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「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その③

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 3

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 2 で紹介しました
「交響曲第2番ヒロシマ」コンサート広島公演のチラシが出来ました。

Aaltonen flier

ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~チラシ表
ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~チラシ裏

この曲は、フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンの作品で、被爆からわずか4年後の1949年に作曲され、その年にヘルシンキで初演されました。その音楽が広島に届けられたのは被爆10周年の1955年8月15日のことでした。その春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートが開催されました。指揮は朝比奈隆、演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。この曲が、被爆70周年のこの年、広島で下記のように再演されます。

被爆70周年記念事業
ヒロシマの追憶と飛翔 ~二つの交響曲HIROSHIMA~

日時 :2015年11月16日(月)19:00 開演 (18:15 開場)
プレ・トーク18時45分 能登原由美(「ヒロシマと音楽」委員会委員長)
場所 :JMSアステールプラザ大ホール
プログラム
:「交響曲第2番HIROSHIMA」 エルッキ・アールトネン
:「交響曲第6番HIROSHIMA」 團伊玖磨
演奏 :広島交響楽団
指揮 :高関健
主催 :広島市文化財団アステールプラザ、日本交響楽振興財団、中国新聞社
お問合せ:広島市文化財団アステールプラザ 082-244-8000

ヒロシマの追憶と飛翔 チケット(税込/全席指定)は
本日 8月22日(土)から販売開始されます。

S席  4,000円
A席  3,000円
学生券 1,500円 *学生券はJMSアステールプラザでのみ取扱います。

プレイガイド情報・コンサートの詳細は、広島市文化財団アステールプラザ HP 下記を参照下さい。
広島市文化財団アステールプラザ HP 

なお、「交響曲第2番ヒロシマ」は広島公演に引き続き、大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、12月6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏することが決定しています。

なお、能登原由美(本委員会委員長)執筆のアールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

 

 

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その②

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 2

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 1 で紹介しました「交響曲第2番ヒロシマ」は、広島公演に続いて、大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、12月6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏することが決定。古い楽譜の中から出てきた交響曲「HIROSHIMA」総譜を見つけた大阪フィルハーモニー交響楽団の顧問・小野寺昭爾さんが能登原由美さんに存在を教え、関係者に再演をよびかけ、被爆70周年の2015年、広島市、広島県三原市、兵庫県西宮市での再演が決まりました。

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演されるまでの過程が、2015年8月11日の読売新聞夕刊に紹介されました。
以下、読売新聞記事から。

広島60年ぶり希望の旋律

広島の原爆投下を題材にフィンランドの音楽家によって作曲され、1955年、指揮者・朝比奈隆(1908〜2001年)が広島市内で国内初演を実現させた交響曲「HIROSHIM A 」が今年11、12月、国内で60年ぶりに再演される。戦後70年の節目、平和を願うシンフォニーが再び響く。

戦後70年 朝比奈隆 日本初演 交響曲再演へ

作曲者はエルッキ・アールトネン(1910〜90年)=写真=。ビオラ奏者として活動する傍ら作曲も行った。「HIROSHIM A 」は49年に完成、ヘルシンキで世界初演。来日したことはないが「ヒロシマの悲劇が起こった時、既に私はこの交響曲の作曲を決心していた。全人類がこの不幸を嘆き、その慣りは絶頂に達した」と、プログラムに書いた。
7部構成で、演奏時間は約30分。暗い旋律で始まり、「火の爆風」と名付けられた後半部では爆発を連想させる大音量が鳴り響き、犠牲者を弔う葬送行進曲風のリズムが続く。フィナーレは一転、明るい音色で希望を表現する。
朝比奈は53年、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団に客演。楽団員だったアールトネンから総譜を手渡され、「平和の祈りを込めて、焦土から立ち上がる広島の姿をイメージして作曲しました。私がなし得る唯一のプレゼントです」と、広島での演奏を熱望された。その様子について朝比奈は「心を打つものがあった」と日本への手紙に記した。
終戦から10年後の55年8月15日、朝比奈は関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を率いて広島市公会堂でこの交響曲を取り上げた。広島出身の関西財界人の援助で無料公演となり、昼夜2回で計約5000人が来場。同月末、京都市でも演奏されたが、その後、楽譜の存在は忘れられていった。
作品を掘り起こしたのは、原爆をテーマとする曲を調査してきた市民団体「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美さん(44)=写真=だ。「曲の散逸を防いで若い世代に引き継ぐため、個別の作品を詳しく調べたいと思った」と語る。
アールトネンについては2008年から本格的に調べ、大阪市の大阪フィルに総譜が保管されていることを確認した。フィンランドの遺族を訪ね、日本の聴衆からアールトネンに「被爆当時を思い出して心の中で泣きました」などと、感謝の手紙が届いていたことも分かった。
能壼原さんは「おそらくヒロシマを題材にした最初の交響曲で、最初の外国人作品。アールトネンは第2次大戦に従軍経験があり、心と街の復興を願って曲を作ったのでしょう」と話す。
能登原さんや、大阪フィル顧問・小野寺昭爾さん(80)らの呼びかけが、再演への原動力になった。広島交響楽団が11月16日、広島市のJMSアステールプラザ大ホールで披露。大阪フィルが12月5日に兵庫県西宮市の県立芸術文化センター、同6日に広島県三原市の市芸術文化センター・ポポロで演奏する。大阪フィルの首席指揮者、井止道義さん(68)は「戦後10年で、朝比奈さんは『何かをしなければ』という気持ちで、こ曲を広島で初演した。観客と社会、自分たちのために演奏する」と決意を語っている。

