「広島 愛の川」中沢啓治作詞、山本加津彦作曲 6月CDにて発売
「広島 愛の川」中沢啓治さんの未発表の詩に、中沢さんがファンだった歌手の加藤登紀子さんが歌う
作曲の山本加津彦さん、中沢さんの詩にメロディ 『歌を通じて中沢さんの思いを受け継ぎたい』
「広島 愛の川」
愛を浮かべて川流れ 水の都の広島で 語ろうよ川に向って 怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ流れ行く
愛を育てた太田川 手取り駆けった川堤 伝えよう川に向って 怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ流れ着く
愛する我が子に頬ずりし 姿川面に写す日々 誓おうよ川に向って 怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ巡り行く
漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんの未発表の詩「広島 愛の川」に曲をつけたCDが6月25日、ユニバーサルミュージックから発売される。東京在住の作曲家山本加津彦さん(34)が曲を作り、歌手の加藤登紀子さん(70)が歌う。ゲンの閲覧制限問題を受け、山本さんは「中沢さんが作品に込めた純粋な思いを音楽を通して幅広く伝えたい」と力を込める。
「愛の川」は、ゲンの連載40周年を記念して昨年6月、広島市中区であったイベントで妻ミサヨさん(71)が初めて朗読した。
山本さんはアイドルグループのAKB48や東方神起、JUJUの楽曲などを手掛ける。大阪出身で親族に被爆者はいないが、幼少からゲンに親しんだ。新聞で詩を知り、「怒りや悲しみを作品にぶつけていた中沢さんが詩で表現した『優しさ』は重みと深みがある」と感動した。
メロディーを付けたいとの思いを抱えて広島市にミサヨさんを訪ね、交流を重ねた。「原爆と縁もゆかりもない自分が関わっていいのか」と葛藤しながら作曲を申し出ると、ミサヨさんは快諾。「せつかく作るなら良いものを」と後押しされた。
3番までの詩を約6分間の作品に仕上げた。CDには、中沢さんがファンだった加藤さんが歌う約30人編成のオーケストラバージョンと、児童合唱の2パターンを収録。7日から東京でレコーディングを始める。
(2014年4月4日中国新聞記事より)
福山雅治さん「クスノキ」を発表
長崎市出身の歌手で俳優の福山雅治さん(45)が、長崎の原爆被害を乗り越えた被爆クスノキをテーマにした新曲「クスノキ」を2日、発表した。福山さんは過去にラジオ番組で親が被爆していたことに触れ「僕は被爆2世」と語っていた。
被爆クスノキは、長崎市の山王神社の境内にある。1945年8月9日の原爆投下による爆風や熱線で幹をもがれながら、約2年後に新芽を出し、平和や生命力の象徴として親しまれている。
歌詞は、クスノキが爆風や黒い雨を浴びながらも、たくましく生きる姿を描く。新作アルバム「HUMAN」に収められている。
福山さんはこの曲について、3月のラジオ番組で「被爆クスノキの歌をずっと作ろうと思っていた。長崎で生まれ育ったソングライターじゃないと歌えないだろうし、書き出さないだろう」と語っていた。
(2014年4月3日 中国新聞より)
『音楽再発見100エピソード』(教育芸術社)の紹介です
『音楽再発見100エピソード』(教育芸術社)という高校生向けの音楽入門書の中に「広島に捧げられた音楽」というページがあります。その中でフィンランドの作曲家アールトネンの「交響曲第二番ヒロシマ」も紹介されています。
著者は国立音楽大学教授の久保田慶一先生。
「広島に捧げられた音楽」としては、ポーランドの作曲家ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」が有名ですが、「交響曲第二番ヒロシマ」は、ヒロシマと音楽」委員会委員の能登原由美さんが研究されているフィンランドの作曲家エルツキ・アールトネンの曲です。
「交響曲第二番ヒロシマ」の広島公演について、能登原由美さんは下記のように述べています。
「終戦10周年記念 関響特別演奏会」
1955年(昭和30年)8月15日、開館して間もない広島市公会堂にて開催された演奏会。日本を代表する指揮者、朝比奈隆(1908-2001)が関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)とともに来広し、フィンランドの作曲家、エルッキ・アールトネン(1910-90)が作曲した《交響曲第二番「ヒロシマ」》(1949)の日本初演を行った。この作品は、被爆から僅か4年後の1949年(昭和24年)に作曲され、同年ヘルシンキで世界初演された作品で、「ヒロシマ」をテーマとする現存の器楽作品の中では世界最初のものとみられている。朝比奈は、1953年にフィンランドに滞在した際に作曲家自身から楽譜とともに広島での上演を委託されていた。財界からの援助により、被爆10周年の記念事業として5千人もの広島市民が公演に無料招待されたが、被爆の惨状と復興へと立ち向かう広島の様子を描いたその音楽に、多くの被爆者が涙を流したと当時の記事は伝えている。
詳細は
アールトネンの『交響曲第2番』”Hiroshima”
『藝術研究』第21・22号(2009)87-96頁
著者の久保田慶一先生は、
「今の高校生は、広島に捧げられた音楽があることは知らないだろうから」ということで、今回アールトネンのことも書いてくださったようです。
このページをPDFでその部分を紹介します。
