「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演 開催報告

「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演 開催報告

「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演は2014年2月9日(日)13:30~ ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ (小ホール)にて開催しました。

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ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ

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小ホール 案内

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受付

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本公演前に 「広島学生音楽連盟」のメンバー再会

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再会の様子を2014年2月10日の中国新聞朝刊に報じられる。
2014年2月10日の中国新聞

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入場開始

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原田雅弘さんかけつける

第一部ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」

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上映前に渡部朋子「ヒロシマと音楽」委員会委員長 挨拶

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上映後挨拶する原田雅弘さん 千葉佳子さん

第二部 コンサート

 出演   大迫 俊一(マリンバ)
      大迫 知佳子(ピアノ)

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二重奏 「春の海」「心に咲く花」「野ばら」「大地讃頌」

マリンバ独奏「ランド」

二重奏 「里の秋」「母と子の八月八日」「花は咲く」

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出演者への花束

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終演、アンケートに協力いただきました。ありがとうございます。

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スタッフの集合写真 原田雅弘さんを囲んで

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」 福山公演

 被爆の翌年から3年余りにわたって活動した「広島学生音楽連盟」の 記録を後世に伝えるため昨夏完成したドキュメンタリー映画 「音の記憶・つながり」の上映とともに「広島学生音楽連盟」や 「平和」にゆかりのある楽曲の演奏を通して、音楽と共に駆け抜けた 若者たちの姿、そしてそれを継承することの意味を見つめました。

ヒロシマ・音の記憶vol.4~継承~福山公演 中国新聞で紹介

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」福山公演

2014年2月8日中国新聞 芸能欄で で紹介される。
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2014年2月6日中国新聞 ―地域 福山欄 で紹介される。

被爆者励ました音楽連盟知ろう
福山で9日上映会

 原爆投下の翌年、音楽で広島市民を励まそうと結成された「広島学生音楽連盟」の足跡をたどるドキュメンタリー映画の上映会と平和コンサートが9日午後1時半から、福山市松浜町のリーデンローズである。「ヒロシマと音楽」委員会の主催。無料
 映画は昨年に完成した「音の記憶・つながり」。連盟に参加した学生約100人のうち福山市出身の千葉佳子さんが郷里に帰り、空襲で焼け野原となった福山市街地の写真を見ながら回想する場面もある。
 コンサートは、福山市を中心に音楽活動をする大迫俊一さん、知佳子さん夫妻が福山空襲の惨状を伝える曲「母と子の八月八日」などをマリンバとピアノで演奏する。NPO法人ANT-Hiroshima事務局☎082-502-6304

「広島の音楽史」(仮称)編纂・出版計画概要

「広島の音楽史」(仮称)編纂・出版計画概要

「ヒロシマと音楽」委員会は平成24年1月28日から、「広島の音楽史」(仮称)編纂・出版計画の事業を開始しています。
この度、2013 年(平成25 年)3 月16 日エリザベト音楽大学で行われた日本音楽学会西日本支部第11 回(通算362 回)例会において,ラウンドテーブル「戦前の広島における洋楽の普及― 『広島の音楽史』編纂に向けて(中間報告会)―」と題して発表した内容を,各発表担当者が加筆・修正を加えながらまとめた報告集を作成しました。

「広島の音楽史」編纂プロジェクトの主旨
1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により壊滅的な被害を被った広島の音楽文化も,現在ではプロのオーケストラを抱えるとともに全国有数のオペラ活動推進地となっている。こうした広島の音楽活動,とりわけ洋楽文化の発展は,呉の海軍軍楽隊,広島高等師範学校の音楽教員の活動,広島女学院に赴任したアメリカ人宣教師の活動など,さまざまな人々の尽力により,明治から大正にかけて洋楽の流入が促進された結果であったと考えられる。また,音楽伴奏を伴う無声映画やレコードの普及,さらに昭和初期に始まったラジオ放送がその浸透に拍車をかけたものと思われる。けれども,原爆投下により多くの人材と文化財,また資料が消失した広島では,戦後の様子が語られることは多いのに対し,戦前の音楽活動が振り返られることはこれまでほとんどなかった。そこで,「『広島の音楽史』編纂プロジェクト」を立ち上げ,広島における洋楽の普及と受容の過程を,戦前からの流れを含めて改めて追求することとした。またそのことにより,「ヒロシマ」という壊滅的な破壊を受けた一都市の文化復興の過程,様子を明らかにしたい。

