数年前に日本現代音楽協会の会報(NEW COMPOSER 1999 Vol.1)に寄稿したヒロシマへの想いを、以下に転載する。また、いまの活動について若干最後にご紹介しようと思う。
『地方通信』 フロム ヒロシマ
「広島」を「ヒロシマ」とカタカナで表記することにより、この都市の名称は、特異なメッセージ性を帯びることになる。もちろん、これはただ一つの核爆弾が一瞬にして20万人近い人の命を奪ってしまった悲惨さと、そのような状況を作り出してしまった人間の愚かさとによっている。
数年前、私がこの地に来たのは、ただ単に売れない作曲家が定職を得るためのものであったが、程なくして、この「ヒロシマ」という重いテーマに向き合わなくてはいけないことになる。1995年、日本は戦後50年を迎えたが、広島では「被爆50周年」という表現になって報道され、一般化していた。この折、中国放送は「ヒロシマと音楽」実行委員会というものを組織し、そこから「ヒロシマ」をテーマとした弦楽四重奏曲の作曲の依頼を受けたのである。その時は、戦争を知らない世代の自分にとって、このテーマはとてもヘビーで手に余り、やや未消化であったが、いま考察し直してみると、当時なんとなく感じていたことは、悲惨さとか、人の愚かさとかいったことは一気に突き抜けてしまったところにある、何もない透明な「空白」感とでもいったようなものであったと思う。これは広島に来てすぐに訪れた原爆資料館でショックを受けた後、コンクリートで覆われた平和記念公園に、初夏のぎらつく太陽光線が乱反射し、目の前が露出オーバーで真っ白になった時や、夏になると毎年何度もRCCテレビで放映されている被爆当時のキノコ雲と、その後に広がる廃墟の映像をぼんやりと眺めている時、そして、その廃墟の記憶が、もうほとんど消えてしまい、アジア的デコレーションが施された市街を歩む人々の顔が、みな妙に均質に見えてきた時などに感じていたことである。この「何もない」という感じは、生命体が記憶している時間や、空間の感覚がすべてストップしてしまい、その結果生じたゾッとするほど深く広がる虚無の歪みとでもいったものである。しかし、これに似た空白感は、爆心地である広島に限ったことではなく、この時代においては至る所で感じられるように思う。 たとえば、朝日新聞紙上の「世紀末通信」というコラムで、塚原史氏(二十世紀文化史)、樺山紘一氏(歴史)、村上陽一郎氏(科学史)、今福龍太氏(人類学)、ジュリア クリスティヴァ女史(哲学)などの学者諸氏が述べていた「200年前に生まれた人間の自由や欲望を前提とした文明という考え方が、方向性を見失ってきていること」や、「世界を全体としてとらえるテクノロジーが失われ、現実感が喪失してきていること」や、「テレビに代表されるメディアが作り出しているスペクタクルなイメージの氾濫が、人間の想像力を殺してしまっていること」、そして「戦争と流血を繰り返した20世紀は、芸術の世界においても、伝統や過去の様式を切断し、破壊を繰り返し、そこに切断する過去もなくなって『空白』に辿り着いた」というようなことと密接に関わっていると思う。
このような時代の「空白感」を前に、いまアートの役割はとても大きくなってきているように思う。もし仮に、前衛芸術が宗左近氏(詩人)のいうように、「彼方へ誘う力」と「此方を破壊する力」を持ち得なくなったとしても、この途方もない空白感から新たな一歩を踏み出さなくてはならないであろうし、だとしたら、やはりその一歩は、各個体のレヴェルで時代と厳しく対峙する姿勢を維持しつつ、「伝統」と向き合い、「根源」を探っていくことから始まるのだろうと思う。
大切なことは、このような真摯な姿勢を持った新しいアートが、絶えず生み出されているような状況を世界の至る所に設定してゆくことなのかもしれない。
「未来のヒロシマへの想い」
広島に住み、広島で創作活動を続けて、もう11年が過ぎようとしている。作家として広島に生活していると、内外からいろいろな声が聞こえてくる。どうも世界は、広島で新たな歌が生み出されるのを待っているようである。しかし、広島から新たな文化的メッセージが発信されているようには、あまり感じられない。広島が世界に冠たる文化都市になることが、いまの文明という考え方が生み出したと思われる閉塞感や精神的荒廃から脱却するひとつの光明になりうるだろうに。さて、ひとりの作家が広島の地で、いま出来ることは何であろうか。近所の子どもたちのために、いまここに「ある」ことの素晴らしさを歌った合唱曲を書いた。歌詞には彼らの名前を散りばめた。構造を追及するあまり力を失いかけているように感じる西洋音楽に、日本民謡のコブシや掛け声の美学を導入し、ヴァイオリンやサックスの曲を書いた。しかし、これでは新たな文化を発信するには、まったく足らない。もっと多くの新たに創造された作品が、このヒロシマの地で音にされる状況を作る必要がある。そこで「子ども未来音楽公房」という音楽企画制作をする団体を立ち上げてみた。また、広島大学に「広大アートファーム」という社会とアートをつなぐアートマネージメントの研究・実践を行う学生中心の団体も立ち上げてみた。モダンピースを専門とする若いアンサンブルも組織してみた。さて、この先なにを・・・。
(久留智之・広島大学大学院助教授、広島市在住)