わが信条

永井 主憲

  先日、溜まっていた雑務の整理をしながら見るともなくテレビを見ていたら、驚くべき言葉が耳に入ってきた。曰く「今でもカトリックに関係ある言動は勿論、旧教という言葉すら使うことを禁止している学校が、ある都市にある」というのである。

  文化国家を以って自負している日本人にこんなところがあったとは、正に寝耳に水、別に、取り立てて目尻をつり上げる程の問題ではないとしても、旧教という誤った訳語から、「旧い教えなら悪かろう」といとも単純に侮られてしまう狭心さが妙に気になる。

  事実、そう、200年以上に亘る殉教の歴史は、今日殆んど知る人もいない。30万人にも及ぶこれら殉教者の偉業は寧ろ西欧諸国の人達から正当に評価され尊敬されている。26聖人の年には多くの外国人巡礼団がやってきた。我々は、我々が世界に誇り得る唯一のもの、この一事をして世界中の人が憧れ尊敬してやまないものを、あまりにも知らなさ過ぎはしなかっただろうか。神の前に自分を恥じ、心から人間として最善の道を歩もうとしていた人々を、日本人自らの手で苦しめたという恐ろしい事実を、我々はもっとよく知る必要があるのではないだろうか。

  かつて研究室の一行と取材、実地調査のために現地へ行き殉教者の血を吸い込んだ土の上に実際に立ってみて、初めて私もそれを強く感じた。けれども決してそこに小説的な筋とか、殉教者の数等を期待してはならない。キリシタンの時ほど残酷ではないとしても、ローマの時代にはもっと沢山の人が殺されたし、原爆でも多くの人が死んだ。大切なのは、彼らにとって神は特別な切り離された存在ではなかった、という事なのだ。

  原爆作品でも、そのことに目が向けられるべきで、万一小説的な筋や、面白さを期待したとすれば、誠にお気の毒なことと相成る。

  恐らく彼らは、「キリシタンを捨てよ。そうすれば赦してやる。」と言われた時、「人間をやめろ。お前は何故人間なのだ」と言われたに等しく、不思議な、理解し難い注文だと感じたに違いない。神は、彼等の光であり言葉であり、全てであったから。

  五島列島の福江で、私達が島にある教会を巡って歩いていた時、山道の途中で20人くらいの人達に出会った。杖をついた老婆や、お母さんに手を引かれた子供達である。注意して見てみると何と我々が1時間近くも前に訪問した教会での御ミサの帰りだったのである。

  バスも電車もない島で、1時間近くもデコボコ山道を歩いて、先祖代々教会へ通ってきたのだ。恰も我々が朝起きて顔を洗うが如く。

(永井主憲・エリザベト音楽大学名誉教授、広島市在住)

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