「普及」と「受容」について
以上の主旨のもと,本プロジェクトでは特に「洋楽」に着目しその受容と普及の過程をみることにした。ここで,次のことを確認しておく。すなわち,「普及」と「受容」という用語の概念であるが,広島で洋楽を普及させた人々(機関)は同時に最初の洋楽受容者でもある。しかし本プロジェクトが最終的に目指すのは,一部の富裕層,知識層による洋楽の受容だけではなく,より幅広い層の人々による洋楽受容の歴史についてである。よって,最初の受容者が洋楽の「受容者」であった点よりも,彼らが幅広く洋楽を「普及,浸透させた」点により大きな意義を見いだし,着目することにした。

4つの視点(分野)について
一方,本プロジェクトでは,広島における洋楽の普及に重要な役割を果たしたと思われる「公的機関」に焦点を当て,各機関における洋楽関連の活動状況をまずは個別に調査することとした。こうした機関が洋楽普及に果たした役割をみるとともに,そこから派生したと思われる活動や,機関同士が相互に連携,あるいは影響を与えながら発展していった活動など,これらの機関をとりまく洋楽普及のダイナミズムを捉えながら広島の音楽史をたどっていくのが最終的な目標となる。その機関として挙げられるのが次の4つである。

① 海軍軍楽隊(呉海兵団軍楽隊)
② キリスト教布教に関わる機関(ミッションスクール,教会)
③ 官立の学校(とりわけ広島高等師範学校,広島県立師範学校)
④ 放送局(廣島中央放送局)

以上の内容を確認した上で,第一回中間報告会を開催した。報告会では,上記の①から④の順に15分を持ち時間として各担当者が発表を行い,その後,会場を交えての全体の意見・情報交換会を行った。フロアからは活発な意見,質問が出されたが,その詳細についてはここでは省略する。ただし,いずれの内容も,本プロジェクト,ならびに個別の研究内容の今後の方向性や課題として大きな示唆を与えるものであった。その際,実りある意見・質問や助言をくださった方々に,ここに記して感謝します。また,本報告会の場を与えてくださった日本音楽学会西日本支部,ならびに支部例会担当の先生方にも深謝します。

2013年(平成25年)5月
「広島の音楽史」編纂プロジェクト (文責;能登原由美)

ここに、報告集をpdfにて掲載します。
データが多いので4つのファイルで紹介します。
つぎの目次にて参照下さい。

呉海兵団軍楽隊が広島の音楽普及に果たした役割
―先行研究の概観と今後の課題―……………………………………竹下 可奈子……1  『広島の音楽史』編纂-2
広島の洋楽普及におけるミッション・スクール、及び母体教会の役割
―戦前の「広島女学院」と「広島流川教会」を中心として―……光平 有希………9  『広島の音楽史』編纂-2
広島の洋楽普及における広島高等師範学校の役割
―吉田信太に焦点を当てて―…………………………………………大迫 知佳子……16 『広島の音楽史』編纂-3
広島の洋楽普及における放送メディアの役割
―『廣島中央放送局開局十年史』にみる―…………………………能登原 由美……22 『広島の音楽史』編纂-4

