この作品は、バイエルン放送の主催するミュンヘンの現代音楽祭「ムジカ・ヴィヴァ」(BMW作曲賞とARDドイツ放送協会)の委嘱作品として作曲した。この委嘱作品は、国籍の異なった3人の作曲家に与えられ、そのテーマは、「 21世紀を迎え、伝統的な合唱、独唱、オーケストラを使った音楽で、こうした形の編成は新世紀に生き残ることができるか」というものであった。作品の内容は自由だが、一曲で一晩のコンサートが可能な、独唱者、合唱を伴う大きなオーケストラ作品〔70分から90分〕を書いてほしいということだった。
私は1989年に《ヒロシマ・レクイエム》、第一楽章〈前奏曲・夜〉、第二楽章〈死と再生〉を書いた。それに1991年に〈夜明け〉を作曲し、これを第三楽章として、この《ヒロシマ・レクイエム》は全三楽章で完結したはずであった。しかしその後、この作品が日本とヨーロッパで何度か再演されるうちに、第三楽章が、一、二楽章の重みに比べて、簡単に終結してしまうことに不満を持ち続けてきた。
「ムジカ・ヴィヴァ」からの委嘱を受け、私はこの《ヒロシマ・レクイエム》をもう一度、創りかえる決心をした。一、二楽章はほぼそのままにして、第三楽章であった〈夜明け〉はこのレクイエムからはずし(この作品は、独立したオーケストラ作品として演奏することが可能である)、新たに三つの楽章を書き加えた。全五楽章の《ヒロシマ・声なき声》がこうして生まれた。
第一楽章「前奏曲・夜」
《ヒロシマ・レクイエム》の第一楽章とほぼ同じ。多少、オーケストレーションを改変した。何か恐ろしいものがやってくる予兆としての音楽。音響は洪水のように、海の波が押し寄せてくるようにやってくる。
第二楽章「死と再生」
二人の子供〔少年と少女〕と、一人の大人〔英語〕の朗読は、『原爆の子』〔岩波書店〕から、取った。これはヒロシマの原爆にあった子供たちの手記である。この手記を書いた子供たちは、ちょうど私の両親の世代である。合唱はラテン語のレクイエムのテクストを歌う。テープは、戦時中のラジオ録音等から編集した。(編集協力、フォンテック・松田朗)
第三楽章「冬の声」
パウル・ツェランの詩「帰郷」による。冬の音風景。どこまでも続く墓の丘に降り積もる雪。歌が沈黙に浸透されていく。後半になって、円を描く時間が「空白」、「沈黙」に向かって、ゆっくり旋回していく。この沈黙の場所は、恐怖であると同時に、大きなやすらぎの時間、空間でもある。
第四楽章「春のきざし」
アルトが芭蕉の句「よくみれば、なずな花咲く垣根かな」を歌う。「よく見れば」、小さな目立たない花が、世界の片隅に懸命に咲いている。「よく聴き」、「よく感じられれば」春はもうそこまで来ている。
第五楽章「梵鐘の声」
梵鐘の一つの響きは、人の心を癒す力があるという。芭蕉の句「月いづこ、鐘はしづみて海の底」を合唱は歌う。月の見えない夜、深い静けさを持った海の風景。かつて梵鐘が海に沈んだという伝説がある。そこには聴こえない鐘の音が、海の奥底から聴こえてくるようである。合唱とオーケストラは、梵鐘の響きをイメージした音の形も持ち、何度も歌うことによって、鐘を虚空に向かってつこうとする。祈りの音楽。私がここ数年追求している梵鐘様式による音楽。
新しく書き加えられた三つの楽章は、それぞれ、第三楽章―ヘルムート・ラッヘマンに、第四楽章―2000年に生まれた私の娘、恵里に、第五楽章―ヴァルター・フィンクに捧げた。
《ヒロシマ・声なき声》は、私がこれまで書いたもののなかで、オペラ《リアの物語》を除くと、もっとも長大なものであり、私のさまざまな音楽思想が集約されている。
なお、スコアの最初のページに次の言葉を引用させてもらった。
「東洋文化の根底には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものがひそんでいるのではないだろうか。我々の心はかくのごときものを求めてやまない」
歌詞
Ⅱ Requiem aeternam dona eis Domine. et lux perpetua luceat eis Domine. Te decet hymnus Deus in Sion Kyrie eleison. |
二楽章 神よ、彼らに永遠のやすらぎを与え、 あなたの光で満たしてください。 神よ、人々はシオンで、あなたをたたえ、 主よ、あわれみたまえ。 |
Ⅲ “Heimkehr”by Paul Celan Schneefall, dichter und dichter Weithin gelagertes Weiβ. Darunter,geborgen, Aufjedem, Dort:ein Gefuhl, HEIMKEHR aus “Sprachgitter” von PauI Celan |
三楽章 帰郷 パウル・ツェラン 雪が降る、しんしんと深く はるかに積み重なる白。 その下に、隠されて、 どの盛り土の上にも、 そこでは、感情が、 (対訳:小田智敏) |
Ⅳ. Haiku by Basho 四楽章 芭蕉 よく見れば なずな花さく 垣ねかな |
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Ⅴ. Haiku by Basho 五楽章 芭蕉 月いづこ 鐘はしづみて 海の底 (C) 2001.Schott Japan Company Ltd. |
(細川俊夫・作曲家・長野県在住)