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「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」中国新聞朝刊―芸能欄―で紹介されました

「ヒロシマと音楽」委員会が企画している「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」の取組みが11月22日(土)中国新聞朝刊―芸能欄―で紹介されました。

47年のクリスマス音楽礼拝再現
     復興のメサイア 時を超え
      来月13日 広島流川教会
             当時の進行表手本

被爆地ヒロシマの年の瀬に、平和を願って響くヘンデルの「メサイア」。その歌声を広島県内に広げるきっかけになったのが、被爆2年後に広島流川教会(広島市中区)で開かれたクリスマス音楽礼拝だ。ラジオで県内に届けられた礼拝を再現するコンサートが12月13日。同教会である。広島の音楽関係者たちが毎年続けてきた「ヒロシマ・音の記憶」の最後を飾るシリーズ第5弾。人々に希望の光を与え、復興を支えた楽曲に込められた思いに迫る。
(以下、下記の中国新聞をクリック下さい。)
chugoku-np vol.5

再現に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の光平有希さんが紹介されています。

中国新聞朝刊 芸能欄

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」シンポジウムの案内 

 

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 シンポジウム

    ヒロシマ復興と広島流川教会との歩み––––思想・活動・音楽––––

日時:2014年11月29日(土曜)16:30~18:30

場所:広島まちづくり市民交流プラザ・北棟5F 研修室B

                 (広島市中区袋町6番36号)

参加費:無料

司会:   能登原由美 (「ヒロシマと音楽」委員会委員)

発表:●  桐谷多恵子 (広島市立大学広島平和研究所講師)

              広島『復興』の再考察 ~谷本清の思想と行動を通して~

      ●  川口悠子 (法政大学講師)

              ヒロシマ・ピース・センターの背景を考える––––谷本清牧師を中心に

      ●  光平有希 (総合研究大学院大学博士後期課程在籍・「ヒロシマと音楽」委員会委員)

              広島流川教会における復興と音楽との歩み―谷本清牧師及び太田司朗氏を中心として

 

シンポジウム  要旨

「ヒロシマ復興と広島流川教会との歩み––––思想・活動・音楽––––

 

 広島『復興』の再考察 ~谷本清の思想と行動を通して~  
桐谷多恵子 (広島市立大学広島平和研究所講師)

年代:1945年~1950年

要旨

広島の「復興」と云えば、丹下健三設計の平和公園や原爆ドーム、平和記念資料館に注目が集まってきたように思います。「復興」とは何でしょうか。失った街を元通りに再建することでしょうか。破壊された街に、新しい建物の建設や記念碑の建立を行うことを意味するのでしょうか。

その「復興」観に対して、報告者はこれまでの研究において、広島と長崎の被爆地で市民から見た「復興」の問題点を挙げながら、「生きる」ことを根本にした被爆者にとっての復興について研究を行ってきました。本講演会では、谷本清牧師の思想と活動を通して、「復興」を考察したいと思います。

原子爆弾が投下された1945年8月6日午前8時15分、谷本牧師は、爆心地から約3.2kmの距離で被爆しました。奇跡的に傷一つ負わなかった彼は、その後、被爆により、爆心地から逃げてくる重傷者たちと出会います。全市が原爆により炎に包まれていく様子を目の当たりにしながら、谷本牧師は、火の海の中にいるであろう教会員や町内会の人、そして家族のことが心配になり、負傷者の群れとは逆に市内の方面へと進んでいきました。その際に、直視した被爆体験の悲惨さ。助けることのできなかった負傷者たち。牧師として自らの責務を果たせたのか、という自問。谷本牧師は、自らも被爆者でありながら、負傷者たちを救えなかったことに自責の念に駆られます。この無残な被爆体験は、彼が平和運動に身を捧げる原点となったといえるでしょう。被爆から1か月後の9月下旬には、彼自身が放射線障害ともいうべき症状に襲われて寝込みます。体調の回復後、彼が真っ先に取り組んだのは破壊された流川教会の復興です。教会員の信仰の厚さと信者の教会復興への願いが彼の心を更に動かし、支えとなるのです。そして、被爆地に留まり教会の復興と伝道に力を尽くしました。廃墟の中、支援も救援もない中で彼は教会の復興に孤軍奮闘します。そんな彼の道を開いた一つの大きなきっかけとなったのは、彼の被爆体験がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』で紹介されたことです。これにより、彼の被爆体験は米国をはじめとして世界に知られるようになり、支援の道を獲得していくのです。

