二葉あき子さん歌碑 建立事業始まる

二葉あき子歌碑建立趣意書

歌碑建立の趣旨
二葉あき子(本名:加藤芳江)は、大正4(1915)年2月2日、広島市東区二葉の里で生れました。昭和9(1934)年、東京音楽学校在学中に日本コロムビアから「四つ葉のクローバー」と題する教育音楽を吹き込み、以降、音楽一筋の道を歩み、平成23(2011)年に亡くなるまで、昭和・平成の二世代にわたつて歌い続け、「夜のプラットホーム」「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」「さよならルンバ」など数多くのヒット曲で、わが国の歌謡史を飾る代表的な歌手として活躍してきました。
昭和20(1945)年8月6日、広島への原爆投下の際は偶然被災を免れ、それ以降反戦平和への気持ちは人一倍強く持ち、特に「夜のプラットホーム」「フランチェスカの鐘」は、原爆犠牲者への鎮魂の歌として終生歌い続けてきました。
こうした二葉あき子の歌に込められた思いを後世に伝えるため、モニュメントを建立して彼女の功績を末永く称えたいとの思いと同時に、広島市が提唱している「国際平和文化都市Jの魅力づくりの一環として役立てたい、との考えで取り組もうとするものです。建立の場所、採用の歌詞などは次のとおりであります。

歌碑の概要
歌碑建立委員会で具体的な仕様を検討していきますが、本事業を成就させるためには、広く皆さま方からのご協力を必要といたしますので、建立の趣旨をご理解いただき何分のご協賛を賜ります
ようお願い申し上げます。
建立目標額   500万円
募金基準額   2000円以上(2000円以下でも申し受けます)
除幕予定日 平成27(2015)年8月中の完成を目途としています。

設置場所と歌詞
彼女の生誕地、東区鶴羽根神社近くの「二葉の里歴史の散歩道Jの一角を予定し、歌詞は彼女の代表歌の一つであり、広島駅に近いことから「夜のプラットホーム」を刻むこととしています。この歌は、太平洋戦争時に作られたもので、出征兵士を送る歌で悲しい別れの場面が連想されることから、戦時中は軍部から発禁処分となつたという経緯がありました。昭和22年以降、二葉あき子が「二度とこんな別れの光景を見ることのないように」との願いを込めて歌い、大ヒットしたもので、モニュメントとしての意義は大きなものがあろうかと考えられます。

歌碑建立委員会事務局
〒732-0044 広島市東区矢賀新町四丁目4番10-202号(上村和博方)
二葉あき子歌碑建立委員会
TEL&fax 082-288-2675 携帯 090-8602-1043

参考
中国新聞 二葉あき子さん生家近くに歌碑 市民有志、協賛金募る
中国新聞20130827二葉あき子歌碑

ヒロシマと音楽

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