お知らせ

「千羽鶴に捧げるレクイエム」楽譜と音源の発掘

「千羽鶴に捧げるレクイエム」楽譜と音源の発掘

1958年にラジオ中国(現中国放送)によって制作され、その後は詳細が不明となっていたラジオ音楽「千羽鶴に捧げるレクイエム」の楽譜と放送時の音源が見つかりました。作曲者である山崎登さん自身によって保管されていたものの再演の機会がなく、また関係者の逝去などによりその存在が埋もれてしまったようです。当委員会が取り組んでいる被爆後の音楽活動調査の過程で、先日発見されました。
この作品は、「原爆の子の像」が1958年5月に完成したことを受けて同年8月6日にラジオ中国で放送初演された作品で、詩は原爆詩人として知られる故米田栄作さんによるものです。朗読、独唱、合唱とオーケストラからなる30分程度の大きな作品です。
像のモデルとなった故佐々木貞子さんの千羽鶴の逸話にちなむ音楽作品は数多くありますが、この作品は恐らくもっとも早い作品とみられます。
また、米田栄作さん自身はその後、「千羽鶴-原爆の子の像に」という詩を1961年に発表しておられますが、「千羽鶴に捧げるレクイエム」に使われている詩はその前段階のものとみられます。また、原水爆禁止運動の影響を思わせる内容も随所にみられるなど、米田さんの詩作の変遷を知る上でも興味深い作品といえそうです。
なお、このニュースについては、RCC中国放送でも近日報道される予定です。
(文責:能登原由美)

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プロジェクト
「ヒロシマと音楽」委員会が主催してきたコンサート、委員会メンバーによるプロジェクト アウトリーチ、広島の音楽史編纂、刊行物を紹介します。

また、facebook 「ヒロシマと音楽」委員会 を 立ち上げました。

プロジェクト
コンサート
「ヒロシマ」に関連する音楽作品をデータの状態だけにとどめておくのは惜しいと、当委員会では2010年から2014年にかけて、コンサート・シリーズ「ヒロシマ・音の記憶」を毎年1回、計5回にわたって開催しました。ここでは「ヒロシマ」にゆかりのある作品を実際の「音」にして紹介することが当初の目的でしたが、同時におこなっていた「広島の音楽史」編纂プロジェクトの調査で、廃墟と化した広島が復興する過程で音楽も大きな役割を果たしている事実も明らかになり、そうした「音楽による復興」の様子も紹介することになりました。各コンサートの詳細を紹介しています。
http://hirongaku.com/?page_id=2019

アウトリーチ
音楽で知る「ヒロシマ」
 ~音楽アウトリーチで体感する平和のメッセージ~
これまでの平和学習プログラムでは、語り部による被爆体験のお話をきくこと、映画や絵画の鑑賞や被爆絵本や文学作品を読むなど、様々な形で「ヒロシマ」の経験を伝える機会が持たれてきました。
音楽で知る「ヒロシマ」は、「ヒロシマ」を題材とした音楽を用いた新しい平和学習プログラムの提案です。しかし「ヒロシマ」を題材とした音楽作品は、ただ演奏を聞くだけでは子どもたちにとって理解しにくい内容のものもあります。
そこで、アウトリーチプログラムという形をとり、演奏者が子どもたちの目線に合わせ、詩や音が表現している音楽の背景を子どもたちと一緒に探し、考えることで、作品にこめられた想いを理解した上で楽曲を聴きます。子どもたちは音楽作品を通して「ヒロシマ」の経験を知り、平和や命の大切さを体感する時間を持つことが出来ます。
http://hirongaku.com/?p=1840

