事業

レクチャー・コンサート 悼〜日本の祈り・ヒロシマへの祈り〜その①

 企画内容

  本コンサートは、解説を交えたレクチャー・コンサートの形で開催するものである。テーマとして掲げた「悼み」とは被爆者の心の痛みであり、本コンサートでは被爆者によって作曲された音楽作品の上演と、被爆詩人の詩の朗読を通して被爆者の思いを想像することを主旨とする。

 一方で、被爆者の心の傷の根底には、生き残ったことへの負い目も重なり、原爆で亡くなった死者への悼み・祈りの念が強くみられることが多い。さらに、こうした死者への哀悼、弔いの心性は、日本人の死生観に通ずるようであり、こうした心性が日本的な「レクイエム(鎮魂歌)」の表現へとつながっていると思われる。よって、戦争や原爆死者に関わらず、死者に思いを馳せながら作られたさまざまな鎮魂の旋律を奏でることにより、戦後日本人の多くが抱えているであろう「死者への悼み=生き残った者の傷み」を想像する内容構成とする。

 具体的には、次のような内容となる。

 被爆者でもあり作曲家でもある二人の作曲家、竹西正志氏と川崎優氏の作品の上演、また被爆詩人の橋爪文氏が原爆について表した詩集の朗読を中心とする(曲目は下記)。

さらに、亡くなった知人への思いを表した福島和夫氏の作品や、亡き妹への思いを「鳥」に託した吉松隆氏の作品、反戦を題材にした創作活動でも知られる故三善晃氏の作品を詩の朗読と組み合わせることにより、「ヒロシマ」への祈りとともに日本の祈りについて、音楽を通して感じる場を作ることを目指す。

プログラム

吉松隆  『 鳥のいる間奏曲 』、 『 傾いた哀歌 』      (ピアノ独奏

竹西正志 『 哀傷I 』、『 哀傷II 』             (ピアノ独奏)

川崎優  『 祈りの曲第5「暁の祈り」 』           (フルートとピアノ)

     『 祈りの曲第6「夕べの祈り」 』          (フルートとピアノ)

福島和夫 『 レクイエム 』                  (フルート独奏)

橋爪文   詩集『 地に還るもの天に昇るもの 』、『 昆虫になった少年 』  (朗読)

      三善晃、吉松隆、野村茎一による小品                 (ピアノ独奏)

日時 :    2016年7月9日(土)18時半開演(終演20時15分頃) (18時開場)

場所 :    広島市南区民文化センター スタジオ

料金 :    前売り1,500円・当日2,000円

出演者:    桂杏子(ピアノ)、三浦ひろみ(朗読)、山本綾香(フルート)、藤本佳奈美(ピアノ)

企画・構成:  能登原由美

進行・解説:  能登原由美

主催 :    「ヒロシマと音楽」委員会

ホームページをリニューアルしました

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プロジェクト
「ヒロシマと音楽」委員会が主催してきたコンサート、委員会メンバーによるプロジェクト アウトリーチ、広島の音楽史編纂、刊行物を紹介します。

また、facebook 「ヒロシマと音楽」委員会 を 立ち上げました。

プロジェクト
コンサート
「ヒロシマ」に関連する音楽作品をデータの状態だけにとどめておくのは惜しいと、当委員会では2010年から2014年にかけて、コンサート・シリーズ「ヒロシマ・音の記憶」を毎年1回、計5回にわたって開催しました。ここでは「ヒロシマ」にゆかりのある作品を実際の「音」にして紹介することが当初の目的でしたが、同時におこなっていた「広島の音楽史」編纂プロジェクトの調査で、廃墟と化した広島が復興する過程で音楽も大きな役割を果たしている事実も明らかになり、そうした「音楽による復興」の様子も紹介することになりました。各コンサートの詳細を紹介しています。
http://hirongaku.com/?page_id=2019

アウトリーチ
音楽で知る「ヒロシマ」
 ~音楽アウトリーチで体感する平和のメッセージ~
これまでの平和学習プログラムでは、語り部による被爆体験のお話をきくこと、映画や絵画の鑑賞や被爆絵本や文学作品を読むなど、様々な形で「ヒロシマ」の経験を伝える機会が持たれてきました。
音楽で知る「ヒロシマ」は、「ヒロシマ」を題材とした音楽を用いた新しい平和学習プログラムの提案です。しかし「ヒロシマ」を題材とした音楽作品は、ただ演奏を聞くだけでは子どもたちにとって理解しにくい内容のものもあります。
そこで、アウトリーチプログラムという形をとり、演奏者が子どもたちの目線に合わせ、詩や音が表現している音楽の背景を子どもたちと一緒に探し、考えることで、作品にこめられた想いを理解した上で楽曲を聴きます。子どもたちは音楽作品を通して「ヒロシマ」の経験を知り、平和や命の大切さを体感する時間を持つことが出来ます。
http://hirongaku.com/?p=1840