目の前の被爆者を救うために自分に何ができるかを問いながら、格闘していった谷本牧師の思想と行動を通して、被爆地において取り組まれた復興を考察したいと思います。

 

ヒロシマ・ピース・センターの背景を考える ~谷本清牧師を中心に~
川口悠子 (法政大学講師)

年代:1930年代~1940年

要旨

ヒロシマ・ピース・センターの設立には、米国の人々の協力が得られたことが重要なファクターとなっていました。谷本清牧師は1948年10月から1949年12月、1950年9月から1951年7月など、数次にわたって米国を訪問し、ピース・センター設立の方途を探りました。その努力の中で1949年3月にニューヨークでヒロシマ・ピース・センター・アソシエーツ(協力会)が設立されたことは、広島でピース・センターが設立され、被爆者救援事業を進めるにあたり、大きな力となりました。

ところで、当時日本は米国の占領下にあり、海外渡航はごく限られた人しかできませんでした。また、米国では、原爆投下は仕方なかったという世論が多数派を占めていたことはよく知られています。その中で、谷本牧師はなぜ長期間にわたって米国を訪問し、多くの人にはたらきかけることができたのでしょうか。この報告では、これらの疑問を通じて、ヒロシマ・ピース・センターの設立過程について考えます。

その際のカギのひとつは、谷本牧師と米国の人々との結びつきの原点ともいえる、牧師の米国留学経験です。谷本牧師は1937年7月から1941年春まで、米国に留学していました。エモリー大学神学部(ジョージア州アトランタ)で学ぶあいだ、谷本牧師は教員や同級生など、多くの人の知遇を得ました。帰国後まもなく日米のあいだに戦端が開かれたことで、交流はいったん難しくなりました。しかし戦後、谷本牧師がジョン・ハーシーのルポルタージュ「ヒロシマ」の主人公のひとりとなったことで、エモリー大学関係者らは、谷本牧師が原爆に遭い、生き延びたことを知ります。こうして交流が再開し、米国メソジスト教会が谷本牧師を招待したことで、当時としては異例の米国訪問が実現したのです。留学時代に築いた人間関係は、牧師が米国でピース・センターへの賛同者を探す際にも、重要な役割を果たしました。

このように、ピース・センターの設立にあたり、谷本牧師の留学経験は、広島と米国での活動をつなぐ役割を果たしました。報告では、具体的なエピソードも交えつつ、ピース・センターの設立過程について、谷本牧師と米国の人々とのかかわりから考えていきます。

 

広島流川教会における復興と音楽との歩み ~谷本清牧師及び太田司朗氏を中心として~
光平有希 (総合研究大学院大学博士後期課程在籍・「ヒロシマと音楽」委員会委員)

年代:1945年~1951年

要旨

 広島流川教会は被爆後のヒロシマの地で、復興への長き道のりを音楽と共に歩んできました。本教会は、被爆翌年より早くも慈善音楽会や進駐軍を招いての演奏会のほか、市民クリスマスも開催するなど、大いに市民を音楽で勇気づけました。

1947年秋には、当時、広島流川教会の主任牧師であった谷本清牧師の留学時代の知人リリアン・コンデット氏から《メサイア》の楽譜30冊が贈られてきます。それを契機として、広島師範学校の音楽教師であった太田司朗氏を中心として教会員や師範学校の生徒による男女混声合唱の聖歌隊が組織。同年12月21日に教会で行われたクリスマス讃美礼拝のほか、24日に行われた第2回市民クリスマスで《メサイア》の抜粋演奏会が行われました。さらに同日の夕刻には「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」として広島流川教会からラジオ生中継が行われ、市民に向け、平和への道を音楽と共に歩むという彼らのメッセージが電波を通じて広く伝えられました。なお、本放送では聖書朗読や祈祷に加え、讃美歌2曲と、ここでも《メサイア》より〈ハレルヤコーラス〉の演奏が行われています。

さらに、音楽でヒロシマ、そして日本の平和的復興を願った谷本清牧師及び太田司朗氏は、音楽活動のみならず、これからの時代を担う幼い子どもたちへの音楽教育にも目を向けました。そして彼らは、太田司朗氏の生徒であった板野平氏を、1951年にアメリカのダルクローズ音楽学校へ奨学生として派遣し、そこで得た新しい音楽教育の萌芽が日本中で開花し、拡がることを願ったのです。この願いに応えるように板野氏は帰国後、この世を去るまで日本におけるリトミック教育の普及・発展に尽力し続けます。このように谷本清牧師、そして太田司朗氏の想いは、広島のみならず日本中で今も生き続けているのです。

