《弦楽合奏のための「広島レクイエム」》
この曲は1979年に作曲、翌年広島市に寄贈する。1980年に演奏される予定であったが、技術的に演奏が難しいという事で延期となり、今回が初演である。今回の演奏にあたり、前半を大幅に書き直した。
両親共に広島県生まれ、但し呉市在住の為、直接原爆にあうことはなかったが、父は原爆投下後2日で広島市に入り、死体処理をする。小さい頃から、8月6日になると、両親やその友人達から原爆の話は聞かされ、幼いながらも、その恐ろしさを感じとっていたように思う。小学校の時、原爆資料館を見学し、嘔吐感を覚えるほどの恐怖をいだき、それ以後、「原爆」から目をそらしてしまった。改めて「原爆」に目を据えたのは、大学入学の為に広島を離れて上京してからである。広島市に生まれ育ち、また生き残った者として、「原爆」を許すことはできない。この曲は、いつかは絶対に書かなければならないと思っていた曲なのである。
この曲の前半部分は、原爆で傷つき死んでいった人々のうめき、悲しみを、後半は、その人々が苦しみからのがれて、神のもとへ赴き、神のひざもとでやすらかに眠れるようにとの祈りである。
今回の演奏にあたり、この曲をプログラムに組み込んで下さったバーンスタイン氏、指揮の大植氏、演奏して下さるECYOの皆さん、そしてこのような機会をさずけてくださった神に感謝致します。
《未風化の七つの横顔 ピアノとオーケストラのために》
戦後60年。原爆被災者も高齢化が進み、原爆の語り部も年々少なくなってきました。広島や長崎における「原爆の日」のセレモニーは毎年行われるものの、人々の中でだんだんと「風化」していく感は拭いきれないものがあります。この曲のタイトルにある「未風化」とは、いまだ風化していない、いや風化させてはならない、という気持ちを表した言葉です。原爆で傷つき死んでいった人々の思いを、また残された者の悲しみ、憤り、諦め、そして祈りの気持ちを七つの楽章で表現しました。これらは続けて演奏されますが、曲の始めと終わりに出てくるチューブラベルは祈りの鐘の音です。
自作「広島レクイエム」の初演から20年。広島に生を受けた者として、今一度「原爆」に真正面から目を向け、自分の中で再認識し、風化させない為に・・・・・。
(糀場富美子・東京音楽大学教授、東京都在住)