広島の音楽史編纂
昭和20年8月6日の原爆投下により壊滅的な被害を被った広島の音楽文化も,現在ではプロのオーケストラを抱えるとともに全国有数のオペラ活動推進地となっている。こうした広島の音楽活動,とりわけ洋楽文化の発展は,呉の海軍軍楽隊,広島高等師範学校の音楽教員の活動,広島女学院に赴任したアメリカ人宣教師の活動など,さまざまな人々の尽力により,明治から大正にかけて洋楽の流入が促進された結果であったと考えられる。また,音楽伴奏を伴う無声映画やレコードの普及,さらに昭和初期に始まったラジオ放送がその浸透に拍車をかけたものと思われる。けれども,原爆投下により多くの人材と文化財,また資料が消失した広島では,戦後の様子が語られることは多いのに対し,戦前の音楽活動が振り返られることはこれまでほとんどなかった。そこで,「『広島の音楽史』編纂プロジェクト」を立ち上げ,広島における洋楽の普及と受容の過程を,戦前からの流れを含めて改めて追求することとした。またそのことにより,「ヒロシマ」という壊滅的な破壊を受けた一都市の文化復興の過程,様子を明らかにする。
http://hirongaku.com/?page_id=2021

刊行物
「ヒロシマと音楽」委員会では、これまでに下記のような書籍、冊子、DVDを刊行してきました。各刊行物については、このホームページ上でPDF掲載しているものもあります。詳細につきましては、各刊行物の欄をご参照ください。
http://hirongaku.com/?page_id=283

 

facebook 「ヒロシマと音楽」委員会 を立ち上げました。
https://www.facebook.com/ヒロシマと音楽委員会-179182525777440/
❆❆広島音楽史・こぼれ話❆❆ を随時掲載しています。
[第1話:呉海兵団軍楽隊の演奏を聴きたかった…!!!]

戦前の呉市には、海軍呉鎮守府が置かれていました。呉海兵団軍楽隊は、その呉鎮守府に配置されていた軍楽隊です。

呉海兵団軍楽隊は儀礼奏楽以外に、市民向けの演奏会も行っていました。聴衆の多くは呉市民でしたが、昭和2年8月には、なんと山口県熊毛郡(今の光市)から年老いた母親と一緒にやってきた人も!! ただ、このお客さんが聴く予定だった演奏会、なぜか予定が1日早まり、来たときにはもう終わってたんです。老後の思い出にと母親と連れ立ってきたのに…。今よりもずっと移動が大変だった当時。どれほどがっかりしたかと思うと、胸が痛みますネ。

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平和の歌のCDを制作しました 広島合唱団

平和の歌のCDを制作しました 広島合唱団

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平和を歌いつぐ 被爆70年 ヒロシマから

広島合唱団は1954年5月に発足。

♪ 今 うたいたい歌がある 今 届けたい歌がある

   今日という日の 向こう側 希望の明日を 拓く歌

原水爆禁止運動と同じ時を過ごしてきた私たち広島合唱団。

70年の節目の年を迎え、今まで歌い継いできた歌を形にしようとCDを制作しました。

みんなで口ずさめる曲、聴いていただきたい曲など14曲を選びました。

  定価 1,000円(税込)です。

一度聞いてみてください。口ずさんでみてください。

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収録曲

01  折り鶴
詞・曲:梅原司平
02  死んだ女の子
詩:ナジム・ヒクメット 訳詩:飯塚 広 曲:木下航二 編曲:たかだりゅうじ
03  悲しみに苦しみに
詩:阿部静子 曲:村中好穂
04  ヨシオ君に何があったん?
詞:熊谷勇二 曲:たかだりゅうじ
05  墓標(混声合唱のための組曲「そして一輪の花のほかは」より)
詩:峠三吉 曲:外山雄三
06  憶えています
詞:今 正秀 曲:たかだりゅうじ
07  さくらよ
詞・曲:山本奈美 補作:たかだりゅうじ
08  ねがい
原詩:広島市立大州中学校三年生有志(2002年)編詞:山ノ木竹志
曲:たかだりゅうじ
09  原爆を許すまじ
詞:浅田石二 曲:木下航二
10  ヒロシマ
詞・曲:ジョルジュ・ムスタキ 訳詞:ヒロコ・ムトー 編曲:赤堀文雄
11  朝顔
詞:田畑つる子 曲:たかだりゅうじ
12  (混声合唱とオーケストラのための交響曲「炎の歌」より)
詩:土井大助 曲:外山雄三
13  ヒロシマのある国で
詞・曲:山本さとし 編曲:武 義和・武 直樹
14  青い空は
詞:小森香子 曲:大西 進