本報告では、音楽と共にヒロシマ復興の道を歩んだ教会の足跡原点に遡り、音楽の力を信じた彼らの音楽活動・教育とそこに込められた願いを紹介したいと思います。

「ヒロシマ・音の記憶 vol.5~生きる~」チラシが出来ました

「ヒロシマ・音の記憶 vol.5~生きる~」チラシが出来ました

「ヒロシマと音楽」委員会は、2010年より、「ヒロシマ・音の記憶」シリーズとして、被爆後のヒロシマに関連する楽曲を集めた演奏会を毎年行ってきました。第5回目となる今年は、2014年12月13日に「ヒロシマ・音の記憶 vol.5 ~生きる~」と題し、ヒロシマ復興を音楽と共に歩んだ広島流川教会をはじめ、広島市内教会の足跡に焦点を当てた演奏会を開催します。

日時 : 2014年12月13日(土曜日)18:00~  
場所 : 日本キリスト教団 広島流川教会 広島市中区上幟町8-30

PROGRAM
第1部 クリスマス特別番組
『クリスマス音楽礼拝』復元演奏
  第2部 ≪メサイヤ≫抜粋演奏
  ======================================
  合唱 : 「ヒロシマ・音の記憶」合唱団
  管弦楽: 「ヒロシマ・音の記憶」管弦楽団
 総合指揮者 :松浦修  合唱指揮者/小玉好行
ソリスト  :ソプラノ:乗松恵美、アルト:井上美和、テノール:頃安利秀、バス:折河宏治
 
チラシ 表
Vol5-01
チラシ 表 pdf

お断り
(チラシには「ヤマハ広島店」も記載されていますが、こちらでの販売はなくなりましたのでご了解ください)

チラシ 裏
Vol5-02
チラシ 裏 pdf

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団員募集

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団員募集

「ヒロシマと音楽」委員会は、2010年より、「ヒロシマ・音の記憶」シリーズとして、被爆後のヒロシマに関連する楽曲を集めた演奏会を毎年行ってきました。第5回目となる今年は、20141213日に「ヒロシマ・音の記憶vol.5 ~生きる~」と題し、ヒロシマ復興を音楽と共に歩んだ広島流川教会をはじめ、広島市内教会の足跡に焦点を当てた演奏会を開催します。そこで、ヘンデル作曲《メサイア》より抜粋曲(合唱9曲)及び讃美歌(2曲)を歌っていただく男声合唱団員の方々を募集しています。みなさま、是非ともご参加くださいますようお願いいたします。

 【本番詳細】

日時/2014年12月13日(土曜日)18:00~  場所/日本キリスト教団 広島流川教会

総合指揮者/松浦修  合唱指揮者/小玉好行

ソリスト/ソプラノ:乗松恵美、アルト:井上美和、テノール:頃安利秀、バス:折河宏治

管弦楽/「ヒロシマ・音の記憶」管弦楽団

【参加条件】 これまでに《メサイア》の合唱経験がある男性の方

【合唱練習日時】日曜日・14001700

8/31日  9/21日・28日  10/12日・19日・26日   11/9日・23日・30日 12/7日

【合唱練習場所】YMCA広島1号館(専門学校) 地下自習室(※数回、別室練習あり)

【合唱指導】小玉好行

【使用楽譜】①ヘンデル作曲《メサイア》(ベーレンライター版)

※ベーレンライター版以外のお手持ちの楽譜でも構いません。各自でご準備のほど宜しくお願いします。

       ②讃美歌(旧 讃美歌) ※楽譜はこちらで準備いたします。

【お問合わせ先】 TEL:082-502-6304 (担当 光平)

                   e-mail:hirongaku@hirongaku.com

「ヒロシマ・音の記憶vol.5 ~生きる~」 演奏会の主旨

 1945年、焦土と化したヒロシマ――。そのヒロシマ復興の長きに亘る道のりを、音楽と共に歩み続けた教会がありました。それが広島流川教会です。本教会は、被爆翌年から慈善音楽会を開催するほか、市内の他教会と共に「広島市基督教連合会」主催で演奏中心の市民クリスマスを行うなど、市民を音楽で勇気づけることに重きを置きました。その背後には当時、広島流川教会の主任牧師であった谷本清師、そして広島流川教会員であり、広島師範学校の音楽教師であった太田司朗氏の存在が大きく拘わっています。1947年秋には谷本師の知人・シカゴの音楽教師リリアン・コンデット氏から《メサイア》の楽譜30冊が贈られてきました。それを契機として、教会員や師範学校の生徒を中心に男女混声合唱の聖歌隊が組織され、同年の市民クリスマスや「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」の中で《メサイア》の抜粋演奏が行われます。『クリスマス音楽礼拝』は「広島市基督教連合会」主催でラジオ中継が行われ、市民に向け、平和への道を音楽と共に歩むという彼らのメッセージが広く伝えられました。