2015年8月11日読売新聞夕刊の記事は 下記をクリック下さい。
2015年8月11日読売新聞夕刊

なお、アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。
アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その①

「交響曲第2番ヒロシマ」60年ぶりに広島で再演される その 1

「交響曲第2番ヒロシマ」は「ヒロシマと音楽」委員会が作成したデータベースによると、フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンによって1949年作曲されました。
データベース(主要作品)全体
その音楽が広島で演奏されたのは、1955年8月15日、今から60年前の今日でした。その年の春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートでした。指揮は朝比奈隆、演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。中国新聞の記事によれば、2回の演奏で5000人が詰めかけ大成功だった。さらに、公演の模様は6日後の8月21日にラジオ中国(1967年中国放送と改称)で放送されている。
しかしながら、その後、演奏されることもなく、音源もなく、楽譜も不明でした。「ヒロシマと音楽」委員会の資料作成事業のなかで、能登原由美委員(現委員長)が楽譜を発見し、フィンランドのヘルシンキで、この作曲家エルッキ・アールトネンの遺族に会い、初演時の録音を聴き、被爆70周年の2015年に広島での再演を関係者によびかけ、広島での再演が実現することになりました。

日時:2015年11月16日(月)19:00 開演
場所:JMSアステールプラザ大ホール
演奏:広島交響楽団
指揮:高関健
主催:広島市文化財団アステールプラザ

広島での再演へ向けての過程を、数回に亘って紹介します。

chugoku 20120512 ongakufu
       中国新聞記事

ヒロシマ音楽譜 1 作品が紡ぐ復興  能登原由美

ヒロシマは音楽家を駆り立ててきた。生まれた作品の多くは、惨劇の向こうに、復興をみていた。音楽に何ができるか、それは東日本大震災が突きつけた問いでもあった。クラシツク、歌曲、ジャズ…。ヒロシマの復興と共に歩んだ音楽作品を今、たどりたい。

ヒロシマを音に託した音楽家は数多いが、歌詞のない器楽作品となると意外に少ない。その器楽作品でいち早くヒロシマを表現したのが、実は海外の作曲家であったことをご存じだろうか。フィンランドのエルッキ・アールトネン(1910〜90年)である。
彼の交響曲第2番「HIROSHIMA」は、被爆からわずか4年後の1949年に作曲され、その年にヘルシンキで初演された。故国がロシア、ドイツとの戦争で荒廃し、自らも戦地に赴いたアールトネン。原爆投下の知らせを聞いて即座に作曲を思い立った背景には、こうした事情が影響していたかもしれない。
筆者は今年3月、ヘルシンキでアールトネンの遺族に会い、初演時の録音を聴いた。8月6日を予感させる陰鬱な冒頭。一転して広がる穏やかなメロディーは、惨劇前の広島を表しているのだろうか。だが、軍隊のマーチに続いて冒頭のメロディーが再び現れる。そして、投下の瞬間を思わせる爆発音。わずかに残った音の世界に葬送のメロディーが静かに鳴り響く。
この交響曲は、原爆投下の様子を音で描写する。ただし、あくまで作曲者アールトネンの想像上の世界である。想像は広島の未来にまで及び、終楽章では冒頭のメロディーが長調に変わって何度も繰り返され、惨劇に立ち向かう人間の内なる力強さが表現される。
その音楽が広島に届けられたのは55年8月15日のことであった。その春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートが開催された。指揮は朝比奈隆、
演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。広島出身の関西財界人の支援により、全席無料のコンサートとなる。
報道によれば、2回で5千人が詰めかけ、大成功に終わった。極北で広島を思うアールトネンのもとに、感激した聴衆から手紙が届く。それによれば、演奏直後、長い沈黙が続いた。その後、観客は総立ちになって割れんばかりの拍手を送り続けたという。
(2012年5月12日中国新聞より)