広島の音楽史編纂
昭和20年8月6日の原爆投下により壊滅的な被害を被った広島の音楽文化も,現在ではプロのオーケストラを抱えるとともに全国有数のオペラ活動推進地となっている。こうした広島の音楽活動,とりわけ洋楽文化の発展は,呉の海軍軍楽隊,広島高等師範学校の音楽教員の活動,広島女学院に赴任したアメリカ人宣教師の活動など,さまざまな人々の尽力により,明治から大正にかけて洋楽の流入が促進された結果であったと考えられる。また,音楽伴奏を伴う無声映画やレコードの普及,さらに昭和初期に始まったラジオ放送がその浸透に拍車をかけたものと思われる。けれども,原爆投下により多くの人材と文化財,また資料が消失した広島では,戦後の様子が語られることは多いのに対し,戦前の音楽活動が振り返られることはこれまでほとんどなかった。そこで,「『広島の音楽史』編纂プロジェクト」を立ち上げ,広島における洋楽の普及と受容の過程を,戦前からの流れを含めて改めて追求することとした。またそのことにより,「ヒロシマ」という壊滅的な破壊を受けた一都市の文化復興の過程,様子を明らかにする。
http://hirongaku.com/?page_id=2021

刊行物
「ヒロシマと音楽」委員会では、これまでに下記のような書籍、冊子、DVDを刊行してきました。各刊行物については、このホームページ上でPDF掲載しているものもあります。詳細につきましては、各刊行物の欄をご参照ください。
http://hirongaku.com/?page_id=283

 

facebook 「ヒロシマと音楽」委員会 を立ち上げました。
https://www.facebook.com/ヒロシマと音楽委員会-179182525777440/
❆❆広島音楽史・こぼれ話❆❆ を随時掲載しています。
[第1話:呉海兵団軍楽隊の演奏を聴きたかった…!!!]

戦前の呉市には、海軍呉鎮守府が置かれていました。呉海兵団軍楽隊は、その呉鎮守府に配置されていた軍楽隊です。

呉海兵団軍楽隊は儀礼奏楽以外に、市民向けの演奏会も行っていました。聴衆の多くは呉市民でしたが、昭和2年8月には、なんと山口県熊毛郡(今の光市)から年老いた母親と一緒にやってきた人も!! ただ、このお客さんが聴く予定だった演奏会、なぜか予定が1日早まり、来たときにはもう終わってたんです。老後の思い出にと母親と連れ立ってきたのに…。今よりもずっと移動が大変だった当時。どれほどがっかりしたかと思うと、胸が痛みますネ。

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音楽で知る「ヒロシマ」 アウトリーチ の案内

音楽で知る「ヒロシマ」
~音楽アウトリーチで体感する平和のメッセージ~

これまでの平和学習プログラムでは、語り部による被爆体験のお話をきくこと、映画や絵画の鑑賞や被爆絵本や文学作品を読むなど、様々な形で「ヒロシマ」の経験を伝える機会が持たれてきました。
音楽で知る「ヒロシマ」は、「ヒロシマ」を題材とした音楽を用いた新しい平和学習プログラムの提案です。しかし「ヒロシマ」を題材とした音楽作品は、ただ演奏を聞くだけでは子どもたちにとって理解しにくい内容のものもあります。
そこで、アウトリーチプログラムという形をとり、演奏者が子どもたちの目線に合わせ、詩や音が表現している音楽の背景を子どもたちと一緒に探し、考えることで、作品にこめられた想いを理解した上で楽曲を聴きます。子どもたちは音楽作品を通して「ヒロシマ」の経験を知り、平和や命の大切さを体感する時間を持つことが出来ます。

〇音楽アウトリーチの基本プログラム
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
1.少人数(1プログラム1クラス)
子どもたち一人ひとりと対話しコミュニケーションをとれる人数を基本とします。
2.45~50分プログラム
子どもたちが集中して取り組める時間の長さとして、
学校の時間割の1時限の長さを目安にしています。
3.音楽室
子どもたちが集中しやすい広さの空間が理想です。

アウトリーチプログラムについての詳細は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、2ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
out reach-1
〇音楽アウトリーチ実演例は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、3ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
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〇音楽アウトリーチ申込み、実施について
【お申込み】
「ヒロシマと音楽」委員会  hirongaku@hirongaku.com  にお問合せ下さい。
【費用について】
・演奏者(ソリスト、伴奏者)の出演料
・交通費実費
(・学校以外で実施する場合は、会場費)
【助成金についてご案内】
学校で実施する音楽アウトリーチ公演は、文化庁「文化芸術による子どもの育成事業」による助成を申し込むことが出来ます。(年度ごとの公募、募集時期は11月~1月頃)
詳細は以下の文化庁HPをご参照下さい。
文化庁HP 文化芸術による子供の育成事業
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/index.html
上記HPより
文化芸術による子供の育成事業 芸術家の派遣事業 実施の手引き(実施校用)PDF
を、ご利用ください。
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/dl/index/h27/h27tebiki_jishikou.pdf