これらのことを受け、本コンサートでは教会が音楽と共に歩んだヒロシマ復興への足跡原点に遡り、教会とヒロシマ復興、そして市民との関係に大きな意味をもつ1947年12月24日に焦点を当て、第1部では「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」の復元、そして第2部では《メサイア》の抜粋演奏を行う予定です。

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」信濃毎日新聞で紹介

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」信濃毎日新聞で紹介されました

「ヒロシマと音楽」委員会が企画している「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」の取組みが7月29日(火)の夕刊で紹介されました。

被爆後の広島 市民に希望の灯
       爆心地の聖歌 再現へ
              12月に本番 世代つなぐ接点に

再現に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の光平有希さんが紹介されています。

この記事は共同通信の配信で全国各地の新聞・夕刊で紹介されています。

2014年7月29日(火)信濃毎日新聞・夕刊は、下記をご覧下さい。

信濃毎日新聞・夕刊

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団発足

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団発足

5月18日(日)、広島YMCA1号館地下実習室で「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団が発足しました。
合唱曲1番目の〈And the glory of the lord shall be revealed…〉と、合唱曲7番目の〈Hallelujah〉を練習。この日は、合唱団の発足と第1回目の練習日でしたので、地元テレビ・ラジオ局の取材もありました。
Vol.5 -1

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」合唱団発足について、「ヒロシマと音楽」委員会の光平有希委員から「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」の企画概要・趣旨を説明しました。
Vol.5 -2

1947年秋にアメリカ・シカゴの音楽教師リリアン・コンデット氏から贈られてきた《メサイア》の楽譜30冊の1冊の表紙です。(30冊には通しナンバーが振られ、12の数字が見えます。)
Vol.5 -3

早速、練習に入りました。合唱団のメンバーのほとんどが《メサイア》を歌い続けて来た方で合唱指導の小玉好行先生と共に歌い熟していました。
Vol.5 -4

合唱団のメンバーは広島流川教会聖歌隊・クワイヤアイリス・広島YMCAクワイヤ・同志社混声合唱団OB・広島大学音楽部学生の有志の方々で構成しています。
合唱の練習はこの5月から月に2~3回こなし、本番まで17回を予定しています。
皆さん、本番まで、体調に気をつけて、よろしくお願いします。

○演奏会
日時: 2014年12月13日(土曜)18:00~  
場所: 日本キリスト教団 広島流川教会
主催: 「ヒロシマと音楽」委員会

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.5~生きる~」 【企画概要】

1.主旨
 1945年、ヒロシマは焦土と化した―――。そのヒロシマ復興の長きに亘る道のりを、音楽と共に歩み続けた教会があった。それが広島流川教会である。本教会は、被爆翌年から慈善音楽会を開催するほか、広島市基督教連合会主催で演奏中心の市民クリスマスを行うなど、市民を音楽で勇気づけることに重きを置いた。その背後には当時、広島流川教会の主任牧師であった谷本清師、そして広島流川教会員であり、広島師範学校の音楽教師であった太田司朗氏の存在が大きく拘わっている。1947年秋には、シカゴの音楽教師リリアン・コンデット氏から《メサイア》の楽譜30冊が贈られてきた。それを契機として、教会員や師範学校の生徒を中心に男女混声合唱の聖歌隊が組織、その後練習を重ねて、同年の市民クリスマスや「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」の中で《メサイア》の抜粋演奏が行われた。『クリスマス音楽礼拝』は広島流川教会からラジオ生中継が行われ、市民に向け、平和への道を音楽と共に歩むという彼らのメッセージが電波を通じて広く伝えられた。
これらのことを受け、本コンサートは主として、教会が音楽と共に歩んだヒロシマ復興への足跡原点に遡り、教会の音楽活動で大きな役割を果たした谷本清師や太田司朗氏の願った平和に対する想いを紹介したい。そのため、シンポジウムと演奏会という2部構成を予定している。シンポジウムでは、これまで広島流川教会及び谷本清や太田司朗について考察してきた研究者を招聘して開催する。また演奏会では、教会とヒロシマ復興、そして市民との関係に大きな意味をもつ1947年12月24日に焦点を当て、第1部では「クリスマス特別番組『クリスマス音楽礼拝』」の復元、そして第2部では《メサイア》の抜粋演奏を行う予定である。