(コンサートの様子を写真付きで報じた翌日の中国新聞紙面は、下記をクリックして下さい)

中国新聞記事 ヒロシマ音楽譜 1 作品が紡ぐ復興 能登原由美

なお、アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》をも、参照下さい。

アールトネンの《交響曲第二番 Hiroshima》

 

「交響曲第5番ヒロシマ」(作曲 大木正夫)初演音源 発見される

「交響曲第5番ヒロシマ」(作曲 大木正夫)初演音源 発見される

丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」に着想を得た、作曲家大木正夫の「交響的幻想曲ヒロシマ 原爆の図に寄せて」の初演音源(1953年)が、横浜市内のTBS の倉庫で見つかった。
同曲は、「幽霊」「火」「水」「少年少女」など全8楽章で構成し、不協和音を連続させ原爆の惨状を表す現代音楽。発見された音源は、53年11月1日にラジオ東京(現TBS)の番組「コンサートホール」で放送されたが、存在を知られていなかった。TBSホールディングスが音源資料を整理する中で確認した。
戦前から戦時中にかけて戦意高揚の作品を多く発表し、戦後は一転して反戦の音楽を作った大木。同曲の自筆の楽譜に「(原爆被害の)実相を人類の一人残らずに知らせることは(中略)日本人の人類に対する義務である」などと書き込んでいた。その後改訂し、大木の代表作「交響曲第5番ヒロシマ」として発表した。
ヒロシマが題材の楽曲収集や活用に取り組む「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美委員長(44)は「ヒロシマを音楽で描写した作品としても、ラジオ放送で多くの人にヒロシマのことを伝えた音楽としてもかなり早い時期の作品。その音源が発見された意義は大きい」と話した。音源は年内に日本コロムビアから発売される予定。(余村泰樹)
(2015年8月4日中国新聞朝刊)より

なお、楽譜は広島公文書館に寄贈されています。
参考資料は下記をクリックして下さい。
中国新聞記事 交響曲「ヒロシマ」初演音源
TBS ホールディングスNews リリース 「原爆音楽」の源流、大木正夫作曲 「交響的幻想曲ヒロシマ原爆の図に寄せて」の初演音源発見。

市民がつくる被爆70年24時間チャリティー・コンサート

市民がつくる被爆70年24時間チャリティー・コンサート の案内

日時 : 2015年8月11日(火) から 8月12日(水) 午前9時~午後9時

場所 : 広島国際会議場フェニックスホール (広島市中区中島町1-5)

入場料: チケット1日券
前売り:(一般)2,000円 (高校生以下)1,000円
当日 :(一般)2,500円 (高校生以下)1,500円
チケット2日通し券
前売り:(一般)3,000円 (高校生以下)1,500円
当日 :(一般)3,500円 (高校生以下)2,000円 ※未就学児無料、全席自由席

主催 : 被爆70年24時間チャリティー・コンサート実行委員会
〒730-0014 広島市中区上幟町2-31
TEL:082-288-2675/FAX:082-288-2675
E-MAIL:info@12×2concert.com

開催趣旨:被爆70年(2015年)の8月11日と12日、音楽とともにパフォーミング・アーツ
を通して世界に平和のメッセージを市民の手で届けるチャリティー・コンサー
トを開きます。市民主体・市民参加型のコンサートを慰霊の場として、また広
島と世界を結んで核兵器廃絶と世界平和を願うメッセージを発信する場として、
2005年に市民の力で実現した「被爆60周年慰霊の夕べコンサート」(バッハの
マタイ受難曲)以来の伝統を、被爆80年まで続けることも目的の一つです。広
島・長崎・沖縄そして全国からの出演者が気持ちを一つにして祈ります。

呼びかけ人: 安野光雅、扇ひろ子、大前研一、加藤登紀子、喜納昌吉、三枝成彰、
佐々木雅弘、高橋史絵、坪井直、中沢ミサヨ、早川敦子、平塩清種、
廣瀬禎彦、山崎芳男、山田洋次、吉永小百合、その他。

