被爆50周年にあたる1995年、「ヒロシマ」、「反核」などをテーマに数多くの作曲家が残してきた音楽作品を未来に継承しようと、広島の放送局である(株)中国放送と音楽関係者、さらに広島市関係機関が協同して「ヒロシマと音楽」実行委員会を組織し、「ヒロシマと音楽」資料作成事業を始めました。
この事業は、歌謡曲からクラシック音楽にいたるすべての音楽ジャンルを対象に、「ヒロシマ」や「原爆」、「核兵器廃絶」に関わりのある音楽を掘り起こし、作品に関する情報(作者、作品の生み出された背景など)の収集と資料化、音源の確認(テープやレコード、CDなどに録音・保存されているか)を行い、データベース化しようとするものです。
2002年3月には、データベースの作成をほぼ終えたのに伴い、それまで運営面や資金面などにおいて中心的役割を果たしていた中国放送が事業から撤退、「ヒロシマと音楽」実行委員会が解散されました。しかし、同年11月7日、実行委員有志によって「ヒロシマと音楽」委員会が新たに結成し、新しく生み出された作品などの収集とデータ化事業を再開しました。(本サイトを運営しているのが、この「ヒロシマと音楽」委員会です。)
事業がスタートしてから10年が経過した2004年3月、それまでに収集しデータ化した1867曲の作品をより広く内外に紹介したいと、データは(財)広島平和文化センターに引き渡しました。しかし、その後も事業は引き続き行い、2006年7月には、当委員会が収集した音楽作品の目録・年表とともに、「ヒロシマと音楽」のこれまでの歩みやその意義、作者の思いなどをまとめた本を、『ヒロシマと音楽』というタイトルで汐文社から出版しました。
また、2010年より「ヒロシマ・音の記憶」コンサートを行っています。このコンサート・シリーズは、毎年1回、5年間開催することを目標に始めた活動です。「ヒロシマ」をテーマとしながらも、時代や地域を超え普遍性のある優れた音楽作品を見い出し、伝え残していくことを主旨とします。同時に、「ヒロシマ」を戦前から続く「広島」という都市の歴史の中に改めて位置づけることにより、過去の一時点に留まらず、現在から未来までも含めて流動していく人々の営みとその繋がりを、音を通じて紹介していきます。第4回目となる今年度のコンサートでは、被爆直後の広島で、復興のために合同合唱団の結成やチャリティー・コンサートの開催などで奔走した高校生(「広島学生音楽連盟」)に焦点を当てて制作したドキュメンタリー映画の上映と共にコンサートも行い、当時の若者が音とともに惨劇を乗り越えていった様子について振り返り、紹介することを目的としています。
現在もなお、新たに生み出されたり掘り起こされたりする作品のデータベース化を委員の手により行っています。