2.内容
○シンポジウム
日時:2014年11月29日(土曜)14:00~(16:00)   場所:YMCA広島 本館4階 会議室
司会:能登原由美
発表:
●川口悠子 「谷本清の留学経験と戦後ヒロシマ・ピース・センターとのつながり」(仮)
●光平有希 「広島流川教会における復興と音楽活動―1945 年~1947 年を中心として―」(仮)
●桐谷多恵子 「戦後ヒロシマにおける復興と流川教会との関連」(仮)

○演奏会
日時:2014年12月13日(土曜)18:00~  場所:日本キリスト教団 広島流川教会
主催:「ヒロシマと音楽」委員会
出演者:
●合唱40名程度(広島流川教会聖歌隊・クワイヤアイリス・広島YMCAクワイヤ・同志社混声合唱団OB・広島大学音楽部学生の有志)
●総合指揮者(松浦修)     ●合唱指揮者(小玉好行)
●ソリスト(ソプラノ:乗松恵美、アルト:井上美和、テノール:頃安利秀、バス:折河宏治)
●オルガニスト・チェンバリスト
●管弦楽19名(プロ奏者及び広大OB・学生)

「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演 開催報告

「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演 開催報告

「ヒロシマ・音の記憶vol.4〜継承〜」福山公演は2014年2月9日(日)13:30~ ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ (小ホール)にて開催しました。

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ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ

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小ホール 案内

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受付

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本公演前に 「広島学生音楽連盟」のメンバー再会

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再会の様子を2014年2月10日の中国新聞朝刊に報じられる。
2014年2月10日の中国新聞

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入場開始

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原田雅弘さんかけつける

第一部ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」

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上映前に渡部朋子「ヒロシマと音楽」委員会委員長 挨拶

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上映後挨拶する原田雅弘さん 千葉佳子さん

第二部 コンサート

 出演   大迫 俊一(マリンバ)
      大迫 知佳子(ピアノ)

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二重奏 「春の海」「心に咲く花」「野ばら」「大地讃頌」

マリンバ独奏「ランド」

二重奏 「里の秋」「母と子の八月八日」「花は咲く」

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出演者への花束

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終演、アンケートに協力いただきました。ありがとうございます。

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スタッフの集合写真 原田雅弘さんを囲んで

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」 福山公演

 被爆の翌年から3年余りにわたって活動した「広島学生音楽連盟」の 記録を後世に伝えるため昨夏完成したドキュメンタリー映画 「音の記憶・つながり」の上映とともに「広島学生音楽連盟」や 「平和」にゆかりのある楽曲の演奏を通して、音楽と共に駆け抜けた 若者たちの姿、そしてそれを継承することの意味を見つめました。

ヒロシマ・音の記憶vol.4~継承~福山公演 中国新聞で紹介

「ヒロシマ・音の記憶 Vol.4~継承~」福山公演

2014年2月8日中国新聞 芸能欄で で紹介される。
chugoku-np 20140208 vol.4fuku

2014年2月6日中国新聞 ―地域 福山欄 で紹介される。

被爆者励ました音楽連盟知ろう
福山で9日上映会

 原爆投下の翌年、音楽で広島市民を励まそうと結成された「広島学生音楽連盟」の足跡をたどるドキュメンタリー映画の上映会と平和コンサートが9日午後1時半から、福山市松浜町のリーデンローズである。「ヒロシマと音楽」委員会の主催。無料
 映画は昨年に完成した「音の記憶・つながり」。連盟に参加した学生約100人のうち福山市出身の千葉佳子さんが郷里に帰り、空襲で焼け野原となった福山市街地の写真を見ながら回想する場面もある。
 コンサートは、福山市を中心に音楽活動をする大迫俊一さん、知佳子さん夫妻が福山空襲の惨状を伝える曲「母と子の八月八日」などをマリンバとピアノで演奏する。NPO法人ANT-Hiroshima事務局☎082-502-6304

ヒロシマと音楽

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