詳細は 下記を参照下さい。
http://www.a-net.shimin.city.hiroshima.jp/anet/event/archives/7024.html

なお、「ヒロシマと音楽」委員会
委員の乗松恵美さんが出演。
会友の上村和博さんが運営事務局に、藤田真弓さんが出演しています。

「ヒロシマを渡る風」(作曲 三浦則子)広島で世界初演される

「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」(作曲 三浦則子)広島で世界初演される

日本を代表する現代音楽作曲家 細川俊夫がお届けする HIROSHIMA  HAPPY  NEW  EAR(広島の新しい耳)シリーズ19で、被爆70周年という節目の年である2015年6月25日に、細川俊夫が注目する二人の作曲家に「ヒロシマ」をテーマにした作品を委嘱した「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」が、川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)の演奏で広島市中区アステールプラザにて、世界初演されました。

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細川俊夫さんに紹介され、作曲について解説する三浦則子さん    ©  ひろしまオペラ・音楽推進委員会

「世界に存在する“者”と“物”。者、つまり人間は、次のいまそこを志向することによって時間的存在と成り

うるが、物は、時の推移を志向することはない。生きようとする意欲が世界を決定する。世界は、生きようとす

る者による未踏の現象であり、あらかじめ知ることはない森羅万象である。」(門脇道雄氏の論文より抜粋)

この未踏の現象の背景に、私は風を感じる。しかしどんな状況の中でも、人は風を感じることができるのだ

ろうか?例えば、70年前のヒロシマの惨劇の後で。あるいは同じ頃、地球の反対で起こったアウシュビッツで

の残虐な行為の中で。者が物と扱われる瞬間から、悲劇は起こる。者は、突如、時の推移のない“無風”に曝さ

れる。

今も続く、この悲劇がもたらす数々の惨事を通じて、私は70年前のヒロシマを想像する。未踏の現象とともに

翻弄され続ける“風”の様相を、つまり惨劇の過去から今、そして未来へとヒロシマを渡る風を、この作品のテ

ーマとした。 (プログラム より)

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「ヒロシマを渡る風 ―室内オーケストラのために―」を演奏する

                              川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)

                                           ©  ひろしまオペラ・音楽推進委員会

「広島時間」(作曲 徳永崇)広島で世界初演される

「広島時間」(作曲 徳永崇)広島で世界初演される

日本を代表する現代音楽作曲家 細川俊夫がお届けする HIROSHIMA HAPPY NEW EAR(広島の新しい耳)シリーズ19で、被爆70周年という節目の年である2015年6月25日に、細川俊夫が注目する二人の作曲家に「ヒロシマ」をテーマにした作品を委嘱した「広島時間」(作曲 徳永崇)が、川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)の演奏で広島市中区アステールプラザにて、世界初演されました。

jisedai tokunaga-1

細川俊夫さんに紹介され、作曲について解説する徳永崇さん  ©  ひろしまオペラ・音楽推進委員会

広島の街には、様々な原爆の記憶が残っていて、今もなお現実とは異なる複数の時間が流れていると感じて
います。また、国際平和都市という清廉なイメージがありますが、猥雑なものも含め、雑多な要素がない交ぜ
になっているのが、現在の広島の姿であるとも感じています。本作品は、そのようなハイブリッドな様相を音
で表現する試みです。過去や現在の様々な事象を音響化し、共存させる方法を取りました。その結果、原爆と
戦争が決して過去のものになっていないことに気付き、がく然としています。例えば、現在を象徴する音を探
したとき、やはりそこには戦争の影が潜んでいるのです。今、日本が向かおうとしている方向や、世界の動向
について考えたとき、絶望的にならざるを得ません。しかし、大人が絶望しようとしまいと、現代の荒野に子
どもたちは産まれ、生を育んでいきます。原爆資料館には、昭和20年8月6日の市内での出生記録が残されて
います。本作品には、現状に対する問題提起の側面もありますが、同時に新しい生命へのささやかな感謝の気
持ちも込めました。未だ戦の絶えないこの世における命のたくましさと切なさを、私の身の丈に合ったやり方
で、表現できれば幸いです。 (プログラム より)
jisedai tokunaga-2

「広島時間」を演奏する川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)

©  ひろしまオペラ・音楽推進委員会

~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ)

~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ) の案内

公演  : ~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ)
日時  : 2015年6月20日(土)
1回目  午後1時半開場、2時開演
2回目  午後4時半開場、5時開演