平和を歌いつぐ チラシ

 

問い合わせ先   広島合唱団

住所: 〒730-0853 広島県広島市中区堺町1丁目2−9 貴志ビル 1F

電話:082-294-3981

http://hiroshima-gasshou.jimdo.com/

 

音楽で知る「ヒロシマ」アウトリーチの案内 (再掲載)

音楽で知る「ヒロシマ」
~音楽アウトリーチで体感する平和のメッセージ~

これまでの平和学習プログラムでは、語り部による被爆体験のお話をきくこと、映画や絵画の鑑賞や被爆絵本や文学作品を読むなど、様々な形で「ヒロシマ」の経験を伝える機会が持たれてきました。
音楽で知る「ヒロシマ」は、「ヒロシマ」を題材とした音楽を用いた新しい平和学習プログラムの提案です。しかし「ヒロシマ」を題材とした音楽作品は、ただ演奏を聞くだけでは子どもたちにとって理解しにくい内容のものもあります。
そこで、アウトリーチプログラムという形をとり、演奏者が子どもたちの目線に合わせ、詩や音が表現している音楽の背景を子どもたちと一緒に探し、考えることで、作品にこめられた想いを理解した上で楽曲を聴きます。子どもたちは音楽作品を通して「ヒロシマ」の経験を知り、平和や命の大切さを体感する時間を持つことが出来ます。

〇音楽アウトリーチの基本プログラム
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
1.少人数(1プログラム1クラス)
子どもたち一人ひとりと対話しコミュニケーションをとれる人数を基本とします。
2.45~50分プログラム
子どもたちが集中して取り組める時間の長さとして、
学校の時間割の1時限の長さを目安にしています。
3.音楽室
子どもたちが集中しやすい広さの空間が理想です。

アウトリーチプログラムについての詳細は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、2ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
out reach-1
〇音楽アウトリーチ実演例は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、3ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
out reach-2
out reach-3out reach-4
〇音楽アウトリーチ申込み、実施について
【お申込み】
「ヒロシマと音楽」委員会 hirongaku@hirongaku.com にお問合せ下さい。
【費用について】
・演奏者(ソリスト、伴奏者)の出演料
・交通費実費
(・学校以外で実施する場合は、会場費)
【助成金についてご案内】
学校で実施する音楽アウトリーチ公演は、文化庁「文化芸術による子どもの育成事業」による助成を申し込むことが出来ます。(年度ごとの公募、募集時期は11月~1月頃)
詳細は以下の文化庁HPをご参照下さい。
文化庁HP 文化芸術による子供の育成事業
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/index.html
上記HPより
文化芸術による子供の育成事業 芸術家の派遣事業 実施の手引き(実施校用)PDF
を、ご利用ください。
http://www.kodomogeijutsu.com/haken/dl/index/h27/h27tebiki_jishikou.pdf

その他実施までの流れについては、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、4ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』
演奏者プロフィールは、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして、5ページ目を参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』

音楽で知る「ヒロシマ」は、
下記『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』をクリックして参照下さい。
『音楽で知る「ヒロシマ」out reach』

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その⑦

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 7

フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの交響曲第2番「HIROSHIMA」が2015年11月16日、広島市で60 年ぶりに再演されましたが、

演奏会の様子がNHKで放送されることの情報です。

先日の広島のコンサートについては、NHK国際放送の番組で放送されることになっていますが、急遽、国内のラジオ番組でも紹介されることになったそうです。
アールトネンの作品に焦点を当てていますが、演奏の一部とともに、』アールトネンのご遺族へのインタビューのほか、広響メンバー、高関さん、コンサートに来ていた人々、そしてプレトークの能登原由美さん(「ヒロシマと音楽」委員会委員長)へのインタビューなどが入っているものと思われます。