その他実施までの流れについては、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、4ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
演奏者プロフィールは、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、5ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』

音楽で知る「ヒロシマ」は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』

映画「音の記憶・つながり」  DVDを寄贈

ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」  DVDの寄贈について

私たち「ヒロシマと音楽」委員会では、NPO法人ANT-Hiroshimaと共同で平成25年にドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」を製作し、そのDVD版(非売品)をこのほど完成させました。
このドキュメンタリー映画は、当委員会が行っている「広島の音楽史編纂プロジェクト」の一環として始めたインタビュー調査が端緒となっており、また平成22年に当委員会が主催したコンサート「ヒロシマ・音の記憶~VOL.2~繋がり~]の内容を含んだものとなっております。原爆投下の翌年から約4年にわたり広島市内で活動していた「広島学生音楽連盟」について、当時の中心メンバーの方々へのインタビューをもとにその活動実態を追いかけるとともに、音楽を通して復興に奔走した当時の若者達の様子を現代の高校生の姿に重ね合わせていったものです。また、東日本大震災から3ヶ月後に行われたコンサートも踏まえ、現在の高校生が被爆直後の若者達による「音楽による復興」をどのように捉えたのかについても追いかけています。
またDVDには、映画上映の後に新たに見つかった「広島学生音楽連盟」関係者へのインタビューや資料の調査を踏まえ、この団体についての概要を解説した冊子も特典として添付しております。このDVDを関係者ならびに公共図書館の皆様に寄贈しました。

平成27年4月吉日
「ヒロシマと音楽」委員会

ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」DVD
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ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」解説書表紙
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ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」解説書から 概要 
ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」解説書から「広島学生音楽連盟」を追いかけて(冒頭部のみ) 能登原由美
ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」解説書から 音・記憶・映像によるつながり 青原さとし                               製作のの機縁 渡部朋子 

「ヒロシマ・音の記憶」vol.5~生きる~アンケート集計

「ヒロシマ・音の記憶」vol.5~生きる~アンケート集計(132枚回収)

住所
 広島市内…98名 広島県内…21名 広島県外…13名
性別
 男性…75名  女性…57名
年齢
 20代…16名 30代…22名 40代…29名 50代…29名 60代以上…36名
公演の感想
 満足…128名 やや満足…4名
公演の長さ
 満足…119名 やや満足…10名 やや不満…3名(理由:少し長い・長すぎ )
料金
 満足…130名 不満…2名(理由:安すぎる)