著     八尾洋二  鈴木咲子
作曲    小玉好行
演出    山岸 靖
出演    山岸芽美子 小玉 妙 山岸玲音 山岸 靖
ピアノ   上杉智穂
照明デザイン 稲田道則

会場  : 本願寺広島別院  http://www.aki.or.jp

入場料 : 1000円 (要 予約 下記チラシを参照下さい )

主催  : 「撫子」の会

後援  : HIOS後援会

nadesiko 20150620

なお、「~疎開児童への家族の手紙~ 音楽物語 撫子(なでしこ)」は1996年9月21日、広島市現代美術館にて、中国放送「平和祈念コンサート」で上演しています。 「ヒロシマと音楽」実行委員会 担当。

 

次世代の作曲家たち 「ヒロシマ」紡ぐ

Hiroshima Happy New Ear
次世代の作曲家たち 「ヒロシマ」紡ぐ

日本を代表する現代音楽作曲家 細川俊夫がお届けする HIROSHIMA HAPPY NEW EAR(広島の新しい耳)シリーズ。
第19回目は被爆70周年という節目の年であり、細川俊夫が注目する二人の作曲家に「ヒロシマ」をテーマに
した作品を委嘱し、川瀬賢太郎の指揮、広島交響楽団(室内オーケストラ編成)の演奏で世界初演します。
広島から世界へ発信する HIROSHIMA HAPPY NEW EAR シリーズ。広島が歩んできた道に想いを馳せ新しい音楽で 未来へと繋げます。

日時: 2015年6月25日(木)19:00~

会場: アステールプラザ オーケストラ等練習場

プログラム: 広島時間      作曲 徳永崇  【委嘱作曲・世界初演】

プログラム: ヒロシマを渡る風  作曲 三浦則子 【委嘱作曲・世界初演】

主催: ひろしまオペラ・音楽推進委員会

音楽監督  細川俊夫
1955年広島生まれ。ベルリン芸術大学でユン・イサンに、フライブルク音楽大学でクラウス・フーバーに
作曲を師事。日本を代表する作曲家として、欧米の主要なオーケストラ、音楽祭、歌劇場等からの委嘱を受け、
国際的に活躍。近年では、エクサンプロヴァンス音楽祭委嘱オペラ「班女」、ザルツブルク音楽祭委嘱作品「循
環する海」「嘆き」、ロシュ委嘱ルツェルン音楽祭初演作品「夢を織る」、モネ劇場委嘱オペラ「松風」、ベル
リン・フィル、バービカン・センター、コンセルトヘボウ共同委嘱作品「ホルン協奏曲―開花の時―」などが、
大野和士、ワレリー・ゲルギエフ、フランツ・ヴェルザー=メスト、サイモン・ラトル、準・メルクルら一流の
指揮者により初演。現在、小編成から大編成まで多くの作品が国内外で演奏され続けている。これまでに東京交
響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、西ドイツ放送局合唱団、ネーデルラントフィルハーモニー管弦楽団のコン
ポーザー・イン・レジデンスを歴任。2001年にベルリン芸術アカデミー会員、2012年にバイエルン芸術
アカデミー会員に選出。2012年秋、紫綬褒章受章。現在、武生国際音楽祭音楽監督、東京音楽大学およびエ
リザベト音楽大学客員教授。

徳永崇
1973年広島生まれ。広島大学大学院教育学研究科修了の後、東京藝術大学音楽学部別科作曲専修修了。作
曲を、早川正昭、久留智之、野田暉行の各氏に師事。2004年、武生国際作曲ワークショップに招待作曲家と
して参加し、同年フランスのロワイヨモン作曲セミナーに武生との交換作曲家として参加。
ISCM Word Music Days入選(2002/香港、2014/ブロツワフ)。武生作曲賞受賞(2005)。
在籍する作曲家グループ「クロノイ・プロトイ」の第5回作品展が、サントリー芸術財団第9回「佐治敬三賞」受賞(2009年度)。
テグ国際現代音楽祭招待作曲家(2006、2011/韓国)。作品は国内をはじめ、欧州・アジア各地で演奏されている。
作曲家グループ「PATH」メンバー。「秋吉台の夏」現代音楽セミナー&フェスティバル講師(2010~ )。
現在、 広島大学大学院教育学研究科准教授。

