「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その4
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その1 で紹介しました
「交響曲第2番ヒロシマ」コンサート情報、中国新聞にて紹介されました。
ヒロシマ復興の調べ 再び
原爆題材 アールトネンの交響曲第2番
原爆の惨禍からの復興を描いたフインランド人作曲家エルッキ・アールトネン(1910~90年)の交響曲第2番HIROSHIMAが11月、60年ぶりに広島市で演奏される。長く眠っていた楽曲を広島の音楽関係者が発掘。北欧から被爆地へ寄せた調べが、被爆70年の節目によみがえる。
広島で来月60年ぶり演奏
交響曲第2番は、広島の惨状に胸を痛め、憤りを抱いたアールトネンが49年に作曲。関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)指揮者の朝比奈隆が53年の欧州訪間の際、アールトネンから楽譜とともに広島での演奏を託された。朝比奈率いる同楽団は55年8月、広島市公会堂で昼夜2回公演。約5千人が聴いたという。
7部構成で約30分。平和だった街が原爆で廃虚となり、そこから復興する姿を表現する。日本初演の55年以降、国内では演奏記録がなく、ヒロシマを題材とした楽曲を掘り起こす「ヒロシマと音楽」委員会が2008年から調査。大フィルの倉庫で楽譜を確認した。
音楽史を研究する能登原由美委員長(44)は「ヒロシマを扱った交響曲で確認できる最初の曲。 一般音源もなく再演の歴史的意義は大きい」と喜ぶ。
演奏会は広島市の被爆70年事業の一環で11月16日、中区のJMS アステールプラザで開く。広島交響楽団で第3代音楽監督を務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者の高関健がダクトを振り、広響が演奏する。
後半には、1985年に広島青年会議所の委嘱で国伊玖磨が作曲した交響曲第6番HIROSHIMAを披露。音戸の舟唄や英国の詩人が広島に寄せた詩も取り入れながら、広島の再生を描き出す。
演奏会でプレトークを務める能登原委員長は「フィンランド人と日本人との視点で書かれた二つの交響曲からヒロシマの歴史を振り返ることができる貴重な機会」と話している。
JMSアステールプラザの演奏会は午後6時45分から。S席4千円、A席3千円、学生1500円。中国新聞社など主催。アステールプラザ 電話 082 (244)8000。
◇
アールトネンの交響曲第2番は、三原市の市芸術文化センターポポロで、12月6日午後4時から開催される大フィルの特別演奏会でも再演される。指揮は井上道義。中国新聞備後本社など主催。ポポロ 電話 0848 (81) 0886。
なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 3
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 2 で紹介しました
「交響曲第2番ヒロシマ」コンサート広島公演のチラシが出来ました。
ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~チラシ表
ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~チラシ裏
この曲は、フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの作品で、被爆からわずか4年後の1949年に作曲され、その年にヘルシンキで初演されました。その音楽が広島に届けられたのは被爆10周年の1955年8月15日のことでした。その春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートが開催されました。指揮は朝比奈隆、演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。この曲が、被爆70周年のこの年、広島で下記のように再演されます。
被爆70周年記念事業
ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~
日時 :2015年11月16日(月)19:00 開演 (18:15 開場)
プレ・トーク18時45分 能登原由美(「ヒロシマと音楽」委員会委員長)
場所 :JMSアステールプラザ大ホール
プログラム
:「交響曲第2番HIROSHIMA」 エルッキ・アールトネン
:「交響曲第6番HIROSHIMA」 團伊玖磨
演奏 :広島交響楽団
指揮 :高関健
主催 :広島市文化財団アステールプラザ、日本交響楽振興財団、中国新聞社
お問合せ:広島市文化財団アステールプラザ 082-244-8000
ヒロシマの追憶と飛翔 チケット(税込/全席指定)は
本日 8月22日(土)から販売開始されます。
S席 4,000円
A席 3,000円
学生券 1,500円 *学生券はJMSアステールプラザでのみ取扱います。
プレイガイド情報・コンサートの詳細は、広島市文化財団アステールプラザ HP 下記を参照下さい。
広島市文化財団アステールプラザ HP
なお、「交響曲第2番ヒロシマ」は広島公演に引き続き、大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、12月6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏することが決定しています。
なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 2
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 1 で紹介しました「交響曲第2番ヒロシマ」は、広島公演に続いて、大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、12月6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏することが決定。古い楽譜の中から出てきた交響曲「HIROSHIMA」総譜を見つけた大阪フィルハーモニー交響楽団の顧問・小野寺昭爾さんが能登原由美さんに存在を教え、関係者に再演をよびかけ、被爆70周年の2015年、広島市、広島県三原市、兵庫県西宮市での再演が決まりました。
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演されるまでの過程が、2015年8月11日の読売新聞夕刊に紹介されました。
以下、読売新聞記事から。
広島60年ぶり希望の旋律
広島の原爆投下を題材にフィンランドの音楽家によって作曲され、1955年、指揮者・朝比奈隆(1908〜2001年)が広島市内で国内初演を実現させた交響曲「HIROSHIM A 」が今年11、12月、国内で60年ぶりに再演される。戦後70年の節目、平和を願うシンフォニーが再び響く。
戦後70年 朝比奈隆 日本初演 交響曲再演へ
作曲者はエルッキ・アールトネン(1910〜90年)=写真=。ビオラ奏者として活動する傍ら作曲も行った。「HIROSHIM A 」は49年に完成、ヘルシンキで世界初演。来日したことはないが「ヒロシマの悲劇が起こった時、既に私はこの交響曲の作曲を決心していた。全人類がこの不幸を嘆き、その慣りは絶頂に達した」と、プログラムに書いた。
7部構成で、演奏時間は約30分。暗い旋律で始まり、「火の爆風」と名付けられた後半部では爆発を連想させる大音量が鳴り響き、犠牲者を弔う葬送行進曲風のリズムが続く。フィナーレは一転、明るい音色で希望を表現する。
朝比奈は53年、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団に客演。楽団員だったアールトネンから総譜を手渡され、「平和の祈りを込めて、焦土から立ち上がる広島の姿をイメージして作曲しました。私がなし得る唯一のプレゼントです」と、広島での演奏を熱望された。その様子について朝比奈は「心を打つものがあった」と日本への手紙に記した。
終戦から10年後の55年8月15日、朝比奈は関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を率いて広島市公会堂でこの交響曲を取り上げた。広島出身の関西財界人の援助で無料公演となり、昼夜2回で計約5000人が来場。同月末、京都市でも演奏されたが、その後、楽譜の存在は忘れられていった。
作品を掘り起こしたのは、原爆をテーマとする曲を調査してきた市民団体「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美さん(44)=写真=だ。「曲の散逸を防いで若い世代に引き継ぐため、個別の作品を詳しく調べたいと思った」と語る。
アールトネンについては2008年から本格的に調べ、大阪市の大阪フィルに総譜が保管されていることを確認した。フィンランドの遺族を訪ね、日本の聴衆からアールトネンに「被爆当時を思い出して心の中で泣きました」などと、感謝の手紙が届いていたことも分かった。
能壼原さんは「おそらくヒロシマを題材にした最初の交響曲で、最初の外国人作品。アールトネンは第2次大戦に従軍経験があり、心と街の復興を願って曲を作ったのでしょう」と話す。
能登原さんや、大阪フィル顧問・小野寺昭爾さん(80)らの呼びかけが、再演への原動力になった。広島交響楽団が11月16日、広島市のJMSアステールプラザ大ホールで披露。大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、同6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏する。大阪フィルの首席指揮者、井止道義さん(68)は「戦後10年で、朝比奈さんは『何かをしなければ』という気持ちで、こ曲を広島で初演した。観客と社会、自分たちのために演奏する」と決意を語っている。
2015年8月11日読売新聞夕刊の記事は 下記をクリック下さい。
2015年8月11日読売新聞夕刊
なお、アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》
「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 1
「交響曲第2番ヒロシマ」は「ヒロシマと音楽」委員会が作成したデータベースによると、フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンによって1949年作曲されました。
データベース(主要作品)全体