チャンネル:NHKラジオ第一
番組名:NHKジャーナル
番組HP:http://www.nhk.or.jp/r1/journal/
放送日:2015年12月16日(水)
放送時間:22:00~23:05
(この中の10分ぐらいのコーナーです)

なお、12月6日の三原市芸術文化センターポポロでの演奏会について、11月30日中国新聞で紹介されています。 (2015年11月30日中国新聞記事を紹介します)

三原市芸術文化センターポポロ(同市宮浦)で12月6日にある大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪市) の演奏会に、市民の特別合唱団が出演する。メンバーは、オーケストラとの共演に向け、練習に力を入れている。   (山本庸平)

市民合唱団 願いを歌声に 58人 大阪フィルと共演

特別合唱団は三原、尾道、広島市などの58人。ポポロが昨年結成した女声合唱団に、男声パートを募集して加えた。当日は、大阪フィルの演奏で「大地讃頌」を歌う。
10月からポポロで5回、それぞれ約2時間、呉市の呉混声合唱団の指揮者松尾寿人さんの指導を受けた。壮大なメロディーに合わせて「平和な大地を 静かな大地を 大地をほめよ」と歌い上 げる。
演奏会は、大地讃頌で始まり、アールトネンの交響曲第2 番「ヒロシマ」、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」と続く。
原爆の惨禍からの復興を描いた「ヒロシマ」は、1949年に作られた。日本初演は55年8月の広島市。大阪フィルの前身の関西交響楽団が演奏した。行方が分からなくなっていた楽譜が近年見つかり、再演を望む声が上がっていた。ポポロが被爆70年に合わせて演奏会を企画した。
合唱団メンバーの森安将裕さん( 77)=三原市小坂町=は「平和への思いを観客の胸に届けたい」と話している。

S席6500円、A席4500円(高校生以下2千円)。
ポポロ 電話 0848 (81)0886 。

2015年11月30日中国新聞記事を参照下さい。
中国新聞記事

なお、混声合唱のためのカンタータ「土の歌」より (大木惇夫作詞 佐藤眞作曲)第7楽章 大地讃頌 は、

当委員会が 2011年6月25日に「ヒロシマ・音の記憶 Vol.2〜繋がり~」で

指揮:猪原龍吉 ピアノ:小林知世
合同合唱  / 広島女学院高等学校音楽部・安田女子高等学校音楽部・崇徳高等学校グリークラブ で、演奏しました。

下記で、演奏会を聴くことが出来ます。
是非、視聴下さい。

「ヒロシマと音楽」委員会 HP

三原公演のチラシは下記を参照下さい。
三原特別演奏会のチラシ

なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

 

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その⑥

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その6

フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの交響曲第2番「HIROSHIMA」が2015年11月16日、広島市で60 年ぶりに再演されました。
アールトネンの交響曲第2番は、三原市の市芸術文化センターポポロで、12月6日午後4時から開催される大フィルの特別演奏会でも再演されます。指揮は井上道義。
中国新聞備後本社など主催。
特別演奏会 に向けて、三原市芸術文化センターポポロでは、企画展、プレレクチャーを下記のように開催します

アールトネン/朝比奈隆 企画展
「復興と音楽と人々~ヘルシンキ・大阪・ヒロシマ」

期間 : 11月21日(土)~12月6日(日)
時間 : 9:00~17:30
場所 : 三原市芸術文化センター ポポロ ホワイエ
入場無料
問合せ: 三原市芸術文化センターポポロ 電話 0848 (81) 0886