[意見]
 ・感動し、言葉もありません。ありがとうございました。平和な世であるからこそこのような時が持てるのですね。どうぞこれからも平和を作り出すものとしての歩みがで きますように共に頑張りましょう。すばらしかったです。出演者の方々、そしてこの会のためにご苦労なさった委員の方々。本当にお疲れ様でした。主の御祝福を祈ります。
 ・何ともいえぬ心地よさが私を包み込んで、感動しました。
 ・今日は教会に来れてよかったです。
 ・まず正面の「焼けあとの十字架」に心を打たれた。音楽は心地よく、特に混声合唱には感動した。私にとってよいクリスマスだった。
 ・すばらしい復元・メサイアでした。ありがとうございました。第一部は、焼け跡に響いたハレルヤコーラスを思いました。
 ・混声四部合唱のハーモニーがすばらしい。コンダクターの表現力が引き込まれるようだった。
 ・構成、大変良かった。合唱も狭いことが効果的と思えた。歓びに満たされました。
 ・感謝感激でした。メサイアの詳しいストーリーをしっかり知りました。演奏の方々の確実な熱演にも感動でした。ありがとうございました。
 ・オケ、合唱共に見事!指揮者、ソリスト共に好演!久しぶりの満足なコンサート。ありがとう!!(焼けた十字架の説明を掲載してほしかった。)
 ・合唱団のメンバーで立ったままの人がかわいそうでした。最後の「きよしこの夜」は皆で歌いたかった。
 ・大変素晴らしい演奏に感動しました。特にソリストと合唱は響きわたって素晴らしかったです。大満足しました。
 ・音楽の力を強く感じることができた。
 ・とても素晴らしい演奏でした。
 ・素晴らしかったです。
 ・1947年の構成と同じ、演奏されたことに感動、あれから67年。平和へ向かってどれだけがんばったかと思いました。残りの人生の課題を与えられたように思います。ありがとう。
 ・主旨・内容ともとても素晴らしいものであったと思います。
 ・大変素晴らしいコンサートでした。心の安らぐひと時を過ごすことができました。
 ・たくさんの人の協力の下に、この素晴らしいコンサートが開かれ、感激しました。
 ・小編成ながら感動的な演奏会でした。1947年当時の想いがよみがえりました。ヒロシマ継承のために頑張ってください。
 ・メサイア初めて聞かせてもらいました。すばらしい特にコーラスの迫力に力をもらいました。
 ・会場が少し狭いぶん、迫力がありました。すばらしかった。
 ・とても身近に感じられ良かったです。
 ・ラジオ放送の復元は、大変興味深い企画だ。
 ・大感激でした。ハレルヤしか知らなかったのですが、意味を知り、本当に感動しました。素晴らしかったです。
 ・天使が下りてくるのが見えるようでした。
 ・感動しました。私の生まれた年の出来事でした。
 ・とても音響がよく、素晴らしいホールでした。もちろん演奏される方々が素晴らしかったです。
 ・感謝。
 ・子供のスペースがとてもありがたかったです。おじいちゃんの晴れ姿が見れた孫たちも喜んでいました。
 ・1947年にメサイアが演奏されたとは驚きです。心洗われる素晴らしいコンサートでした。ありがとうございました。きよしこのよるは、何故聴衆にうたわせないの?
 ・気持ちの入った素晴らしいものでした。ぜひ委員の皆様、参加者のみなさま。広島の方々と共に、未来の為に引き継いでいってください。ありがとう。他県でも行ってほしいです。
 ・大変勉強になりました。「音楽」というものについて改めて考えさせていただきました。ありがとうございます。
 ・すばらしいホールと演奏と賛美でした。ありがとうございます。
 ・素晴らしい演奏をありがとうございました。
 ・キリスト教会にとり、特に流川教会にとり、このように意義深い音楽會を「音の記憶」として企画・開催されましたことは誠にうれしく、心よりお礼申し上げます。原爆の惨禍の中から音楽と共に平和へと立ち上がっていったこと。30冊の楽譜のことにとても感激しました。何年か毎に8.6の日にも継続的に行ってください。アーメンとハレルヤでは涙が出るようでした。出演の方の音楽もすばらしくメサイアの意味がよく伝わってきました。掘り起こしてくださったことに心よりお礼申し上げます。
 ・すばらしい公演でした。非常に感激しました。本当にありがとうございました。
 ・荘厳な演奏、合唱を聞かせていただき感謝します。ありがとうございました。
 ・席の間が狭くて通りにくかった。楽器とは近いのでよく見られ、音も感じられてよかった。
 ・「過去から学ぶことの大切さ」をしっかり体験させていただきました。「クリスマス音楽礼拝」復元演奏は、当時のことを思いだすと共に、改めて心に響いてくるという感じでした。メサイアは解説にしたがってきかせていただき、よく理解でき、色々想像することができました。ありがとうございました。
 ・すばらしい!感動をありがとうございました。
 ・すばらしい企画をありがとうございました。
 ・新鮮でよかった。
 ・最高に良かったです!皆さんお疲れ様でした。
 ・コーラスが左右に離れすぎてハーモニーがやや乱れ残念!!メサイアはとても良かったです。全てよかった!メリークリスマス!ありがとうございました。
 ・大変感動しました。この音楽会にかかわられた全ての皆様に感謝いたします。

アンケートにご協力ありがとうございました。
今後の活動に参考にいたします。
「ヒロシマと音楽」委員会

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」産経新聞で紹介される

 
20141214 sankei-np vol.5

◇・・・原爆投下から2年余りたった昭和22年12月24日、広島市の爆心地に近い広島流川教会で開かれた「クリスマス音楽礼拝」が13日、再現された=写真。
◇・・・主催団体によると、当時の主任牧師だった故谷本清氏の自宅に、礼拝をラジオ放送した際の進行表が保管されており、「忠実に再現しようと企画した」。
◇・・・アルトを担当した被爆者の三戸和子さん(76)は「平和が続きますようにとの思いを、歌を通して若い人と共有できれば」と語った。
(12月14日産経新聞)
2014年12月14日産経新聞

産経新聞の他、共同通信の配信で 以下の各紙で紹介されました。

中日新聞

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014121301001733.html

静岡新聞

http://www.at-s.com/news/detail/1174150316.html

exciteニュース

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20141213/Kyodo_BR_MN2014121301001736.html