『広島の音楽史』編纂-1
『広島の音楽史』編纂-2
『広島の音楽史』編纂-3
『広島の音楽史』編纂-4

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」福山公演のチラシ

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」 福山公演 のチラシです。

 被爆の翌年から3年余りにわたって活動した「広島学生音楽連盟」の
 記録を後世に伝えるため昨夏完成したドキュメンタリー映画
 「音の記憶・つながり」の上映とともに「広島学生音楽連盟」や
 「平和」にゆかりのある楽曲の演奏を通して、音楽と共に駆け抜けた
 若者たちの姿、そしてそれを継承することの意味を見つめます。

 【日 時】2月9日(日)開場13:00/開演13:30
 【場 所】ふくやま芸術文化ホールリーデンローズ (小ホール)
      福山市松浜町二丁目1番10号
 【料 金】無料
 【出 演】大迫 俊一(マリンバ)
      大迫 知佳子(ピアノ)
 【内 容】第一部 「音の記憶・つながり」上映
      第二部 コンサート 
 【主 催】「ヒロシマと音楽」委員会
      広島市中区上八丁堀 8-14 安芸リーガルビル5F
      NPO法人ANT-Hiroshima 事務局内
      TEL 082-502-6304
      HP http://hirongaku.com/

「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」福山公演チラシ表
「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」福山公演チラシ裏

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」アンケート(抜粋)

「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」広島公演・アンケート(抜粋)
   2013年12月1日(日) 14:00~広島大学附属中・高等学校 講堂 にて

入場者208名、96名の方々からアンケートに協力いただけました。ありがとうございます。
今後の活動の参考にします。
                      2013年12月16日 「ヒロシマと音楽」委員会

・ こうこうせいと、中がくせいには、みえないほどうまくて、口があくほど、びっくりしてしまいました。
  (10才未満女性)
・ 映画では、色々とヒロシマについて知らなかったことを知ることが出来た。演奏は、器楽も声楽も素晴ら
  しかった。(20才未満男性)
・ 演奏が迫力と、「心を打つ」力にあふれていて、すばらしかったです。「ヒロシマの伝承」は大切ですね。
  (20才未満女性)
・ 戦争のことについて考えることができました。合唱班やのりまつさんの歌がとてもすごかったです。
  先輩のえんそうもかっこよかったです。(20才未満女性)
・ もりだくさんの内容で、とても充実した時間をすごせました。自分自身も中学・高校と合唱をする中で、
  1曲との出会いにわくわくしたり、涙が出そうになるくらい胸がしめつけられ思いを感じていたことを
  思い出しました。広島にいる私たち、今の時代を生きる私たちが感じることを大切に、これからも音楽
  とともに伝えていって頂きたいと思いました。(20代女性)
・ とても良かったです。映画もすごく感動して、多くの方に見て頂きたいと思いました。合唱を久しぶり
  に聞いてやはり良いと思いました。音楽の力を改めて感じました。(20代女性)
・ 感動しました。(40代男性)
・ 「広島平和都市の歌」が最高でした。出演者の思いがひとつになったと感じられる曲でした。(40代女性)
・ 映画がすばらしかった。見れてよかったです。演奏、合唱、独唱も感動しました。学生と、プロのコラボ
  もいいですね!またぜひ開催してほしいです。(40代女性)
・ <ビデオ(映画 注:編者)を見て>今回の演奏会で初めて「ヒロシマと音楽」委員会、「広島学生音楽
  連盟」の存在を知りました。附属とも関係があり、この講堂で音楽会が開かれたことに感慨深いものが
  ありました。<演奏>歌も演奏もすばらしかったです。照明が暗い中の弦の演奏は大変だなと思いました。
  ありがとうございました。(40代女性) 
・ 広大附属高校の教員として、この講堂で音楽祭をわずか被爆一年後になされている事に、大へん感銘を
  受けるとともに、自分の仕事の重みと責任の大きさに改めて身の引きしまる思いです。このすばらしい
  取組みが、さらに多くの方々を結びつけ、ご発展していくことを切に希望します。(50代男性)
・ 歴史的建物での演奏であり、意義深い活動と思う。(50代男性)
・ とても感動しました。原田先生のお言葉が感動しました。管弦楽班、合唱班、乗松さんもすばらしかった
  です。(50代女性)
・ ヒロシマを記録する作業はたいへんですが、ありがたいことです。応援しています。(50代女性)
・ 高校生がさわやかでした。演奏も指揮も本格的でした。40年前にも附属合唱班の「流浪の民」を聞いて
  とても印象が残っており、なつかしかったです。最高にフィナーレでした!(50代女性)
・ スピーカーの雑音が気になった。最後の歌がよかった。(50代女性)
・ すばらしい音楽を聞くことが出来有難うございました。あきのない構成で非常によかったと思いました。
  (60歳以上男性)
・ 5年と言わず地道に継続してほしい。被爆建物であるここを会場に慣例化できればと思う。
  (60歳以上男性)
・ 歴史あるホールに感動しました。演奏内容にマッチしていい感じでした。今後の発展を祈念します。
  (60歳以上女性)
・ 各地を転々としてきて、卒業以来初めて40数年ぶりにこの講堂を訪れました。すばらしい機会を
  ありがとうございました。若々しい生徒さんの様子 ほほえましく また心強く感じました。
  (60歳以上女性)

