「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」信濃毎日新聞で紹介されました
「ヒロシマと音楽」委員会が企画している「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」の取組みが7月29日(火)の夕刊で紹介されました。
被爆後の広島 市民に希望の灯
爆心地の聖歌 再現へ
12月に本番 世代つなぐ接点に
再現に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の光平有希さんが紹介されています。
この記事は共同通信の配信で全国各地の新聞・夕刊で紹介されています。
2014年7月29日(火)信濃毎日新聞・夕刊は、下記をご覧下さい。
ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」福山市で上映
(旧制広島高等学校講堂で歌う広島学生音楽連盟合唱団の写真(1947年撮影)を持つ原田さん(左)と千葉さん= 「ヒロシマと音楽」委員会提供)
被爆翌年の1 94 6年、原爆で荒廃した広島を勇気づけようと旧制高校の生徒で結成した「広島学生音楽連盟」を取材したドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」が福山市で上映されます。
日時 8月2日(土)14:00~15:30
会場 福山市沼隈図書館 市民ギャラリー
福山市沼隈町常石1810
入場料 無料
主催 福山市南部生涯学習センター
問合せ 084-980-7133
日時 8月3日(日)13:30~
8月5日(火)13:30~
8月6日(水)13:30~
会場 福山市人権平和資料館
入場料 無料
主催 福山市人権平和資料館
福山市丸の内1丁目1番1号
問合せ 084-924-6789
広島学生音楽連盟は、市内の旧制高校6校から生徒が100〜120人集まり、旧制高校が廃止される1950年3月まで活動した団体。「ヒロシマ・ナガサキ」や反核をテーマとする音楽作品のデータベースづくりを行っている市民団体「ヒロシマと音楽」委員会の調査により、同連盟が合同合唱団を作って演奏活動をしたり、東京から日本を代表する音楽家を招いてコンサートを開くなど、戦後の広島の文化に大きな役割を果たしたことが分かったという。
この活動の記録を後世に伝えようと、同委員会が映画の製作を企画。広島を拠点にドキュメンタリー映画を手がける青原さとし監督がメガホンをとった。
映画は、原田雅弘さん( 85)と千葉佳子さん( 85 )ら連盟の中心メンバーヘのインタビューと、合唱団の思いを継ごうと2011年に市内の3高校が出演した合唱コンサートの模様、参加した高校生へのインタビューなどで構成する。
このドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」は
企画・製作「ヒロシマと音楽」委員会 製作NPO法人ANT-Hiroshima
監督・撮影 青原さとし 68分/2013年製作
1 日時 2014 年7 月27 日(日)10:00 ~
2 会場 呉市広市民センター5 階大会議室 (呉市広古新開2 丁目1-3)TEL:0823-71-2151
3 行事予定
4 研究報告
5 シンポジウム「戦前の広島における洋楽の普及」
司会: 石田雅春(広島大学文書館助教)
コメンテーター:片桐功(エリザベト音楽大学教授)
※参加費無料。事前の申し込みは不要です。※お問い合わせは芸備地方史研究会まで。
【主催】 芸備地方史研究会
〒739-8522 東広島市鏡山1-2-3 広島大学大学院文学研究科内
TEL:082-424-6643(FAX 兼用) e-mail:geishi@hiroshima-u.ac.jp
HP:http://home.hiroshima-u.ac.jp/geishi/
【共催】 広郷土史研究会
【後援】 広島県教育委員会、呉市教育委員会
下記のポスターをご利用下さい。
~近代広島の音楽史構築をめざして~
アールトネン 「交響曲第2番ヒロシマ」総譜見つかる
被爆10年目の「ヒロシマ」の響き
アールトネンと朝比奈 隆
被爆10年後の1955年8月、広島市で演奏された「交響曲第2番ヒロシマ」のオリジナル総譜が見つかり、7月7日より、広島市公文書館(中区) で公開されている。
1949年にフィンランドの作曲家エルッキ・アールトネン(10〜90年)が被爆地に思いを寄せてつくり、惨劇に立ち向かう市民の力強さを表現した。市販の音源はなく、広島での再演を願う声が音楽関係者の間で高まっている。
期間 :平成26年7月7日(月)~9月26日(金)
時間 :午前9時~午後5時
休館日:土曜日、日曜日、祝日、8月6日(水)
場所 :広島市公文書館ロビー(7階)
入場料:無料
主催 :広島市公文書館
広島市中区大手町4丁目1-1(大手町平和ビル)
TEL 082-243-2583
フィンランドの作曲家、エルッキ・アールトネンは被爆から僅か4年後の1949年に
ヘルシンキで交響曲第2番「ヒロシマ」を作曲しました。
作品はただちにヘルシンキにて世界初演され、その後は東欧を中心に上演されています。
作曲当時は日本がまだGHQ統治下にあり、極北のフィンランドに原爆被害の実態が
どこまで伝えられていたのか定かではありませんが、母国が直面したロシアとの
戦争のために2度戦地に赴いたアールトネンは、広島の悲劇に思いをめぐらせるとともに、
歴史的大惨事を乗り越える人類の力を信じ(というのも、広島の復興の様子はおそらく
全く知らなかったはずなので)、それらを音で表現しました。
これまでの私の調べでは、「ヒロシマ」を表現した現存の器楽作品としては、
最初の作品と考えられます。
交響曲第2番「ヒロシマ」の総譜の一つで、アールトネンが朝比奈隆に託した楽譜が大阪で
見つかりました。、
今回の展示は、この作品が被爆10年後の昭和30年8月15日に、朝比奈隆の指揮で
広島で日本初演された時の様子を作品スコアと写真資料によって紹介するものです。
開館したばかりの広島市公会堂に大勢の観客が詰めかけている写真など
当時の写真10枚を、昨年行なったフィンランドでの調査で発見し、今回その一部を
披露することになりました。
つきましては、そのチラシとともに、中国新聞紙上でロビー展について
紹介していただいたので、その記事を添付します。(能登原由美)
チラシ 参照下さい。
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参考文献
詳細は
アールトネンの『交響曲第2番』”Hiroshima”
『藝術研究』第21・22号(2009)87-96頁
中国新聞2014年7月8日
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