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「ヒロシマ」を語る音楽の70年を振り返る シンポジウム

「ヒロシマ」を語る音楽の70年を振り返る シンポジウム

日本音楽学会西日本支部 第24回例会
日時:2015年3月14日(土)14時〜17時
(シンポジウムは15時頃〜)
場所:エリザベト音楽大学506教室
JR広島駅南口より徒歩12分。路面電車またはバスで銀山[かなやま]町停留所下車 徒歩4分

●シンポジウム

戦後70年特別企画:
「ヒロシマ」を語る音楽の70年を振り返る

コーディネーター
能登原由美(「ヒロシマと音楽」委員会)
パネリスト
・上村和博(ひろしま歌謡文化支援ネットワーク代表)
・光平有希(総合研究大学院大学)
・乗松恵美(京都市立芸術大学大学院)

【主旨】
2015年を迎えた今年8月、広島では被爆から70年という節目を迎える。世界で初めて核兵器が使用された都市、広島は、「反核」や「平和」を象徴する都市として語られる場合、カタカナの「ヒロシマ」と表記されることが現在では一般的となった。このように象徴的意味を担った「ヒロシマ」については、美術、映画、演劇などさまざまな芸術分野で表象の対象となってきた。音楽についても例外ではなく、戦後50年の間だけをみても、500曲以上の作品が生み出されていることが明らかとなっている(能登原調べによる)。それから20年を経た現在までには、さらに多くの作品が生み出されていることは間違いない。このように、一つの都市が短期間でこれほど多くの音楽によって表象されることはあまり例を見ず、改めてその意義を問うために70年という節目は時宜にかなっているのではないだろうか。
シンポジウムでは、「ヒロシマ」に関わる音楽について、戦後70年の間に生み出された音楽作品や演奏、また普及活動などさまざまな観点で研究をおこなってきた専門家に事例を発表してもらう。はじめに、「ヒロシマ」に関わる音楽(活動)についての全体像と戦後70年の流れを概観した上で(能登原)、歌謡曲(上村)、グループサウンズ(光平)、クラシック声楽曲(乗松)に焦点を当て、それぞれ注目すべき事例を紹介していただく。これらの事例を通じて、戦後70年の間にみられる「ヒロシマ」の音楽表象と今後の可能性について、フロアを交えながら検討していきたい。

日本音楽学会西日本支部 第24回例会 については 下記を参照下さい。

http://www.maroon.dti.ne.jp/imdk/msj_west/#375

支部例会へはどなたでもご自由に参加していただけます(無料)。

 

「摂氏4000度からの未来」世界初演 の案内

「摂氏4000度からの未来」世界初演

広島市は、被爆70周年記念事業を広島交響楽団の創立50周年の特別事業と共同で、実施します。「文化・

芸術による平和の体現」を目的に、音楽を通して、ヒロシマの心を広く国内外に発信します。

被爆70周年記念事業として、広島市と広島交響楽団は、「広島レクイエム」などの作曲で知られる広島市出

身の著名な作曲家の 糀場(こうじば)富(ふ)美子(みこ)氏 に、原爆投下時に摂氏4000度にも達した広島の

まちの現在と未来に向けてエールを送る新作「摂氏4000度からの未来」の作曲を委嘱しました。

そして、この新作は、広島交響楽団の秋山和慶のデイスカバリー・ シリーズ「音楽の街を訪ねて」において

世界初演されます。

日 時:2015年3月27日(金)18:45開演(17:45開場)

場 所:アステールプラザ大ホール (広島市中区加古町)

内 容:
指 揮:秋山和慶  管弦楽:広島交響楽団
コンサートトーク 「ふるさと広島の未来に寄せて」(糀場富美子)
糀場富美子 「摂氏4000度からの未来」
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」

チケット料金:S席:5,200円 A席:4,200円 B席:3,200円 学生:1,000円

チケットのご案内
広響事務局 TEL 082-532-3080 受付時間 平日9:00~17:20

ひろしま市民と市政 平成27年1月15日

広島市被爆70周年記念事業「音楽の街を訪ねて」第12回広島

糀場富美子さんのプロフィール
koujiba

広島市生まれ。故バーンスタイン氏の推薦で、大植英次指揮により初演された「広島レクイエム」は小澤征爾指揮ボストン交響楽団をはじめ、広島交響楽団など多くの楽団で演奏されている。別宮賞、芥川作曲賞受賞。

「広島レクイエム」について

《弦楽合奏のための「広島レクイエム」》
この曲は1979年に作曲、翌年広島市に寄贈する。1980年に演奏される予定であったが、技術的に演奏が難しいという事で延期となり、今回が初演である。今回の演奏にあたり、前半を大幅に書き直した。
両親共に広島県生まれ、但し呉市在住の為、直接原爆にあうことはなかったが、父は原爆投下後2日で広島市に入り、死体処理をする。小さい頃から、8月6日になると、両親やその友人達から原爆の話は聞かされ、幼いながらも、その恐ろしさを感じとっていたように思う。小学校の時、原爆資料館を見学し、嘔吐感を覚えるほどの恐怖をいだき、それ以後、「原爆」から目をそらしてしまった。改めて「原爆」に目を据えたのは、大学入学の為に広島を離れて上京してからである。広島市に生まれ育ち、また生き残った者として、「原爆」を許すことはできない。この曲は、いつかは絶対に書かなければならないと思っていた曲なのである。
この曲の前半部分は、原爆で傷つき死んでいった人々のうめき、悲しみを、後半は、その人々が苦しみからのがれて、神のもとへ赴き、神のひざもとでやすらかに眠れるようにとの祈りである。
今回の演奏にあたり、この曲をプログラムに組み込んで下さったバーンスタイン氏、指揮の大植氏、演奏して下さるECYOの皆さん、そしてこのような機会をさずけてくださった神に感謝致します。
糀場富美子
(1985年8月6日、広島市における初演コンサートのプログラム・ノートより転載)
 

16 ヒロシマへの祈り 糀場 富美子

 

ヒロシマと音楽

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