  (以下 広島学生音楽連盟 の関係者)
・ 映画も全体の運営も長すぎる。年寄りの長話にうんざり(映画)私も年寄りだが(80才)時と所を
  心得て話を短くまとめる訓練がessentialだ!それに比べて子供たちの立派なこと!
  日本の将来は明るい!! (60歳以上男性)
・ 1. 昔懐かしい講堂。四家文子さんを2度招いたことがある。2. 福原信夫NHKプロデューサーの指導で、
  「美しき碧きドナウ」「レクエム」ハイドンの四季「春」を演奏したことがある。2階の窓から夕日が
  さしこむ中で「すべては過去にきえても、夢みの思いは・・・・・・」の歌詞は生涯忘れられない。
  (60歳以上女性)
・ この懐かしいホールで、楽しく混声合唱していた青春時代が思い出されてとても感動しました。
  有難うございました。(60歳以上女性)
・ 昨年亡くなった母は女専の卒業生でした。1945年には卒業していて原爆投下時には山口の実家に
  いましたが、「女専時代の友達がたくさん亡くなった」とよく話してくれていました。
  生前は広島高等学校のこともいろいろ思い出していたようです。講堂の思い出と合唱班の思い出と
  母の思い出が重奏してなつかしかったです。(60歳以上女性)
・ 映画昭和25年までの部分は丁度兄が広島高等学校に在籍した時代でなつかしく思いました。
  「土の歌」3年前?この講堂で付属の生徒とOB合同の合唱を聞きに来たと記憶しています。
  第二部もとてもすばらしかった。(60歳以上女性)
・ なつかしい講堂です。広大のエスポワールの合唱の方達と一度だけ坂田先生だったと思う。
  鈴峯には森田先生で多くの音楽家をお呼びしていました。(60歳以上女性)

以上、ありがとうございました。

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」広島公演開催

「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」広島公演を12月1日(日)14:00~広島大学附属中・高等学校講堂にて開催しました。

 
広島大学附属中・高等学校 正門
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校門脇にある被爆建物の表示版
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旧制広島高等学校 (爆心地から約2.7キロメートル)
鉄筋コンクリート造の講堂は、木造校舎に挟まれた形で建っていたこともあって、大きな被害は免れました。
 
現在の講堂正面
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この講堂は広島学生音楽連盟が演奏会に使った会場。今日、現存する唯一の建物。
 
講堂に入って 入口(「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」)受付
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13:30~ 入場開始
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第1部
ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」上映
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第2部
広島学生音楽連盟が歌っていた「流浪の民」を歌う広島大学附属高等学校・合唱班
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広島学生音楽連盟が東京から招いた歌手が歌ったアリア「ある晴れた日に」を広島大学附属高等学校・管弦楽班をバックに歌うソプラノ歌手乗松恵美さん
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広島出身のプロの音楽家と共演した広島大学附属高等学校・管弦楽班指揮者・加藤君に感想を聞いてみました。
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「プロの音楽家と共演したのは初めて、緊張したがとても勉強になりました」
 