大フィル公演プレレクチャー「ヒロシマと音楽」
    ~ヒロシマを表した多くの作曲家たち~

日時 : 11月22日(日)14:00~16:00
会場 : 三原市芸術文化センターポポロ リハーサル室
講師 : 能登原由美(「ヒロシマと音楽」委員会委員長)
内容 : ヒロシマ被爆70周年メモリアル「大阪フィルハーモニー交響楽団三原特別演奏会」の
    プレレクチャーとして、被爆から70年の間に表された「ヒロシマ」の音楽を通して、
    そのさまざまな表現法や作曲家の思い、「ヒロシマ」に対するまなざしの変化を解説します。
入場無料 (要入場整理券) ※入場整理券はポポロ事務所で配布しています。
問合せ: 三原市芸術文化センターポポロ 電話 0848 (81) 0886

アールトネンの交響曲第2番は、三原市の市芸術文化センターポポロで、12月6日午後4時から開催される大フィルの特別演奏会でも再演されます。
チラシは下記を参照下さい。
三原特別演奏会のチラシ

なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

 

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その⑤

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その5

フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの交響曲第2番「HIROSHIMA」が2015年11月16日、広島市で60年ぶりに再演されました。
高関健の指揮で広島交響楽団の演奏。この模様を2015年11月17日の中国新聞で紹介されました。

Asltonen chugoku-np 20151117
2015年11月17日の中国新聞記事

フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの交響曲第2番「HIROSH IMA」が16日、広島市で60年ぶりに響いた。ヒロシマ関連の楽曲収集に取り組む市民グループ「ヒロシマと音楽」委員会が、眠っていた作品を見つけ、同市の被爆70年事業として広島交響楽団による再演が実現。遠く北欧から被爆地に思いをはせた曲に約700人が聞き入った。(余村泰樹)

交響曲はアールトネンが原爆投下4 年後の1 949年に作曲。広島での演奏は、作者に曲を託された指揮者、故朝比奈隆率いる関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)が55年、平和記念公園(中区)内にあった市公会堂で日本初演して以来となった。
この日、中区のJMS アステールプラザであった演奏会では、同委員会の能登原由美委員長( 44)が「アールトネンと広島の人々が心を通い合わせた曲。音楽を通じ、ヒロシマや核、未来への思いを共有する場になれば」と呼び掛けた。
その後、広響の元音楽監督・常任指揮者、高関健が指揮し、原爆投下の爆発音や、惨禍を乗り越えていく力強さを表現した音色を響かせた。
演奏会の後半は、被爆40年に團伊玖磨が作曲した交響曲第6番「HIROSHIMA」。ソプラノ並河寿美と横笛の赤尾三千子を迎え、広島の再生や復興を高らかに歌い上げた。中国新聞社などの主催。

2015年11月17日の中国新聞記事
60年ぶり 復興の調べ アールトネンの交響曲第2番 広島で再演

アールトネン 関連記事 も 紹介します。

2015年11月17日の中国新聞記事 亡き父へ思い 次男ら初来日

アールトネンの交響曲第2番は、三原市の市芸術文化センターポポロで、12月6日午後4時から開催される大フィルの特別演奏会でも再演されます。指揮は井上道義。中国新聞備後本社など主催。
ポポロ 電話 0848 (81) 0886。

チラシは下記を参照下さい。
三原特別演奏会のチラシ

なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

 

「ヒロシマ」が鳴り響くとき 能登原由美著の案内 その②

「ヒロシマ」が鳴り響くとき 能登原由美 著 の案内 その2

「ヒロシマと音楽」委員会委員長の能登原由美さんが、平和を語り継ぐために… 戦後音楽70年の証言 として、「 『ヒロシマ』 が鳴り響くとき 」を 2015年11月25日 春秋社から出版されますが、2015年11月14日の中国新聞にその経緯が紹介されました。

ヒロシマ題材の楽曲収集 能登原さん新著

ヒロシマを題材とする楽曲の収集や活用に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美委員長(44)が25日、新著「『ヒロシマ』が鳴り響くとき 」を刊行する。 掘り起こした交響曲が被爆70年のことし再演されるのを機に、20年の活動をまとめた。「ヒロシマの意味を、音楽を通じて見詰め直してほしい」と語る。   (余村泰樹)

