「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 2
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 1 で紹介しました「交響曲第2番ヒロシマ」は、広島公演に続いて、大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、12月6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏することが決定。古い楽譜の中から出てきた交響曲「HIROSHIMA」総譜を見つけた大阪フィルハーモニー交響楽団の顧問・小野寺昭爾さんが能登原由美さんに存在を教え、関係者に再演をよびかけ、被爆70周年の2015年、広島市、広島県三原市、兵庫県西宮市での再演が決まりました。
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演されるまでの過程が、2015年8月11日の読売新聞夕刊に紹介されました。
以下、読売新聞記事から。
広島60年ぶり希望の旋律
広島の原爆投下を題材にフィンランドの音楽家によって作曲され、1955年、指揮者・朝比奈隆(1908〜2001年)が広島市内で国内初演を実現させた交響曲「HIROSHIM A 」が今年11、12月、国内で60年ぶりに再演される。戦後70年の節目、平和を願うシンフォニーが再び響く。
戦後70年 朝比奈隆 日本初演 交響曲再演へ
作曲者はエルッキ・アールトネン(1910〜90年)=写真=。ビオラ奏者として活動する傍ら作曲も行った。「HIROSHIM A 」は49年に完成、ヘルシンキで世界初演。来日したことはないが「ヒロシマの悲劇が起こった時、既に私はこの交響曲の作曲を決心していた。全人類がこの不幸を嘆き、その慣りは絶頂に達した」と、プログラムに書いた。
7部構成で、演奏時間は約30分。暗い旋律で始まり、「火の爆風」と名付けられた後半部では爆発を連想させる大音量が鳴り響き、犠牲者を弔う葬送行進曲風のリズムが続く。フィナーレは一転、明るい音色で希望を表現する。
朝比奈は53年、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団に客演。楽団員だったアールトネンから総譜を手渡され、「平和の祈りを込めて、焦土から立ち上がる広島の姿をイメージして作曲しました。私がなし得る唯一のプレゼントです」と、広島での演奏を熱望された。その様子について朝比奈は「心を打つものがあった」と日本への手紙に記した。
終戦から10年後の55年8月15日、朝比奈は関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を率いて広島市公会堂でこの交響曲を取り上げた。広島出身の関西財界人の援助で無料公演となり、昼夜2回で計約5000人が来場。同月末、京都市でも演奏されたが、その後、楽譜の存在は忘れられていった。
作品を掘り起こしたのは、原爆をテーマとする曲を調査してきた市民団体「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美さん(44)=写真=だ。「曲の散逸を防いで若い世代に引き継ぐため、個別の作品を詳しく調べたいと思った」と語る。
アールトネンについては2008年から本格的に調べ、大阪市の大阪フィルに総譜が保管されていることを確認した。フィンランドの遺族を訪ね、日本の聴衆からアールトネンに「被爆当時を思い出して心の中で泣きました」などと、感謝の手紙が届いていたことも分かった。
能壼原さんは「おそらくヒロシマを題材にした最初の交響曲で、最初の外国人作品。アールトネンは第2次大戦に従軍経験があり、心と街の復興を願って曲を作ったのでしょう」と話す。
能登原さんや、大阪フィル顧問・小野寺昭爾さん(80)らの呼びかけが、再演への原動力になった。広島交響楽団が11月16日、広島市のJMSアステールプラザ大ホールで披露。大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、同6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏する。大阪フィルの首席指揮者、井止道義さん(68)は「戦後10年で、朝比奈さんは『何かをしなければ』という気持ちで、こ曲を広島で初演した。観客と社会、自分たちのために演奏する」と決意を語っている。
2015年8月11日読売新聞夕刊の記事は 下記をクリック下さい。
2015年8月11日読売新聞夕刊
なお、アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》