その音楽が広島で演奏されたのは、1955年8月15日、今から60年前の今日でした。その年の春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートでした。指揮は朝比奈隆、演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。中国新聞の記事によれば、2回の演奏で5000人が詰めかけ大成功だった。さらに、公演の模様は6日後の8月21日にラジオ中国(1967年中国放送と改称)で放送されている。
しかしながら、その後、演奏されることもなく、音源もなく、楽譜も不明でした。「ヒロシマと音楽」委員会の資料作成事業のなかで、能登原由美委員(現委員長)が楽譜を発見し、フィンランドのヘルシンキで、この作曲家エルッキ・アールトネンの遺族に会い、初演時の録音を聴き、被爆70周年の2015年に広島での再演を関係者によびかけ、広島での再演が実現することになりました。
日時:2015年11月16日(月)19:00 開演
場所:JMSアステールプラザ大ホール
演奏:広島交響楽団
指揮:高関健
主催:広島市文化財団アステールプラザ
広島での再演へ向けての過程を、数回に亘って紹介します。
ヒロシマ音楽譜 1 作品が紡ぐ復興 能登原由美
ヒロシマは音楽家を駆り立ててきた。生まれた作品の多くは、惨劇の向こうに、復興をみていた。音楽に何ができるか、それは東日本大震災が突きつけた問いでもあった。クラシツク、歌曲、ジャズ…。ヒロシマの復興と共に歩んだ音楽作品を今、たどりたい。
ヒロシマを音に託した音楽家は数多いが、歌詞のない器楽作品となると意外に少ない。その器楽作品でいち早くヒロシマを表現したのが、実は海外の作曲家であったことをご存じだろうか。フィンランドのエルッキ・アールトネン(1910〜90年)である。
彼の交響曲第2番「HIROSHIMA」は、被爆からわずか4年後の1949年に作曲され、その年にヘルシンキで初演された。故国がロシア、ドイツとの戦争で荒廃し、自らも戦地に赴いたアールトネン。原爆投下の知らせを聞いて即座に作曲を思い立った背景には、こうした事情が影響していたかもしれない。
筆者は今年3月、ヘルシンキでアールトネンの遺族に会い、初演時の録音を聴いた。8月6日を予感させる陰鬱な冒頭。一転して広がる穏やかなメロディーは、惨劇前の広島を表しているのだろうか。だが、軍隊のマーチに続いて冒頭のメロディーが再び現れる。そして、投下の瞬間を思わせる爆発音。わずかに残った音の世界に葬送のメロディーが静かに鳴り響く。
この交響曲は、原爆投下の様子を音で描写する。ただし、あくまで作曲者アールトネンの想像上の世界である。想像は広島の未来にまで及び、終楽章では冒頭のメロディーが長調に変わって何度も繰り返され、惨劇に立ち向かう人間の内なる力強さが表現される。
その音楽が広島に届けられたのは55年8月15日のことであった。その春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートが開催された。指揮は朝比奈隆、
演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。広島出身の関西財界人の支援により、全席無料のコンサートとなる。
報道によれば、2回で5千人が詰めかけ、大成功に終わった。極北で広島を思うアールトネンのもとに、感激した聴衆から手紙が届く。それによれば、演奏直後、長い沈黙が続いた。その後、観客は総立ちになって割れんばかりの拍手を送り続けたという。
(2012年5月12日中国新聞より)
(コンサートの様子を写真付きで報じた翌日の中国新聞紙面は、下記をクリックして下さい)
中国新聞記事 ヒロシマ音楽譜 1 作品が紡ぐ復興 能登原由美
なお、アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
「交響曲第5番ヒロシマ」(作曲 大木正夫)初演音源 発見される
丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」に着想を得た、作曲家大木正夫の「交響的幻想曲ヒロシマ 原爆の図に寄せて」の初演音源(1953年)が、横浜市内のTBS の倉庫で見つかった。
同曲は、「幽霊」「火」「水」「少年少女」など全8楽章で構成し、不協和音を連続させ原爆の惨状を表す現代音楽。発見された音源は、53年11月1日にラジオ東京(現TBS)の番組「コンサートホール」で放送されたが、存在を知られていなかった。TBSホールディングスが音源資料を整理する中で確認した。
戦前から戦時中にかけて戦意高揚の作品を多く発表し、戦後は一転して反戦の音楽を作った大木。同曲の自筆の楽譜に「(原爆被害の)実相を人類の一人残らずに知らせることは(中略)日本人の人類に対する義務である」などと書き込んでいた。その後改訂し、大木の代表作「交響曲第5番ヒロシマ」として発表した。
ヒロシマが題材の楽曲収集や活用に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美委員長(44)は「ヒロシマを音楽で描写した作品としても、ラジオ放送で多くの人にヒロシマのことを伝えた音楽としてもかなり早い時期の作品。その音源が発見された意義は大きい」と話した。音源は年内に日本コロムビアから発売される予定。(余村泰樹)
(2015年8月4日中国新聞朝刊)より
なお、楽譜は広島公文書館に寄贈されています。
参考資料は下記をクリックして下さい。
中国新聞記事 交響曲「ヒロシマ」初演音源
TBS ホールディングスNews リリース 「原爆音楽」の源流、大木正夫作曲 「交響的幻想曲ヒロシマ原爆の図に寄せて」の初演音源発見。
市民がつくる被爆70年24時間チャリティー・コンサート の案内