この本は単なる入門書にとどまらず、音楽全般に関して様々な角度からとてもわかり易く書かれていて、また1200円と価格も安いです。
また、この本の紹介と、楽曲を,試聴することができるサイトがあります。
このサイトでは,ナクソス・ミュージック・ライブラリーの協力により,教育芸術社刊行「音楽再発見100エピソード」(久保田 慶一 著)でとりあげている楽曲を,試聴することができます。
本書のエピソードと合わせてお楽しみ下さい。
http://www.kyogei.co.jp/publication/100episode/ongakusaihakken/index.html
オペラ歌手の佐藤しのぶさんが、反戦や反核をテーマにしたオリジナルソング「リメンバー」を発表した。作詞は、作詞家で直木賞作家のなかにし礼さん。被爆国から反戦・反核のメッセージを世界へ広げたいという佐藤さんの願いに、なかにしさんが応えた。2人は12日、日本記者クラブで会見し、作品に込めた思いを語った。
語り掛けるような歌声が印象的な作品。「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」のフレーズが繰り返され、「戦争と核兵器のない平和の実現を願う人は集まれ!」と呼び掛ける。作曲は鈴木キサブローさん。
佐藤さんが反戦・反核の歌を歌いたいと思い始めたのは1996年。チェルノブイリ原発事故の影響でがんを患った子どもを治療するベラルーシの小児がん施設を訪ねたのがきっかけだった。
以来、構想を温め、親交のあるなかにしさんに作詞を依頼。中国東北部(旧満州)からの引き揚げ経験を持ち、平和や反戦への思いを発信してきたなかにしさんも快諾した。
「日本人の反戦の思いを音楽という共通の言葉で伝えたい」と佐藤さん。なかにしさんは「福島第1原発事故も経験した日本だからこそ、核をなくすことを訴えなければ」と語る。英語版、フランス語版などの制作も計画する。
2013年11月13日中国新聞朝刊より。
さくら会 ~後世に残したい名曲と共に~Par、1
企画・監修 藤田真弓
日時 平成25年11月30日 (土) 開場/ 17:30 開演 / 18:00
場所 広島県民文化センターホール
広島市中区大手町1-5-3 ℡ 082-245-2311
入場料 2,500円
プログラム
・七つの子
・赤い靴
・かなりや
・月の砂漠
・浜辺の歌
・からたちの花
・信田の藪
・夏の思い出
・ローレライ
・夢路より
・庭の千草
・お祭マンボ
出演
藤田 真弓(Sop.)
佐々木千穂(Sop.)
岡崎 富男(Tn.)
高見 昌男(Bar.)
藤原 敬 (Bar.)
松本 寛美(Pf)
溝辺 恭子(Pf)
矢野 文乙(Pf)
田中 穂蓄(ナレーション)
コーロフェリーチェ( 友情出演)
問い合わせ先:さくら会事務局 ℡082-273-9423
詳細は 次のチラシ表、裏 をクリックしてご覧ください。
「ヒロシマと音楽」委員会委員 藤田真弓さんの企画・監修・出演の音楽会です。
二葉あき子歌碑建立趣意書
歌碑建立の趣旨
二葉あき子(本名:加藤芳江)は、大正4(1915)年2月2日、広島市東区二葉の里で生れました。昭和9(1934)年、東京音楽学校在学中に日本コロムビアから「四つ葉のクローバー」と題する教育音楽を吹き込み、以降、音楽一筋の道を歩み、平成23(2011)年に亡くなるまで、昭和・平成の二世代にわたつて歌い続け、「夜のプラットホーム」「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」「さよならルンバ」など数多くのヒット曲で、わが国の歌謡史を飾る代表的な歌手として活躍してきました。
昭和20(1945)年8月6日、広島への原爆投下の際は偶然被災を免れ、それ以降反戦平和への気持ちは人一倍強く持ち、特に「夜のプラットホーム」「フランチェスカの鐘」は、原爆犠牲者への鎮魂の歌として終生歌い続けてきました。
こうした二葉あき子の歌に込められた思いを後世に伝えるため、モニュメントを建立して彼女の功績を末永く称えたいとの思いと同時に、広島市が提唱している「国際平和文化都市Jの魅力づくりの一環として役立てたい、との考えで取り組もうとするものです。建立の場所、採用の歌詞などは次のとおりであります。
歌碑の概要
歌碑建立委員会で具体的な仕様を検討していきますが、本事業を成就させるためには、広く皆さま方からのご協力を必要といたしますので、建立の趣旨をご理解いただき何分のご協賛を賜ります
ようお願い申し上げます。
建立目標額 500万円
募金基準額 2000円以上(2000円以下でも申し受けます)
除幕予定日 平成27(2015)年8月中の完成を目途としています。
設置場所と歌詞
彼女の生誕地、東区鶴羽根神社近くの「二葉の里歴史の散歩道Jの一角を予定し、歌詞は彼女の代表歌の一つであり、広島駅に近いことから「夜のプラットホーム」を刻むこととしています。この歌は、太平洋戦争時に作られたもので、出征兵士を送る歌で悲しい別れの場面が連想されることから、戦時中は軍部から発禁処分となつたという経緯がありました。昭和22年以降、二葉あき子が「二度とこんな別れの光景を見ることのないように」との願いを込めて歌い、大ヒットしたもので、モニュメントとしての意義は大きなものがあろうかと考えられます。
歌碑建立委員会事務局
〒732-0044 広島市東区矢賀新町四丁目4番10-202号(上村和博方)
二葉あき子歌碑建立委員会
TEL&fax 082-288-2675 携帯 090-8602-1043
参考
中国新聞 二葉あき子さん生家近くに歌碑 市民有志、協賛金募る
中国新聞20130827二葉あき子歌碑