大分合同新聞

https://www.oita-press.co.jp/1002000000/2014/12/13/NP2014121301001732

東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014121301001733.html

上毛新聞

http://www.jomo-news.co.jp/ns/2014121301001733/news_zenkoku.html

京都新聞

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20141213000106

山形新聞

http://www.yamagata-np.co.jp/news_core/index_pr.php?kate=Lifestyle_Human_Interest&no=2014121301001733&keyword=

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」開催報告

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 12月13日(土)18:00~広島流川教会で開催しました。

47年のクリスマス音楽礼拝再現
復興のメサイア 時を超え
12月13日 広島流川教会で

被爆地ヒロシマの年の瀬に、平和を願って響くヘンデルの「メサイア」。その歌声を広島県内に広げるきっかけになったのが、被爆2年後に広島流川教会(広島市中区)で開かれたクリスマス音楽礼拝だ。ラジオで県内に届けられた礼拝を再現するコンサート「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」を12月13日。
広島流川教会で開催しました。「ヒロシマ・音の記憶」の最後を飾るシリーズ第5弾。

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現在の広島流川教会

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広島流川教会 入口

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広島流川教会 「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 看板

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コンサート会場・礼拝堂への案内

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コンサート会場・礼拝堂 入口

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「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 会場

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「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 会場

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挨拶する 向井希夫(日本基督教会 広島流川教会)牧師

皆さん、今晩は。本日、皆様と共に1947年に持たれたクリスマス音楽礼拝の復元演奏に立会えましたことをとても嬉しく思っています。私はこの広島流川教会の牧師であります向井希夫と申します。
今回の企画のためにご努力いただきました「ヒロシマと音楽」委員会の皆様、そしてさまざまな面で、ご協力いただきました多くの皆様に、心から御礼申し上げます。私達広島流川教会の歴史の一ページでもありますクリスマス音楽礼拝について、教会外の方々の働きによって復元出来ましたこと、そして1947年の音楽礼拝に、人々のどのような祈りが込められていたのかを67年の時を超えて思い起こすことを出来ましたことは、とても意義深いことがらだと感じております。
私たちは、この広島の地で、被爆の地で、クリスマスに音楽礼拝が持たれた意味を考えます。聖書おけるクリスマスのメッセージは、先ほどお読みいただいた聖書の中で、天の軍勢、御使いに加わり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦ふ給う人にあれ』とてもシンプルな内容です。神様が居ます天には栄光、そして、我々が生きている地上には平和があるように、ただこれだけです。しかし、我々が生きている地上には人々の間に、隔ての壁があり、さまざまな争いが存在しています。1947年当時、そして現代においても、そのような現実の中で、その出来事は平和を求め、志すところでは、聖書の言葉では、平和を作り出そうとするところでは、隔ての壁を乗り越えていくことが出来ることを示してくれています。当時、敵として闘った日本とアメリカ。原爆を落とした側と被爆した広島。 それを越えてメサイアの楽譜がアメリカから送られて来たのです。そして、ひとつの教会という枠組みを超えてあらゆる立場や考えの人達が、メサイアの歌声をこの被爆の地で、聞かせたいと願い、隔ての壁を乗り越えて、協力し、音楽礼拝が実現して来たのです。今回もそうであります。ただ我々が生きている地上では、平和があるようにとの祈りに支えられ。
それと、もう一点、音楽の力です。皆様がお持ちの資料の中で紹介されている楽譜を送って下さったコンディットさんの谷本牧師へのハガキの一説。「あなたのお役に立つようなものが何か・・あるかしら」との申し入れに対してメサイアの楽譜であったという一点です。当時、谷本牧師、また広島流川教会では、あらゆるものが不足していたでしょう。その中で、音楽の楽譜が送られて来たことに深い意味を感じます。整えられた言葉、ましてお金や物ではなく、であります。心の底から湧きあがって来る音楽には、平和を願う思いと共に、隔ての壁を乗り越える力があると思います。
これを機会に過去から学ぶことによって、地には平和の実現のために、この広島の力 音楽を奏で、祈りを合わせることが、皆様と共に出来れば幸いです。 皆様の上にクリスマスの恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りします。
(DVDより、再録)

 

プログラム p1-16  下記をクリックしてご覧ください。

vol.5 Program p1-4

vol.5 Program p5-8

vol.5 Program p9-12

vol.5 Program p13-16

 