日時 : 2015年8月11日(火) から 8月12日(水) 午前9時~午後9時
場所 : 広島国際会議場フェニックスホール (広島市中区中島町1-5)
入場料: チケット1日券
前売り:(一般)2,000円 (高校生以下)1,000円
当日 :(一般)2,500円 (高校生以下)1,500円
チケット2日通し券
前売り:(一般)3,000円 (高校生以下)1,500円
当日 :(一般)3,500円 (高校生以下)2,000円 ※未就学児無料、全席自由席
主催 : 被爆70年24時間チャリティー・コンサート実行委員会
〒730-0014 広島市中区上幟町2-31
TEL:082-288-2675/FAX:082-288-2675
E-MAIL:info@12×2concert.com
開催趣旨:被爆70年(2015年)の8月11日と12日、音楽とともにパフォーミング・アーツ
を通して世界に平和のメッセージを市民の手で届けるチャリティー・コンサー
トを開きます。市民主体・市民参加型のコンサートを慰霊の場として、また広
島と世界を結んで核兵器廃絶と世界平和を願うメッセージを発信する場として、
2005年に市民の力で実現した「被爆60周年慰霊の夕べコンサート」(バッハの
マタイ受難曲)以来の伝統を、被爆80年まで続けることも目的の一つです。広
島・長崎・沖縄そして全国からの出演者が気持ちを一つにして祈ります。
呼びかけ人: 安野光雅、扇ひろ子、大前研一、加藤登紀子、喜納昌吉、三枝成彰、
佐々木雅弘、高橋史絵、坪井直、中沢ミサヨ、早川敦子、平塩清種、
廣瀬禎彦、山崎芳男、山田洋次、吉永小百合、その他。
詳細は 下記を参照下さい。
http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/event/archives/7024.html
なお、「ヒロシマと音楽」委員会
委員の乗松恵美さんが出演。
会友の上村和博さんが運営事務局に、藤田真弓さんが出演しています。
音楽で知る「ヒロシマ」
~音楽アウトリーチで体感する平和のメッセージ~
これまでの平和学習プログラムでは、語り部による被爆体験のお話をきくこと、映画や絵画の鑑賞や被爆絵本や文学作品を読むなど、様々な形で「ヒロシマ」の経験を伝える機会が持たれてきました。
音楽で知る「ヒロシマ」は、「ヒロシマ」を題材とした音楽を用いた新しい平和学習プログラムの提案です。しかし「ヒロシマ」を題材とした音楽作品は、ただ演奏を聞くだけでは子どもたちにとって理解しにくい内容のものもあります。
そこで、アウトリーチプログラムという形をとり、演奏者が子どもたちの目線に合わせ、詩や音が表現している音楽の背景を子どもたちと一緒に探し、考えることで、作品にこめられた想いを理解した上で楽曲を聴きます。子どもたちは音楽作品を通して「ヒロシマ」の経験を知り、平和や命の大切さを体感する時間を持つことが出来ます。
〇音楽アウトリーチの基本プログラム
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
1.少人数(1プログラム1クラス)
子どもたち一人ひとりと対話しコミュニケーションをとれる人数を基本とします。
2.45~50分プログラム
子どもたちが集中して取り組める時間の長さとして、
学校の時間割の1時限の長さを目安にしています。
3.音楽室
子どもたちが集中しやすい広さの空間が理想です。
アウトリーチプログラムについての詳細は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、2ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
〇音楽アウトリーチ実演例は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、3ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
〇音楽アウトリーチ申込み、実施について
【お申込み】
「ヒロシマと音楽」委員会 hirongaku@hirongaku.com にお問合せ下さい。
【費用について】
・演奏者(ソリスト、伴奏者)の出演料
・交通費実費
(・学校以外で実施する場合は、会場費)
【助成金についてご案内】
学校で実施する音楽アウトリーチ公演は、文化庁「文化芸術による子どもの育成事業」による助成を申し込むことが出来ます。(年度ごとの公募、募集時期は11月~1月頃)
詳細は以下の文化庁HPをご参照下さい。
文化庁HP 文化芸術による子供の育成事業
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/index.html
上記HPより
文化芸術による子供の育成事業 芸術家の派遣事業 実施の手引き(実施校用)PDF
を、ご利用ください。
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/dl/index/h27/h27tebiki_jishikou.pdf
その他実施までの流れについては、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、4ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
演奏者プロフィールは、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、5ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