被爆70年の歩み 音楽でたどる

これまで「ヒロシマ」関連の1800曲以上を収集してきた能登原さん。
「惨劇からの復興という定型のストーリーで創られることが多いが、違う見方を示している作品もある」と指摘する。著書では、曲の内容や演奏される場の変遷などを、当時の社会情勢に照らし合わせながら、3部構成でつづった。
第1部は、被爆後しばらくは「平和」「復興」を歌う曲が多数作られ、連合国軍総司令部のプレスコード解除後に原爆の惨状に迫る作品が出てきた流れを紹介。第2部は、第五福竜丸事件後の反核運動などとともに、関連の楽曲が盛んに演奏された様子に迫る。
第3部では「ヒロシマ」という言葉が持つ影響力の大きさを、佐村河内守氏による作曲者偽装問題が発覚した交響曲第1番「HIROSHIMA」などを例に浮かび上がらせている。新たな表現を探ろうとする細川俊夫や糀場富美子ら、広島出身の現代作曲家の創作にも光を当てた。
フィンランド人作曲家エルッキ・アールトネンの交響曲第2番「ヒロシマ」については、264ページの著書の中で特に多くを割いた。16日に広島市、12月6日に三原市と、日本では60年ぶりに再演される曲だ。
被爆4年後の1949年にフィンランドで初演された同作は、「ヒロシマ」を題材にした最初の交響曲の可能性が高いという。本書の中では、東西冷戦下に東欧諸国で盛り上がった平和運動に後押しされて各地で交響曲が演奏され、関西交響楽団(現大阪フイルハーモニー交響楽団)指揮者の朝比奈隆がフィンランド訪問時にアールトネンと偶然出会ったことによって日本にも紹介された歴史を記している。
能登原委員長は「節目の年に、ヒロシマと音楽との関わりを振り返るきっかけにしてほしい」と話している。春秋社刊。四六判。2376円。

アールトネンの交響曲は11月16日午後6時45分から、広島市中区のJMSアステールプラザで広島交響楽団が、12月6日午後4時から三原市芸術文化センターポポロで大阪フィルハーモニー交響楽団が演奏する。

2015年11月14日の中国新聞は下記を参照下さい。

2015年11月14日の中国新聞

お問合せは
春秋社 〒101-0021 東京都千代田区外神田2-18-6
Tel 03-3255-96112 FAX 03-3253-1384

下記、チラシをご利用下さい。

『ヒロシマ』 が鳴り響くとき

「ヒロシマ」が鳴り響くとき 能登原由美 著 の案内

「ヒロシマ」が鳴り響くとき 能登原由美 著 の案内

「ヒロシマと音楽」委員会委員長の能登原由美さんが、平和を語り継ぐために… 戦後音楽70年の証言 として、「ヒロシマ」が鳴り響くとき を 2015年11月25日 春秋社から出版されます。 四六判上製カバー装 定価(本体2200円+税)

目次より (全10章構成)

Ⅰ―  「ヒロシマ」はどのように音に表されてきたか
第一章  希望と絶望のベクトル
第二章  「ヒロシマ」という物語の表現
第三章  当事者と非当事者の間

Ⅱ― 「ヒロシマ」はどのように演奏されてきたか

第四章  東西冷戦と平和運動のなかで
第五章  占領からの解放と第五福竜丸事件以後
第六章  世界の反戦・反核運動とともに

Ⅲ―  「ヒロシマ」はどのように聴かれてきたか

第七章  「ヒロシマ」というイメージを聴く
第八章  「ヒロシマ」に時代を読む音楽
第九章  新たな世代における「ヒロシマ」
終 章  七〇年目に振り返る「ヒロシマ」と音楽