「ヒロシマ、1949年8月6日に寄せる歌」
 英国の詩人、エドマンド・ブランデンによって作詞された。
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歌う乗松恵美さん
 
「ヒロシマ平和都市の歌」
広島出身の詩人、大木惇夫によって作詞された。
広島大学附属高等学校・管弦楽班をバックに広島大学附属高等学校・合唱班と歌う乗松恵美さん
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記念写真
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「ヒロシマ・音の記憶Vol. 4.〜継承〜」広島公演演奏会の様子を伝えた
中国新聞記事(2013年12月2日朝刊)
 
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中国新聞記事は下記をクリックして下さい。
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「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」中国新聞で紹介

「ヒロシマ・音の記憶Vol.4〜継承〜」演奏会

中国新聞2013年11月23日で紹介される。

被爆講堂に「勇気」の歌声

「音楽の力伝えたい」

原爆投下の翌年、広島市の旧制高校や専門学校の男女が集い、歌声を響かせた「広島学生音楽連盟」。4年ほどの活動で使った施設のうち、唯一今も残る南区の広島大付属中・高講堂で12月1日、現代の中高生が、舞台を再現する。演奏会「ヒロシマ・音の記憶」シリーズの第4弾。被爆建物でもある会場で、先人の思いを継承する。

同連盟は、旧制の広島高等学校(現広島大)や広島女子専門学校(現県立広島大)など少なくとも6校の100人余りが参加。焼失を免れた市内の施設で転々と演奏会を開いたとされる。同講堂は貴重な活動拠点の一つで、演奏中の写真も残る。

歌と演奏を担うのは、同校の中高生でつくる合唱班と管弦楽班の男女約70人。同連盟のメンバーがよく歌っていたというシューベルトの「菩提樹」やシューマンの「流浪の民」などをよみがえらせる。

 本番に向け練習は大詰め。合唱班班長の2年井上実乃里さん(17)は「時代を超えたつながりを感じる。心を一つにして歌いたい」。管弦楽班班長の2年三好妃奈子さん(17)も「戦後間もない広島で生きる勇気を届けた同世代に負けないように、私たちなりに音楽の力を伝えたい」と意気込んでいる。

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中国新聞2013年11月23日  記事は

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佐藤しのぶさん「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」を発表 

オペラ歌手の佐藤しのぶさんが、反戦や反核をテーマにしたオリジナルソング「リメンバー」を発表した。作詞は、作詞家で直木賞作家のなかにし礼さん。被爆国から反戦・反核のメッセージを世界へ広げたいという佐藤さんの願いに、なかにしさんが応えた。2人は12日、日本記者クラブで会見し、作品に込めた思いを語った。

語り掛けるような歌声が印象的な作品。「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」のフレーズが繰り返され、「戦争と核兵器のない平和の実現を願う人は集まれ!」と呼び掛ける。作曲は鈴木キサブローさん。

佐藤さんが反戦・反核の歌を歌いたいと思い始めたのは1996年。チェルノブイリ原発事故の影響でがんを患った子どもを治療するベラルーシの小児がん施設を訪ねたのがきっかけだった。

以来、構想を温め、親交のあるなかにしさんに作詞を依頼。中国東北部(旧満州)からの引き揚げ経験を持ち、平和や反戦への思いを発信してきたなかにしさんも快諾した。

「日本人の反戦の思いを音楽という共通の言葉で伝えたい」と佐藤さん。なかにしさんは「福島第1原発事故も経験した日本だからこそ、核をなくすことを訴えなければ」と語る。英語版、フランス語版などの制作も計画する。

2013年11月13日中国新聞朝刊より。

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