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」朝日新聞広島版で紹介されました

「ヒロシマと音楽」委員会が企画している「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」の取組みが12月5日(金)朝日新聞広島版で紹介されました。

asahi-np 20141205 vol.5

「Xマス音楽礼拝」
    67年ぶり再現公演
       広島流川教会で13日

1947年12月24日、ラジオで広島市やその周辺で放送されたクリスマス特別番組「クリスマス音楽礼拝」を再現する演奏会を、今月13日に広島流川教会(中区上職町) で開く。
 13日の演奏会では前半で、当時放送された番組の進行表に基づいて約15分間の演奏を合唱団と管弦楽団が再現する。後半の部でヘンデルの「メサイア」から抜粋した曲を演奏する。        一
原爆投下の翌年から同教会は、慈善音楽会や他の教会と協力した「市民クリスマス」などを開催し、市民を音楽で勇気づけていた。
 47年秋、同教会に米国に住む音楽教師から「メサイア」の楽譜が贈られたのを機に、教会員や師範学校の生徒らが男女混声合唱の聖歌隊を結成。この年のクリスマスイブに賛美歌やヘンデルの「メサイア」の抜粋曲「ハレルヤ」を歌ったものをラジオで生中継した。
当時、同教会の主任牧師だった谷本清さんの家族がヽメサイアの楽譜と番組の進行表を保存していたことを市民団体「ヒロシマと音楽」委員会(082・502・6304)が知り、今回の演奏会を企画した。
演奏会は13日午後6時から。チケットは前売り券(千円)のみでエディオン広島本店で購入できる。

朝日新聞20141205

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5〜生きる〜」シンポジウム 開催しました

「ヒロシマ・音の記憶Vol. 5.〜生きる〜」シンポジウム 開催しました。

ヒロシマ復興と広島流川教会との歩み––––思想・活動・音楽––––

2014年11月29日(土曜)16:30~18:30  広島まちづくり市民交流プラザにて

司会者  能登原由美 (「ヒロシマと音楽」委員会委員)から趣旨説明

○ シンポジウムの主旨・背景・意義
1)「ヒロシマ・音の記憶」のプレ・イヴェントとして
本シンポジウムは、「ヒロシマと音楽」委員会が12月13日に広島流川教会で開催するコンサート、「ヒロシマ・音の記憶Vol.5〜生きる〜」のプレ・イヴェントとして企画されたものである。シンポジウムの主旨にもつながることから、まずは主催者の「ヒロシマと音楽」委員会とコンサートの背景について、簡単に説明したい。
「ヒロシマと音楽」委員会は、被爆50年目となる1995年に、「ヒロシマ・ナガサキ」や「反核・反戦」などをテーマとした音楽作品の収集とデータベース化を目的として発足した広島の市民団体である。発足から20年近くを経た現在、委員会では、こうしたテーマをもつ音楽作品について2000曲近くの作品のデータベース化を行なっており、2004年にはデータの一部を広島市に移管するとともに、2006年には『ヒロシマと音楽』と題する本を刊行した。
一方、こうした作品を実際に上演することにより広く紹介しようという意図から、「ヒロシマ・音の記憶」と題するコンサートシリーズを2010年に開始した。このコンサートでは、「ヒロシマ」をテーマとする音楽作品の紹介を念頭に置きながらも、被爆後の広島で復興を目指して行なわれた市民による音楽活動の重要性を認識し、そうした活動に着目することで、市民生活や文化の復興というソフト面における戦後復興の様子も紹介している(例えば第2回や第4回など)。年1回、計5回までの開催を目標にしており、今年はその最終回となる第5回目のコンサートとなる。
今年のコンサートでは、広島流川教会で被爆2年後に行なわれたクリスマス音楽礼拝と演奏会を振り返る企画を行なう予定である。コンサート自体の主旨や意義については、企画者でもある「ヒロシマと音楽」委員会の光平有希委員による後ほどの報告に委ねよう。

2)「広島の音楽史」記録・編纂プロジェクトについて
一方、「ヒロシマと音楽」委員会では、5年前から「広島の音楽史」記録・編纂プロジェクトを開始している。このプロジェクトは、洋楽(特に「クラシック音楽」)に焦点を当てた上で、明治期以降、洋楽が広島の地でどのように普及し、浸透していったのか、その普及と浸透の過程を、資料調査とインタビュー調査を中心に記録し、編纂しようというものである。「ヒロシマと音楽」委員会に所属する4人の音楽研究者により行なわれており、すでに昨年と今年の2回にわたり学会報告を行った。このような日本近代の地方における洋楽の受容・普及に関する研究については、すでに各地で行なわれているが、原爆により多くの人材、文化財が失われた広島では、特に戦前、戦中期の記録を辿るのが非常に難しいといわれ、本格的な調査はまだ行われていない状況であった。そのため、このプロジェクトでは、資料の掘り起こしから始めるという非常に気の遠くなるような作業を積み重ねているところである。そして今回のコンサートにつながる点でもあるが、このプロジェクトの中でキリスト教関連組織・団体の洋楽普及調査を担当している光平委員が新たに掘り起こした事実や資料が非常に興味深く、またコンサートとしても楽しめる、価値のあるものではないかということで、この度の企画が生まれることになった。