三浦則子
東京生まれ。桐朋学園大学作曲理論学科卒業後、フランスに留学。パリ・エコールノルマル及びパリ国立高等音
楽院にて作曲を学ぶ。これまでに作曲を、末吉保雄、細川俊夫、平義久、ポール・メファノに師事する。199
3年第5回秋吉台作曲賞受賞、1999年第68回日本音楽コンクール作曲部門第1位、併せて安田賞を受賞。
これまでグルムシュタット国際夏期講習会、MITOフェスティバル、ミラノムジカ音楽祭、カーン音楽祭、モナコ
の春音楽祭、ザーブリュッケン現代音楽祭、ヴィラムジカ(マインツ)、ベルリン高等研究所、武生国際音楽祭等
で作品を発表してきた。主要作品:弦楽四重奏曲第1番「耳をすます」、サックス、ヴァイオリンとハープのた
めの「アニトヤ」、フルート、クラリネット、ヴァイオリンとチェロのための「悲しみのように、ひそやかに」
ほか。

2015年6月13日(土)中国新聞に紹介されています。下記を参照下さい。
中国新聞20150613

次世代の作曲家たち チラシ 下記を参照下さい。
Hiroshima Happy New Ear 1
Hiroshima Happy New Ear 2

「摂氏4000度からの未来」世界初演される

「摂氏4000度からの未来」世界初演される 2015年3月27日 アステールプラザ (広島市中区)

広響 糀場作品を初演 「広島」題材 平和へ祈り

広島交響楽団の演奏会「秋山和慶のディスカバリー・シリーズ」が27日、広島市中区のアステールプラザで
あった。「音楽の街を訪ねて」と題した企画の最終回は「広島」がテーマ。広響の委嘱で、広島市出身の作曲家
糀場富美子が被爆70 年に合わせて作曲した「摂氏4000度からの未来」を初演した。
糀場のトークの後、古里へのエールを込めた新曲を秋山の指揮で奏でた。前半は原爆の熱風や焦土と化した街、
人々の憤りや悲しみを表現。その最後に風鈴が清らかに響いた。後半は復興に向けて活気づく街や平和の祈りを
感じさせる安らかな音色で会場を包んだ。
続いて、広島市民交響楽団時代の第1 回定演(1 964年)で披露し、節目で届けてきたベートーベンの交
響曲第5番「運命」。約950人の観客が苦難を乗り越える力強い曲調と街の歩みを重ね合わせた。中国新聞社
など主催。 (余村泰樹) (2015年3月28日 中国新聞朝刊より)
中国新聞記事

被爆地に新たな調べ

きのう夜、カープ開幕戦に沸く広島の街で、もう一つ注目したい出来事があった。被爆地の祈りが込められた
新たな楽曲の誕生である。地元出身の作曲家糀場富美子さんによる「摂氏4000度からの未来」を、広島交響
楽団が初演した。
鐘が響く中、弦楽器や管楽器が激しく不気味に揺らぐ。ちりばめられた風鈴の音は、息絶える生命の最期の光
か、再生の息吹か。やがて音楽は希望の光にあふれてくる―。
緊張感漂う練習場を訪ねたことがある。被爆者の父を持つ作曲家や指揮者、楽団員が、曲想に合う音色やわず
かなニュアンスを追い求めていた。そして昨夜は聴衆も一体となり見事完成させたといえるだろう。
原爆への怒りや平和希求の思いから数多くの音楽が生み出され、犠牲者にささげられてきた。管弦楽曲や合唱
曲、歌謡曲、ロック、ジャズ…。調査収集を進める団体「ヒロシマと音楽」委員会は2千曲近くをデータベース
化したという。
だが注目を浴びんがためと言われても仕方ないような作品もあった。昨年、他人に代作させたことが発覚し、
ヒロシマと冠した交響曲のメッキが剥がれた。
いま一つ残念なのは、楽譜が満足に残っていないために、耳にできない作品が多いという点である。
音楽は時代の空気を映す。以前は原爆の恐ろしさ、被爆者の苦悩を表現した歌曲が多かった。時の流れととも
に演奏機会は減り、表現も変わってきた。被爆者や戦争を知る世代の減少と似ているかもしれない。
被爆70 年のことし、原点を忘れぬために過去の作品も聴きたい。生々しい声に触れられるはずだ。
ヒロシマの音楽は実際に奏でられ歌われ、核廃絶ヘ願いを共有できて初めて意味をなす。節目の夏が近づく。
新旧、多様なジャンルの調べに、多くの人が接することを願う。 (論説委員 田原直樹)
(2015年3月28日 中国新聞朝刊 潮流より)
中国新聞記事

ヒロシマと音楽

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