第一期(1945~51年)

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作曲年発表年 曲 名 作詞者名 作曲者名 楽譜 音源 関連年表
1945 独り息づく 桑名茗革 木野普見雄 ・広島・長崎に原爆投下
1945 鬼の哭く 桑名茗革 木野普見雄 ・GHQ(連合国軍総司令部)
プレスコード発令
1946 原子爆弾に寄せる譜 山田耕筰
1946 広島復興音頭 村山洋(補作・葛原しげる) 岩田真次 ・広島・長崎に白血病患者出はじめる
1946 歌謡ひろしま 山本紀代子 古関裕而 ・米、ビキニ環礁で原爆実験
1946 長崎復興音頭 大串邦雄 木野普見雄
1947 ひろしま平和の歌 重園贇雄 広島教育音楽連盟、山本秀
1947 永久に生きむー永井隆へ 島内八郎 木野普見雄 ・米国学士院=米国学術会議の原子爆弾調査委員会
が広島日赤病院で被爆者の調査始める
1947 あヽ学徒群 須田伊波穂 木野普見雄 ・日本国憲法施行
1947 憶うこと 有富星葉 木野普見雄 ・広島市で第1回平和祭
1947 新天地・平和音頭(広島) 不詳 不詳 ・天皇広島を訪問
1948 しらゆりおとめ 永井隆 木野普見雄
1948 基町音頭 益井昭夫 山本寿 ・被爆3周年「ノーモアヒロシマズ」
「世界平和は広島から」のプラカードを掲げ
広島市民が市内をデモ行進
1948 夏雲 島内八郎 木野普見雄
1948 ヒロシマの歌 大木惇夫 乗松昭博
1948 復興小唄(広島) 木下春男 不詳 ・大田洋子『屍の町』占領軍の検閲で一部削除
1948 新ひろしま音頭 粟村純造 不詳
1948 広島復興の歌 藤井啓市 山本寿
1948 本曲 平和の山河 島原帆山 ・極東国際軍事裁判、東条英機ら7人に絞首刑
1948 鳩と虹 大木惇夫 山田耕筰
1948 平和を讃える三つの歌 1.ものみなの 湯川秀樹 山田耕筰
1948 平和を讃える三つの歌 2.あめつちに 斉藤茂吉 山田耕筰
1948 平和を讃える三つの歌 3.燔祭の 永井隆 山田耕筰
1949 長崎の鐘 サトウ・ハチロー 古関裕而
1949 交響曲第2番「ヒロシマ」 エルッキ・アールトネン
1949 ヒロシマ平和都市の歌 大木惇夫 山田耕筰 ・パリとプラハで第1回平和擁護世界大会
1949 一九四九年八月六日に寄せる歌“ヒロシマ” ブランデン 山田耕筰 ・長崎で被爆した医学博士永井隆の病床記録
『長崎の鐘』が話題になる
1949 平和は長崎から 島内八郎 木野普見雄 ・天皇長崎を訪問
1949 平和の誓い 島内八郎 木野普見雄 ・広島平和記念都市建設法公布
1949 あの子 永井隆 木野普見雄 ・長崎国際文化都市建設法公布
1949 南天の花 永井隆 山田耕筰 ・ソ連原爆実験
1949 棄てましょうブキ 三木鶏朗 三木鶏朗
1949 復興の歌(長崎) 植田鈴子 木野普見雄 ・湯川秀樹ノーベル賞受賞
1949 新長崎文化音頭 長崎市学務課編 木野普見雄
1949 新長崎音頭・ばってん音頭 宮村有人 木野普見雄
1950 広島ヤッサ 吉田文五 不詳 ・丸木位里・赤松俊子連作「原爆の図」発表
1950 ・第4回平和祭中止
1950 舞踊組曲「水の精へのセレナーデ」 大澤壽人
1951 しろばらの(永井隆博士辞世の歌) 永井隆 山田耕筰 ・原民喜自殺45歳
1951 平和の光 初代中尾都山
1951 子らのみ魂よ 島内八郎 木野普見雄 ・広島原爆被害者更生会結成
1951 交響詩「広島」 木下夕爾 宮原禎次 ・峠三吉『原爆歌集』刊行
1951 遠き日の 原民喜 団伊玖磨 ・日米安全保障条約調印

 

原爆音楽の軌跡 第一期(1945~51)2013年9月22日 更新
随時、追加・修正をおこないます。

●  関連年表:参考文献
芝田進午ほか編『反核・日本の音楽』汐文社、1982年
中国新聞社編『年表 ヒロシマ~核時代五十年の記録~』 メディア開発局出版部 1995年
室伏哲郎著 現代用語の基礎知識2003別冊付録『ニッポン風俗・芸能グラフィティ』自由国民社2003年

ヒロシマと音楽