3)「広島の音楽史」における本企画の位置づけ
それでは、実際にこの「広島の音楽史」の中では、今回のシンポジウムとコンサートで取り上げる広島流川教会の音楽活動はどのように位置づけられるであろうか。
広島における洋楽の受容と普及、とりわけ西洋楽器や西洋音楽様式による作品の普及という点では、広島高等師範学校を中心とする高等教育機関や軍楽隊(呉海軍軍楽隊、広島大本営に一時駐屯した陸軍軍楽隊など)、それにミッションスクールとその母体教会が非常に重要な役割を果たしていることが明らかとなっている。なかでも、ミッションスクールについては、広島では1887年(明治20年)に「広島女学院」の前身となる「廣島英和女學校」がまず開校しており、光平委員のこれまでの調査によれば、すでに開校当初から音楽科の授業が設けられたり、ほどなくして管弦楽団も組織されたりするなど、早くから西洋音楽の導入と教育が行なわれていたとみられる。これは、広島の他のどの施設よりも早いことが、私たちのプロジェクト研究で明らかとなっている。さらに、その母体教会である広島流川教会においても、西洋楽器による演奏会の開催や音楽礼拝など、広島の洋楽普及に大きく貢献する活動が行われていたとみられる。
しかしながら、周知のように、戦時体制に入り自由な音楽活動は徐々に制限され、そして1945年8月6日の原爆投下によってそれまで培われた音楽活動は大きな損失を受けた。そうした中で、広島流川教会では被爆の翌年には慈善音楽会を開催するなど、音楽を通じて広島の復興に尽力したという。その様子については、光平委員の本日の報告を待つことにしよう。ここで述べておきたいのは、こうした被爆直後からの音楽活動を通じた復興も、明治期以降、教会が長い年月を経て養った音楽文化の土台があったからであり、それに尽力した宣教師や牧師、教会員たちの功績について、改めて注目する必要があるのではないかという点である。
以上がコンサート、ならびにそのプレ・イヴェントとしての本日のシンポジウムの企画主旨であるが、本日のシンポジウムではあえて音楽に特化するのではなく、広島流川教会での復興に向けた活動や思想を広い角度から捉えることで、その音楽活動をも捉えていくこととした。よって、本日の報告者3名のうちの2名は音楽研究者ではないが、この企画の内容を違った角度から捉え、より深い議論をもたらしてくれるものと期待する。

シンポジウム  要旨

「ヒロシマ復興と広島流川教会との歩み––––思想・活動・音楽––––

 

 広島『復興』の再考察 ~谷本清の思想と行動を通して~  

桐谷多恵子 (広島市立大学広島平和研究所講師)

年代:1945年~1950年

要旨

広島の「復興」と云えば、丹下健三設計の平和公園や原爆ドーム、平和記念資料館に注目が集まってきたように思います。「復興」とは何でしょうか。失った街を元通りに再建することでしょうか。破壊された街に、新しい建物の建設や記念碑の建立を行うことを意味するのでしょうか。

その「復興」観に対して、報告者はこれまでの研究において、広島と長崎の被爆地で市民から見た「復興」の問題点を挙げながら、「生きる」ことを根本にした被爆者にとっての復興について研究を行ってきました。本講演会では、谷本清牧師の思想と活動を通して、「復興」を考察したいと思います。

原子爆弾が投下された1945年8月6日午前8時15分、谷本牧師は、爆心地から約3.2kmの距離で被爆しました。奇跡的に傷一つ負わなかった彼は、その後、被爆により、爆心地から逃げてくる重傷者たちと出会います。全市が原爆により炎に包まれていく様子を目の当たりにしながら、谷本牧師は、火の海の中にいるであろう教会員や町内会の人、そして家族のことが心配になり、負傷者の群れとは逆に市内の方面へと進んでいきました。その際に、直視した被爆体験の悲惨さ。助けることのできなかった負傷者たち。牧師として自らの責務を果たせたのか、という自問。谷本牧師は、自らも被爆者でありながら、負傷者たちを救えなかったことに自責の念に駆られます。この無残な被爆体験は、彼が平和運動に身を捧げる原点となったといえるでしょう。被爆から1か月後の9月下旬には、彼自身が放射線障害ともいうべき症状に襲われて寝込みます。体調の回復後、彼が真っ先に取り組んだのは破壊された流川教会の復興です。教会員の信仰の厚さと信者の教会復興への願いが彼の心を更に動かし、支えとなるのです。そして、被爆地に留まり教会の復興と伝道に力を尽くしました。廃墟の中、支援も救援もない中で彼は教会の復興に孤軍奮闘します。そんな彼の道を開いた一つの大きなきっかけとなったのは、彼の被爆体験がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』で紹介されたことです。これにより、彼の被爆体験は米国をはじめとして世界に知られるようになり、支援の道を獲得していくのです。

