「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 12月13日(土)18:00~広島流川教会で開催しました。
47年のクリスマス音楽礼拝再現
復興のメサイア 時を超え
12月13日 広島流川教会で
被爆地ヒロシマの年の瀬に、平和を願って響くヘンデルの「メサイア」。その歌声を広島県内に広げるきっかけになったのが、被爆2年後に広島流川教会(広島市中区)で開かれたクリスマス音楽礼拝だ。ラジオで県内に届けられた礼拝を再現するコンサート「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」を12月13日。
広島流川教会で開催しました。「ヒロシマ・音の記憶」の最後を飾るシリーズ第5弾。
広島流川教会 「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 看板
皆さん、今晩は。本日、皆様と共に1947年に持たれたクリスマス音楽礼拝の復元演奏に立会えましたことをとても嬉しく思っています。私はこの広島流川教会の牧師であります向井希夫と申します。
今回の企画のためにご努力いただきました「ヒロシマと音楽」委員会の皆様、そしてさまざまな面で、ご協力いただきました多くの皆様に、心から御礼申し上げます。私達広島流川教会の歴史の一ページでもありますクリスマス音楽礼拝について、教会外の方々の働きによって復元出来ましたこと、そして1947年の音楽礼拝に、人々のどのような祈りが込められていたのかを67年の時を超えて思い起こすことを出来ましたことは、とても意義深いことがらだと感じております。
私たちは、この広島の地で、被爆の地で、クリスマスに音楽礼拝が持たれた意味を考えます。聖書おけるクリスマスのメッセージは、先ほどお読みいただいた聖書の中で、天の軍勢、御使いに加わり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦ふ給う人にあれ』とてもシンプルな内容です。神様が居ます天には栄光、そして、我々が生きている地上には平和があるように、ただこれだけです。しかし、我々が生きている地上には人々の間に、隔ての壁があり、さまざまな争いが存在しています。1947年当時、そして現代においても、そのような現実の中で、その出来事は平和を求め、志すところでは、聖書の言葉では、平和を作り出そうとするところでは、隔ての壁を乗り越えていくことが出来ることを示してくれています。当時、敵として闘った日本とアメリカ。原爆を落とした側と被爆した広島。 それを越えてメサイアの楽譜がアメリカから送られて来たのです。そして、ひとつの教会という枠組みを超えてあらゆる立場や考えの人達が、メサイアの歌声をこの被爆の地で、聞かせたいと願い、隔ての壁を乗り越えて、協力し、音楽礼拝が実現して来たのです。今回もそうであります。ただ我々が生きている地上では、平和があるようにとの祈りに支えられ。
それと、もう一点、音楽の力です。皆様がお持ちの資料の中で紹介されている楽譜を送って下さったコンディットさんの谷本牧師へのハガキの一説。「あなたのお役に立つようなものが何か・・あるかしら」との申し入れに対してメサイアの楽譜であったという一点です。当時、谷本牧師、また広島流川教会では、あらゆるものが不足していたでしょう。その中で、音楽の楽譜が送られて来たことに深い意味を感じます。整えられた言葉、ましてお金や物ではなく、であります。心の底から湧きあがって来る音楽には、平和を願う思いと共に、隔ての壁を乗り越える力があると思います。
これを機会に過去から学ぶことによって、地には平和の実現のために、この広島の力 音楽を奏で、祈りを合わせることが、皆様と共に出来れば幸いです。 皆様の上にクリスマスの恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りします。
(DVDより、再録)
プログラム p1-16 下記をクリックしてご覧ください。