年演奏される「祈りの曲第1『哀悼歌』」の作曲で知られる川崎優。市内の親戚宅で被爆した川崎の祈りの曲シリーズから、第5「暁の祈り」と第6「タベの祈り」をフルートとピアノで奏でる。原爆投下当時、広島一中1年だった竹西正志の作品も2曲。動員学徒の遺品を扱ったNHKのドキユメンタリー番組のテーマ曲「哀傷Ⅱ」と、「哀傷Ⅰ」をピアノの独奏で届ける。
広島在住の音楽家が演奏。ピアノをバックに、被爆詩人の橋爪文の詩の朗読もある。
午後6時半開演。2千円(前売り1500円)同委員会のメール(hirongaku @hirongaku.com)から申込む。
(余村泰樹)
このコンサートは、被爆者によって作曲された音楽作品の上演や被爆詩人の詩の朗読を通して、被爆によってもたらされた心の傷に思いを寄せ、想像することを主旨とするものです。さらに、被爆とは関係はありませんが、死者に思いを馳せながら作られた日本の「レクイエム(鎮魂歌)」も奏でることにより、日本の死生観や心性を感じることも目的としています。曲の前後には解説を交えることにより、「死者への悼み=生き残った者の傷み」を「音」を通じて感じる場となることを目指します。
チラシを作成しました。ご利用ください。
なお、このチラシは下記をクリックして印刷が可能です。
日時 : 2016年7月9日(土)18時半開演(18時開場)
場所 : 広島市南区民文化センター スタジオ
入場料: 前売り/1500円・当日/2000円
主催 : 「ヒロシマと音楽」委員会
は 次のプレイガイドに置いています。当日券は2000円。
エディオン広島本店(本館)プレイガイド Tel 082-247-5111
広島市南区民文化センター Tel 082-251-4120
お問い合わせは : 「ヒロシマと音楽」委員会 HP の hirongaku@hirongaku.com お問合せ へ