目の前の被爆者を救うために自分に何ができるかを問いながら、格闘していった谷本牧師の思想と行動を通して、被爆地において取り組まれた復興を考察したいと思います。

 

ヒロシマ・ピース・センターの背景を考える ~谷本清牧師を中心に~

川口悠子 (法政大学講師)

年代:1930年代~1940年

要旨

ヒロシマ・ピース・センターの設立には、米国の人々の協力が得られたことが重要なファクターとなっていました。谷本清牧師は1948年10月から1949年12月、1950年9月から1951年7月など、数次にわたって米国を訪問し、ピース・センター設立の方途を探りました。その努力の中で1949年3月にニューヨークでヒロシマ・ピース・センター・アソシエーツ(協力会)が設立されたことは、広島でピース・センターが設立され、被爆者救援事業を進めるにあたり、大きな力となりました。

ところで、当時日本は米国の占領下にあり、海外渡航はごく限られた人しかできませんでした。また、米国では、原爆投下は仕方なかったという世論が多数派を占めていたことはよく知られています。その中で、谷本牧師はなぜ長期間にわたって米国を訪問し、多くの人にはたらきかけることができたのでしょうか。この報告では、これらの疑問を通じて、ヒロシマ・ピース・センターの設立過程について考えます。

その際のカギのひとつは、谷本牧師と米国の人々との結びつきの原点ともいえる、牧師の米国留学経験です。谷本牧師は1937年7月から1941年春まで、米国に留学していました。エモリー大学神学部(ジョージア州アトランタ)で学ぶあいだ、谷本牧師は教員や同級生など、多くの人の知遇を得ました。帰国後まもなく日米のあいだに戦端が開かれたことで、交流はいったん難しくなりました。しかし戦後、谷本牧師がジョン・ハーシーのルポルタージュ「ヒロシマ」の主人公のひとりとなったことで、エモリー大学関係者らは、谷本牧師が原爆に遭い、生き延びたことを知ります。こうして交流が再開し、米国メソジスト教会が谷本牧師を招待したことで、当時としては異例の米国訪問が実現したのです。留学時代に築いた人間関係は、牧師が米国でピース・センターへの賛同者を探す際にも、重要な役割を果たしました。

このように、ピース・センターの設立にあたり、谷本牧師の留学経験は、広島と米国での活動をつなぐ役割を果たしました。報告では、具体的なエピソードも交えつつ、ピース・センターの設立過程について、谷本牧師と米国の人々とのかかわりから考えていきます。

 

広島流川教会における復興と音楽との歩み ~谷本清牧師及び太田司朗氏を中心として~

光平有希 (総合研究大学院大学博士後期課程在籍・「ヒロシマと音楽」委員会委員)

年代:1945年~1951年

要旨

 広島流川教会は被爆後のヒロシマの地で、復興への長き道のりを音楽と共に歩んできました。本教会は、被爆翌年より早くも慈善音楽会や進駐軍を招いての演奏会のほか、市民クリスマスも開催するなど、大いに市民を音楽で勇気づけました。

1947年秋には、当時、広島流川教会の主任牧師であった谷本清牧師の留学時代の知人リリアン・コンデット氏から《メサイア》の楽譜30冊が贈られてきます。それを契機として、広島師範学校の音楽教師であった太田司朗氏を中心として教会員や師範学校の生徒による男女混声合唱の聖歌隊が組織。同年12月21日に教会で行われたクリスマス讃美礼拝のほか、24日に行われた第2回市民クリスマスで《メサイア》の抜粋演奏会が行われました。さらに同日の夕刻には「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」として広島流川教会からラジオ生中継が行われ、市民に向け、平和への道を音楽と共に歩むという彼らのメッセージが電波を通じて広く伝えられました。なお、本放送では聖書朗読や祈祷に加え、讃美歌2曲と、ここでも《メサイア》より〈ハレルヤコーラス〉の演奏が行われています。

さらに、音楽でヒロシマ、そして日本の平和的復興を願った谷本清牧師及び太田司朗氏は、音楽活動のみならず、これからの時代を担う幼い子どもたちへの音楽教育にも目を向けました。そして彼らは、太田司朗氏の生徒であった板野平氏を、1951年にアメリカのダルクローズ音楽学校へ奨学生として派遣し、そこで得た新しい音楽教育の萌芽が日本中で開花し、拡がることを願ったのです。この願いに応えるように板野氏は帰国後、この世を去るまで日本におけるリトミック教育の普及・発展に尽力し続けます。このように谷本清牧師、そして太田司朗氏の想いは、広島のみならず日本中で今も生き続けているのです。

 

 

ヒロシマと音楽

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