*著者の言葉*
音楽は時代を映すという。 ここで私たちにできることは、自らの目で
音楽やその主題に対峙し、 享受していくことではないだろうか。今と
いう時代を読み取るため、 また予測のつかない未来を生き抜くために。

*著者略歴*
能登原由美(のとはら・ゆみ)
広島市生まれ。2003年広島大学大学院教育学研究科博士課程後期終了。学術博士。専門は音楽学で、研究対象は「ヒロシマ」の音楽のほか、イギリス音楽史、日本近代の洋楽受容史。著書に『ヒロシマと音楽』(共著、汐文社、2006年)他、論文多数。現在、「ヒロシマと音楽」委員会委員長。

お問合せは、
春秋社 〒101-0021 東京都千代田区外神田2-18-6
Tel 03-3255-96112 FAX 03-3253-1384

下記、チラシをご利用下さい。

「ヒロシマ」が鳴り響くとき 

二葉あき子さんの歌碑 完成

 

2015年11月7日 二葉あき子さんの歌碑の除幕式が行われました。

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広島市東区二葉の里で7日、東区出身の歌手、二葉あき子さん(1915〜2011年)の歌碑の除幕式があった。地元住民や市職員約70人が参加。被爆70年と二葉さんの生誕100年に合わせ、住民たちでつくる委員会が企画した。
高さ1.8メートル、幅3.2メートルの碑には二葉さんの代表作「夜のプラットホーム」の歌詞が記してある。歌碑建立委員会の原田康夫委員長( 84)や松井一実市長が除幕すると、会場から大きな拍手が起こった。
原田委員長は「多くの方の寄付で立派な碑ができた。平和を願って歌い続けたあき子さんの思いを感じてほしい」と話していた。(原未緒)
(2015年11月8日 中国新聞より)

2015年11月8日 中国新聞

 

この歌碑は二葉あき子さんのファンや交流のあった市内の有志約20人が2012年10月に、歌碑建立委員会を結成し、建立費と維持管理費として計500万円を見込み、一口2千円の支援を募って進めてきました。

二葉あき子歌碑 建立の趣旨

二葉あき子(本名:加藤芳江)は、大正4(1915)年2月2日、広島市東区二葉の里で生れました。昭和9(1934)年、東京音楽学校在学中に日本コロムビアから『四つ葉のクローバー』と題する教育音楽を吹き込み、以降、音楽一筋の道を歩み、平成23(2011)年に亡くなるまで、昭和・平成の二世代にわたって歌い続け、『夜のプラットホーム』『フランチェスカの鐘』『水色のワルツ』『さよならルンバ』など数多くのヒット曲で、わが国の歌謡史を飾る代表的な歌手として活躍してきました。
昭和20(1945)年8月6日、原爆投下の際には、父の郷里である三次市に向かう芸備線に乗車しており、列車が東区中山トンネルに入った途端に原爆の閃光と爆音に遭い危うく難を逃れ、それ以降、反戦平和への気持ちは人一倍強く『夜のプラットホーム』『フランチェスカの鐘』は、原爆や戦争の犠牲者への鎮魂の歌として終生歌い続けてきたのです。
この碑に刻まれている彼女の代表歌の一つである『夜のプラットホーム』は、太平洋戦争時につくられたもので、出征兵士を見送る悲しい別れの場面が連想されることから、戦時中は軍部から発売禁止されていたという経緯がありますが、昭和22(1947)年以降、彼女は『二度とこんな別れの光景を見ることのないように』との願いを込めて歌い、大ヒットしたもので、彼女の功績を讃えるモニュメントとしての意義は大きなものがあると言えましょう。

二葉あき子の平和への思いを込めて歌い続けた意志を讃え
生誕100年・被爆70年を記念して歌碑を建立した。

平成27(2015)年11月吉日
二葉あき子歌碑建立委員会 委員長 原田康夫

二葉あき子歌碑建立委員会
TEL 090-8602-1043

ヒロシマと音楽

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