音楽で知る「ヒロシマ」は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」(作曲 三浦則子)広島で世界初演される
日本を代表する現代音楽作曲家 細川俊夫がお届けする HIROSHIMA HAPPY NEW EAR(広島の新しい耳)シリーズ19で、被爆70周年という節目の年である2015年6月25日に、細川俊夫が注目する二人の作曲家に「ヒロシマ」をテーマにした作品を委嘱した「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」が、川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)の演奏で広島市中区アステールプラザにて、世界初演されました。
細川俊夫さんに紹介され、作曲について解説する三浦則子さん © ひろしまオペラ・音楽推進委員会
「世界に存在する“者”と“物”。者、つまり人間は、次のいまそこを志向することによって時間的存在と成り
うるが、物は、時の推移を志向することはない。生きようとする意欲が世界を決定する。世界は、生きようとす
る者による未踏の現象であり、あらかじめ知ることはない森羅万象である。」(門脇道雄氏の論文より抜粋)
この未踏の現象の背景に、私は風を感じる。しかしどんな状況の中でも、人は風を感じることができるのだ
ろうか?例えば、70年前のヒロシマの惨劇の後で。あるいは同じ頃、地球の反対で起こったアウシュビッツで
の残虐な行為の中で。者が物と扱われる瞬間から、悲劇は起こる。者は、突如、時の推移のない“無風”に曝さ
れる。
今も続く、この悲劇がもたらす数々の惨事を通じて、私は70年前のヒロシマを想像する。未踏の現象とともに
翻弄され続ける“風”の様相を、つまり惨劇の過去から今、そして未来へとヒロシマを渡る風を、この作品のテ
ーマとした。 (プログラム より)
「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」を演奏する
川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)
© ひろしまオペラ・音楽推進委員会
「広島時間」(作曲 徳永崇)広島で世界初演される
日本を代表する現代音楽作曲家 細川俊夫がお届けする HIROSHIMA HAPPY NEW EAR(広島の新しい耳)シリーズ19で、被爆70周年という節目の年である2015年6月25日に、細川俊夫が注目する二人の作曲家に「ヒロシマ」をテーマにした作品を委嘱した「広島時間」(作曲 徳永崇)が、川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)の演奏で広島市中区アステールプラザにて、世界初演されました。
細川俊夫さんに紹介され、作曲について解説する徳永崇さん © ひろしまオペラ・音楽推進委員会
広島の街には、様々な原爆の記憶が残っていて、今もなお現実とは異なる複数の時間が流れていると感じて
います。また、国際平和都市という清廉なイメージがありますが、猥雑なものも含め、雑多な要素がない交ぜ
になっているのが、現在の広島の姿であるとも感じています。本作品は、そのようなハイブリッドな様相を音
で表現する試みです。過去や現在の様々な事象を音響化し、共存させる方法を取りました。その結果、原爆と
戦争が決して過去のものになっていないことに気付き、がく然としています。例えば、現在を象徴する音を探
したとき、やはりそこには戦争の影が潜んでいるのです。今、日本が向かおうとしている方向や、世界の動向
について考えたとき、絶望的にならざるを得ません。しかし、大人が絶望しようとしまいと、現代の荒野に子
どもたちは産まれ、生を育んでいきます。原爆資料館には、昭和20年8月6日の市内での出生記録が残されて
います。本作品には、現状に対する問題提起の側面もありますが、同時に新しい生命へのささやかな感謝の気
持ちも込めました。未だ戦の絶えないこの世における命のたくましさと切なさを、私の身の丈に合ったやり方
で、表現できれば幸いです。 (プログラム より)
「広島時間」を演奏する川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)
© ひろしまオペラ・音楽推進委員会
~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ) の案内
公演 : ~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ)
日時 : 2015年6月20日(土)
1回目 午後1時半開場、2時開演
2回目 午後4時半開場、5時開演
著 八尾洋二 鈴木咲子
作曲 小玉好行
演出 山岸 靖
出演 山岸芽美子 小玉 妙 山岸玲音 山岸 靖
ピアノ 上杉智穂
照明デザイン 稲田道則
会場 : 本願寺広島別院 http://www.aki.or.jp
入場料 : 1000円 (要 予約 下記チラシを参照下さい )
主催 : 「撫子」の会
後援 : HIOS後援会
なお、「~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ)」は1996年9月21日、広島市現代美術館にて、中国放送「平和祈念コンサート」で上演しています。 「ヒロシマと音楽」実行委員会 担当。