主旨

  昭和20年8月6日の原爆投下により壊滅的な被害を被った広島の音楽文化も,現在ではプロのオーケストラを抱えるとともに全国有数のオペラ活動推進地となっている。こうした広島の音楽活動,とりわけ洋楽文化の発展は,呉の海軍軍楽隊,広島高等師範学校の音楽教員の活動,広島女学院に赴任したアメリカ人宣教師の活動など,さまざまな人々の尽力により,明治から大正にかけて洋楽の流入が促進された結果であったと考えられる。また,音楽伴奏を伴う無声映画やレコードの普及,さらに昭和初期に始まったラジオ放送がその浸透に拍車をかけたものと思われる。けれども,原爆投下により多くの人材と文化財,また資料が消失した広島では,戦後の様子が語られることは多いのに対し,戦前の音楽活動が振り返られることはこれまでほとんどなかった。そこで,「『広島の音楽史』編纂プロジェクト」を立ち上げ,広島における洋楽の普及と受容の過程を,戦前からの流れを含めて改めて追求することとした。またそのことにより,「ヒロシマ」という壊滅的な破壊を受けた一都市の文化復興の過程,様子を明らかにする。

 

ヒロシマと音楽

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